但馬国 地域

但馬国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 13:27 UTC 版)

地域

  • 朝来郡 - 朝来市
  • 養父郡 - 養父市、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町朝倉地区)
  • 出石郡 - 豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区)
  • 気多郡 - 豊岡市(日高地域、竹野町南地区)
  • 城埼郡 - 豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区)
  • 美含郡 - 美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区)
  • 七美郡 - 美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父市(熊次地区)
  • 二方郡 - 美方郡新温泉町

※郡名は『延喜式』による。

江戸時代の藩

  • 出石藩:小出家(6万石→5万石)→松平(藤井)家(4万8千石)→仙石家(5万8千石→3万石)
  • 豊岡藩:杉原家(2万石→2万5千石→1万石)→天領→京極家(3万5千石→1万5千石)
  • 八木藩:別所家(1万5千石→2万石)
  • 清富藩:宮城家(1万3千石)
  • 竹田藩:

明治時代の藩

  • 村岡藩:山名家(6700石→1万1千石)

人物

国司

但馬守

但馬介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国人

戦国大名

織豊大名

  • 宮部継潤 豊臣秀吉の側近。豊臣政権の五奉行の一人。城崎豊岡と改め、城を改築した。このとき城下町も整備され、これが現在の豊岡の町の基礎となった。後の鳥取城城主
  • 山名氏政 - 豊臣政権の大名。居城は有子山城。播磨に転封。
  • 前野長康(5万3千石→11万石)
  • 明石則実(2万2千石):四国征伐の功により豊岡城に入封。文禄4年(1595年)、豊臣秀次に連座して切腹・改易。
  • 小出吉政(6万石):文禄4年(1595年)から有子山城城主。西軍についたものの、弟・小出秀政が東軍に付いたために安堵され、後に但馬出石藩初代藩主。

武家官位の但馬守

江戸時代以前

江戸時代

但馬国の合戦


注釈

  1. ^ 旧高旧領取調帳」は但馬国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書11 旧高旧領取調帳 近畿編」(近藤出版社、1975年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. ^ 『日本後紀』では「但馬の国治(国府)を気多郡高田郷に遷す」とあり、それまでは別の場所にあったと推測されている。

出典

  1. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 223。
  3. ^ 二方国造 ( 但馬 ) - 日本辞典(2017年9月25日 午前8時55分(JST)閲覧)
  4. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 406-409。
  5. ^ 但馬(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)”. 兵庫県. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月14日閲覧。
  6. ^ 但馬と市町について”. たじまUIターン情報サイト. たじま田舎暮らし情報センター. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月14日閲覧。


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