監修・編集とは? わかりやすく解説

監修・編集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:53 UTC 版)

平沼義之」の記事における「監修・編集」の解説

WEBマガジン 日本廃道” (2005年7月). 2020年8月17日閲覧。 “横須賀トンネルマップ (PDF)”. 横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」. 横須賀集客促進実行委員会 (2013年10月). 2020年9月4日閲覧。 “横須賀トンネルカードマップ2018 (PDF)”. 横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」. 横須賀集客促進実行委員会 (2018年1月). 2020年9月4日閲覧

※この「監修・編集」の解説は、「平沼義之」の解説の一部です。
「監修・編集」を含む「平沼義之」の記事については、「平沼義之」の概要を参照ください。


監修・編集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:14 UTC 版)

川本耕次」の記事における「監修・編集」の解説

ぶかどん臨時別冊増刊号A5版の夢―貸本漫画小論!』(1977年7月コミックマーケット6で頒布貸本漫画に関する資料同人誌全国三流劇画共斗会ギ「三流劇画ミニマップ」(迷宮漫画新批評大系第2期1号&2号掲載1号1977年12月2号1978年4月発行個人的なことにもなるが、迷宮として漫画批評誌『漫画新批評大系』を出していた七七年の時点において少女漫画エロ劇画は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組み始めることにもなっていった七七十二月出た漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは「戦後少女マンガ流れ」の連載を開始し、同時に川本耕次と共に三流劇画ミニマップ」を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから三流劇画ブームスタートしていったはずなのである。(中略迷宮の中で三流劇画エロ劇画積極的に関わっていたのは川本耕次青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本この年六月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界つながり出来迷宮と深い関わりのあった村上知彦編集携わるプレイガイドジャーナル』に企画立ち上げるなどの動き重なっていく。亀和田武人脈による『本の雑誌』でのマンガ評の三流劇画扱い含めサブというよりカウンター意識持っていたミニメディアとの結びつきが力を与えていくことになる。『別冊新評 SF新鋭7人集』で同人誌世界ページ割いてくれたS編集長に「三流劇画」の世界を作らせてくれと言ったのはぼくだが、時期尚早ということで、石井隆出した後ならという確約をとれたのは秋頃だったという記憶がある。──米沢嘉博戦後エロマンガ史青林工藝舎 2010年4月 221-223頁 みのり書房官能劇画1977年1978年 みのり書房Peke1978年9月創刊号1979年2月休刊号(全6号)※大徳哲雄との共同編集 みのり書房月刊OUT1978年8月特集吾妻ひでおメロウ世界みのり書房月刊COMIC AGAIN1979年5月創刊号ほか おいらが作ったのは『Peke』という漫画誌なんだが、SFとか鬼太郎とかCOMとか、まぁ、そんな感じです(笑)。この時期おいらが同人誌煽った三流劇画というのがメディア注目されるようになり、大阪出ていた情報誌プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で座談会が行われるんだが、そこではおいらの肩書きは「新創刊誌準備中となってますね。おいらも特にSFニューウェーブ漫画をやりたかったわけじゃなく、エロ劇画でも良かったんだが、たまたま会社アニメ当てたので、その連続性企画宛てがわれたわけですね。まぁ『Peke』というのは、あまり売れなくて半年で潰れるんだが、おいらへそ曲がりなので、最後の号の表紙デカデカと「廃刊号」と入れ編集後記大見得切ったわけだ。アジテーション得意だから(笑)。で、あまり売れないと言ってもそれなりに売れていたわけで「止めないで」という葉書5000通ほど届いたらしい。経営者葉書の山に仰天してでも、おいら、もう会社辞めちゃってるし、廃刊しちゃったしで、後の祭(笑)。そこで後釜として作られたのが『月刊COMIC AGAIN』です。コレは『COM』の編集をやっていたというオジサンをどっかから連れてきて、創刊号COM特集Part2Part1は『Peke』の廃刊号)というのだから、実質的な復刊ですね。実はおいら、立上げ当時の『月刊COMIC AGAIN』の記事ページの編集まかされ手伝っていたんだが、他にも、別冊新評という出版社企画していた「三流劇画世界」という本にかかわるわけだ。──ネットゲリラ昭和ポルノ番外編 おいらの自伝です その4」(2010年10月10日配信) - ウェイバックマシン2011年11月16日アーカイブ分) 新評社『別冊新評 三流劇画世界1979年4月発行複数ペンネーム使い分けて構成ルポ評論コラムなどを米沢嘉博と共に担当今だから言えるが、ペンネームは6人分だが書いたのは3人。ぼくと川本青葉である。構成手伝っている。そんなこともあって「編集後記」では「この特集筆者の数の不足は否めないが、すぐれた劇画論、作家論生むためにはもう少し時間が必要かもしれない。この本がそういった意味で今後資料になればよいが」と編集長グチられている。これ以前エロ劇画触れたものはごくわずかしかない69年の『えろちか』と74年の『宝島』の特集がそれであり、陽の当たらないジャンルマンガ誌をここまで徹底して取り扱ったのはこの特集雑誌初めてであり、そうして最後でもあった。この本では75年創刊ラッシュから、7778年最盛期状況まで、概要を見渡すことができる。──米沢嘉博戦後エロマンガ史青林工藝舎 2010年4月 225コミケット周辺集まっていた人間がみんな社会人になり、あるいは編集者に、あるいは作家に、それぞれ連動しながら動いていたのだが、同人誌時代にやった「三流劇画ミニマップ」の余波が、その頃になっていろいろと出て来る。まず、大阪出ていた情報誌プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で三流劇画テーマとした座談会があり、翌年には『別冊新評』という雑誌で「三流劇画世界」という特集が出る。三流劇画世界は、米澤氏と私でずいぶんたくさんの原稿書いてます。他にほとんど書き手がいなかったので仕方ない。またTVでも人気番組11PM』で特集組まれたりと、マスコミ挙げていろいろと騒々しい事になるんだが、その本が出る頃には当人たちはとっくに、次のネタ取り掛かっていたりするわけです。──川本耕次ポルノ雑誌昭和史』筑摩書房ちくま新書2011年 381979年4月日付出た別冊新評三流劇画世界』には座談会載っていて、そこには失業中の私も出席しているのだが、そこでは「ロリコン系のエロ劇画誌作ってみたい」と発言しているわけです。また、その直前みのり書房で私が作っていた『Peke』の最終号編集後記では『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版1979年1月)という写真集について触れている。次に来るのはロリコンだとそう考えていたのだ。──川本耕次ポルノ雑誌昭和史』筑摩書房ちくま新書2011年 178-179頁 迷宮'79さべあのま作品集 シングル・ピジョン 漫画新批評大系叢書Vol.3』(1976年4月4日初版1979年4月8日第5版アリス出版『少女アリス』7〜15号(1979年〜1980年吾妻ひでお純文学シリーズ担当アリス出版ガール&ガール』(1979年頃) 近藤昌良『街には女の子たちいっぱい』(群雄新社笠倉出版社 1981年5月責任編集・監修蛭児神建ロリコン大全集』(群雄社出版都市と生活社 1982年5月31日吾妻ひでお内山亜紀米沢嘉博蛭児神建高取英谷口敬杉浦日向子さべあのま早坂未紀青山正明近藤昌良、孤ノ間和歩千之ナイフ赤井孝美女子高生など多彩な人材集ったロリコンブーム集大成本。初版23千部は完売し1982年末までに4部を発行した本書第1次ロリコンブーム中心人物である蛭児神建責任編集・監修という名目だが、実質的に川本耕次と元ふゅーじょんぷろだくと編集部小形克宏緒方源次郎)によって編集された。主に少女写真コミックのほか、ロリコン用語の基礎知識米沢嘉博)、女子高生座談会少女愛社会学考現学多角的に分析した評論など掲載されている。付録ロリーポップ着せ替え人形ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き吾妻当時ロリコン漫画界の諸相任侠映画風に描き出した仁義なき黒い太陽 ロリコン編』という「女の子がひとりも出てこない、おっさんばかり出てくる、嫌がらせのような(笑)作品」を寄稿した川本談)。 私は『東京おとなクラブ』のエンドウ編集長バイクケツ乗って82年東京突っ走った新宿御苑前にあるマンション訪れると、そこはコミック評論誌『ぱふ』の編集部だ。怪しげ男たち車座になっている中心あぐらをかくヒゲ面の男が「がっはっはっ」と豪傑笑いした。「いまやロリコン時代だからよ〜、その決定版出そうってのよ。『ロリコン大全集』だ!!」。なんでも川本耕次サンというエロ雑誌界の重鎮だそうな。正座して真面目に話を聞いてるのは慶應大学学生たちだという。その一人が「よろしくお願いしますっ!」と頭を下げてサッと名刺差し出した。へえ、学生名刺持ってるのか? と驚いたが、そこには〈『突然変異編集長〉の肩書が。あっ! と思った。『突然変異』を変態ミニコミ雑誌だと椎名誠朝日新聞雑誌評で叩き切って、同誌の学生編集者らが『週刊プレイボーイ』で猛反論椎名決闘状叩きつけるという事件があったのだ。さぞコワモテの輩かと思えば目の前青白くひょろっとした青年柔和な笑み浮かべている。「青山正明」という名前だった。川本サン神田にある群雄社という出版社エロ本作っていた。当時ビニ本自販機本全盛時だ。ビニ本とはビニール包まれヌード写真集で、自販機本自動販売機売られていたエロ雑誌のこと。自販機ガラス面にマジックミラーが貼られていて、児童が前を通る昼間は鏡だが、夜になるとあら不思議、光のマジックで中が見え!? 煽情的な表紙エロ雑誌適当なヌードグラビアと活版ページ構成されている。ザラ紙のその埋め草記事を書く仕事任されて、私は群雄社出入りするようになった。「明日までに8ページ、よろしく!」といきなり言われ、〈夏場アウトドアSEX必勝マニュアルみたいないい加減な記事をたったひと晩で書き飛ばすのだ。──中森明夫新人類&おたく誕生前夜──急カーブ曲がろうとしていた──“80年安保”が存在したではないか? 政治闘争ではない。それは、文化、いやカルチャーにおける叛乱氾濫だった」新潮社新潮452012年5月号特集30年前30年後」34群雄新社『ありす』1982年11月創刊号1983年7月休刊号(全3号群雄社出版アリス倶楽部少女愛探求する世紀末アンソロジィ』1983年10月創刊号群雄社倒産のため続刊されず)不純文学短編小説天国ちょっとだけ近い場所」掲載編集人川本耕次発行人明石賢生 三和出版ロリコンHOUSE』→『ロリくらぶ』(1984年12月創刊号から1989年8月終刊号まで監修セピア色少女たち―アンティーク・ポストカード・コレクション(シティ出版 1986年4月米澤嘉博花束を(虎馬書房 2008年) - 米澤英子らとの共著エッセイ劇画アリス少女アリス日々」を執筆

※この「監修・編集」の解説は、「川本耕次」の解説の一部です。
「監修・編集」を含む「川本耕次」の記事については、「川本耕次」の概要を参照ください。


監修・編集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:09 UTC 版)

本多弘之」の記事における「監修・編集」の解説

本多弘之 編『他力救済大道 - 清沢満之文集現代語訳)』 光舎、2000年。 - 本多編纂した清沢満之文集現代語訳英子高梨修田中重光依頼し本多監修したもの。「解説」(P.146 - 181)は本多による著作である。 本多弘之監修知識ゼロから親鸞入門幻冬舎2009年本多弘之編 『安田理深 唯識論講義上巻春秋社2012年本多弘之編 『安田理深 唯識論講義下巻春秋社2012年

※この「監修・編集」の解説は、「本多弘之」の解説の一部です。
「監修・編集」を含む「本多弘之」の記事については、「本多弘之」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「監修・編集」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「監修・編集」の関連用語

監修・編集のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



監修・編集のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの平沼義之 (改訂履歴)、川本耕次 (改訂履歴)、本多弘之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS