蓮田から三島へ連なる美学とは? わかりやすく解説

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蓮田から三島へ連なる美学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:45 UTC 版)

蓮田善明」の記事における「蓮田から三島へ連なる美学」の解説

三島17歳時に伊勢物語のこと」を掲載していた『文藝文化昭和17年11月号に、蓮田は、「神風連のこころ」と題した一文掲載していたが、これは、熊本済々黌数年先輩にあたる森本忠著の『神風連のこころ』(国民評論社1942年)の書評であった三島後年1966年昭和41年8月神風連の地・熊本訪れた際、森本忠(熊本商科大学教授)や未亡人蓮田敏子夫人料亭「おく」で面会している。 三島没後行なわれ池田勉栗山理一塚本康彦鼎談の中で、栗山理一は、蓮田の「雅び」(天皇観)について以下のように語っている。 同じ雅び論じても、僕なんか考え方蓮田考え方とは、その淵源が違うわけです。(中略)僕が雅びということ考えたときには日本の古典文化というものを対象としたのですが、雅びはみやこびですから、それは都雅であり、その都の中心天皇ですから、天皇文化淵源あられるという認識雅び考えたわけですが、蓮田もう一つそこを乗り越えて信念として絶対視するというところがあったのです。 — 栗山理一「雅を希求し壮烈な精神――蓮田善明 その生涯熱情」 そして塚本康彦が、三島保田與重郎天皇観と、蓮田天皇観とは違うのではないかと話をふると、栗山理一は、自身三島保田に近い立場だとし、池田勉は、「(保田三島天皇観は)観念的であり、傍観者立場」で、蓮田については、「天皇宮居花守になるとか、御垣を守るとかいうふうな、ああいう国学者純粋さ蓮田ははっきり持っておったと思うんですがね。これがやっぱり彼の生まれた火の国激情というものだし、詩人純粋さじゃないかと思うんです」と述べている。さらに塚本が、「三島は、蓮田さんの死をダシにして己れの想念述べてたようなふしがある」とふると、栗山理一は、「(三島には)勝義自己劇化があると思うんです。三島らしい非常に計算され生き方であって、それはそれなりに評価しなきゃならない」としている。 なお、池田勉別の評論文の中で、蓮田の『神韻文学』から「意匠」のところを引用し、「〈――この形定まらず、あくまで定型定律否定しつづけるも、ただ形式以前つかみどころのない茫漠でなく、生命根元の非常に美しいものをあらわしていると私には信じられてならなかった。……〉 蓮田の魂が想い描き、やがて昇り還っていった意匠による神話的世界を、三島もはやくから悲願として、心通わせるところのあったことが明らかであろう」と述べている 栗山理一も、他の一文の中で、古今集よしとする三島が、林富士馬1944年昭和19年)に激しく論争したことを回想し、以下のように語っている。 そのころ三島林富士馬君らを誘って私の家に遊びにくるようになった。あるとき、三島君とはげしく論争したことがある君は『万葉集』推賞し、三島は『古今集』をよしとした。(中略後年になって清水広島大学停年退官した折り大学機関誌国文学攷』が記念特集号を編み三島が「古今集新古今集」と題する一文寄稿している。四十二年一月一日執筆付記されており、論旨は『古今集』の特質闡明した卓説である。作家として出発の頃から一貫して変わらぬ三島美学条理改め再認識したことであった。 — 栗山理一蓮田のこと 三島のこと」 松本徹は、三島をめぐる保田與重郎蓮田善明について、明確に異な立場立っているとし、三島が、保田ではなく蓮田方に結縁」したという見解持っている蓮田徹底した古典主義者であり、普遍的で公の、正統的秩序第一かかげていたのである頽廃を口にしたが、それとても“みやび”“風雅”といった正統繋るものであった。それに対して保田は浪曼主義者であり、独創尊び敗北デカダンス、そしてイロニー熱心に語った。すなわち、「あめつちをうごかす」ことを夢想しながらも、早々に断念したところに立っていたのである。(中略保田敗戦という事態に耐え、やりすごすことができたのに対して蓮田にはできなかったのも、このところ無縁ではなかろう。自らが“信従”したところのもの殉ずるよりほか蓮田には、道がなかったのである三島が、保田ではなく蓮田に“結縁”したのも、まさしくこのゆえであろう。 — 松本徹古今和歌集の絆 蓮田善明三島由紀夫」 また松本徹は、三島蓮田主張の間には、ほとんど「径庭」(隔たり)がないとし、2人とも、「文学は、自然そのもの、また作者自身自然的感情なり体験を語るものでなく、世界おおっている文化秩序にあずかるところに成立するものだ、という基本的態度を、わが国王朝文化踏まえて徹底的に貫いている」と論じている。そして、三島に強い影響与えた文学者として3人挙げ、「第一に指を屈すべきは蓮田善明である。ついで伊東静雄であり、もう一人は、焼跡出合った林房雄であろうか」とし、「蓮田少年期晩年三島にとって、優しい父親の役割果たした」と考察している。 大久保典夫は、蓮田文学を、「戦争による日本の国土人心荒廃におよそ蚕食されることを知らぬ超現実絶対理念志向し文学」だとし、蓮田内部には「他者」はなく、その点において、自己の内部に「“明察”者という他者」が潜んでいた三島との決定的な違いがあり、三島自身の中の「他者」知悉すると同時に「純日本製の“絹”」、「純粋の武人であった蓮田憧れていたと考察し大久保自身雑誌批評同人として三島接した経験から、三島蓮田全集出したがっていた「切実な気持ち」が推察できたという。 また大久保は、小高根の著書の中で考察されている蓮田三島少年時代共通する「“如何に死すべきか”で想定した結論から、逆にこれから生きてゆく軌跡帰納しようという徹底した悟達ぶり」に触れ2人の「早熟な天才」の間に感応があり、「三十八歳蓮田十七歳三島氏におのれの十七歳回想したように晩年三島由紀夫蓮田享年に近づいてはじめ蓮田憂国至情共有した」とし、三島の『』の中の「共に起って義のために共に死」のうという呼びかけには、蓮田説く「死は文化である」という思想があり、それはそのまま2人の「天皇観」に繋がると述べている。 そして、三島が「はげしい右翼イデオローグ汚名着た」と形容し蓮田文学と、保田與重郎との違いは「古典観」で、三島保田ではなく蓮田の「直系」だと考察しながら、以下のように解説している。 わたしは、保田與重郎蓮田善明究極違いを、ふたりの古典観に帰着するものと考えている。保田にとって、古典とは、彼の故郷大和桜井にまつわる風景歴史であったが、蓮田においては超現実絶対理念なので、その点、フィクション信じられた(というより、信じようとした)三島由紀夫と非常によく似ている。 — 大久保典夫昭和文学史構想分析日本浪曼派作家だった伊藤佐喜雄は、「三島由紀夫蓮田善明倣いたいと希った」とし、「南方ジョホールバルでの蓮田さんのはげしい行動と死――その事実の闡明が『コギト』の小高根二郎によってなされたとき、三島君は自分自身行動と死を決定したにちがいない」と語っている。福島鑄郎は、蓮田三島繋がりの意味について以下のように考察している。 神風連事件思想延長線にあった蓮田善明の「死」こそが、三島由紀夫寄りいながら、すでに過去遺物として吐瀉されてしまった日本の伝統かたくなに見守ってきたのであった。それが現実融合する時こそ三島由紀夫生命白炎化し燃焼せざるを得なかった。 — 福島鑄郎三島由紀夫青春松本健一は、21歳三島亡き蓮田に献げた詩の中で、蓮田隠れた死んだ)「靉靆を慕ひ」、戦後の時代を「塵土」に喩え自分はその「塵土に埋れんとす」と詠んだことに着目しながら、戦後三島日本浪曼派客観視する姿勢見せながら、「仮面」の生として戦後の時代生きていたが、その間にも、「三島心の奥底蓮田善明悉く生きていた」とし、1959年昭和34年)から連載開始された小高根の蓮田伝を読むにつれ、三島の中でその想い蘇り、「みずからの精神内部における蓮田善明のもつ意味について問い詰めざるをえなかった」と解説している。 新潮社編集担当者だった小島千加子は、三島から直接天人五衰』の原稿手渡された「最後の日となった10月締切日」における、蓮田まつわる三島とのエピソード綴っている。小島昼食三島邸で一緒に摂ってから帰る時、出掛け用事のある三島他社(教文社)の編集者と共に玄関から門のハイヤーまでの道すがら三島2人だけで佇んだしばらくの間、「このごろになって、ようやく蓮田善明気持ち分かってきたよ。善明が何を言わんとしていたのかって。善明は、当時インテリ知識人に、本当に絶望していたんだ」と話す三島様子一瞬軍装姿のような幻影見えた語っている。 黒と白にはっきり分かたれ大きな強い目が、まともに私の方に向けられているかに見え、だが、私を通り越して天に注がれている。天にある善明の霊に訴えんとしているようでもある。おかしなことに、というより光線具合であろうが、その眼差しさえぎって額のところに帽子のひさしがあるよう錯覚した。(中略事件知り走馬燈のように廻り出した私の記憶の中の一齣としてこの風景蘇ったとき、三島さんの姿はただの背広ではない。制服制帽で口をきいているのだ。楯の会制服姿なのか、あるいは蓮田善明軍服姿と重なっているのか。後日小高根氏の書をあらため読み時代超えて善明の魂が三島さんにより添い白昼の稲妻として共鳴音立てたとしても、不思議ではない気がしている。 — 小島千加子日々分れ――死への一里塚

※この「蓮田から三島へ連なる美学」の解説は、「蓮田善明」の解説の一部です。
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