さっかろん〔サクカロン〕【作家論】
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:24 UTC 版)
笠原芳光『塚本邦雄論 逆信仰の歌』(審美社、1974年/増訂版 砂子屋書房、2011年) 岸田典子『黄冠の詩人 近代文学逍遙8』(コーベブックス〈南柯叢書〉、1977年)。歌人・短歌「葦牙の会」同人 『塚本邦雄論集』(磯田光一編、審美社、1977年)。各・初期の邦雄論 北嶋広敏『探検百首 塚本邦雄の美的宇宙』(而立書房、1986年) 安森敏隆『創造的塚本邦雄論』(而立書房、1987年) 『詩魂玲瓏 塚本邦雄の宇宙 現代詩手帖特集』(思潮社、2005年)。齋藤愼爾・塚本靑史責任編集 楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫、2009年)。門下生、2010年にながらみ書房主催・第8回前川佐美雄賞 小林幹也『短歌定型との戦い 塚本邦雄を継承できるか?』(短歌研究社、2011年) 早﨑ふき子『塚本邦雄とは何か 時代史のなかで』(角川書店、2012年) 塚本靑史『わが父 塚本邦雄』(白水社、2014年) 塚本靑史『肖てはるかなれ 斜交から見える父』(短歌研究社、2017年)、続編『徒然懐旧譚』を収録、『短歌研究』奇数月で連載 菱川善夫『塚本邦雄の宇宙 Ⅰ・Ⅱ』(短歌研究社、2018年) 尾崎まゆみ『レダの靴を履いて 塚本邦雄の歌と歩く』(書肆侃侃房、2019年)。門下生 『塚本邦雄論集』(現代短歌を読む会、短歌研究社、2020年)。門下生ら7名
※この「作家論」の解説は、「塚本邦雄」の解説の一部です。
「作家論」を含む「塚本邦雄」の記事については、「塚本邦雄」の概要を参照ください。
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 07:12 UTC 版)
山前譲編『森村誠一読本』KSS出版、1998。作品2篇+エッセーも収録 成田守正『「人間の森」を撃つ 森村誠一 作品とその時代』田畑書店、2018講談社での担当編集者による作品論
※この「作家論」の解説は、「森村誠一」の解説の一部です。
「作家論」を含む「森村誠一」の記事については、「森村誠一」の概要を参照ください。
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:41 UTC 版)
作家の伝記的研究に限らず、作家にまつわる様々な事象が対象になる。作者と読者の関係、メディアと作家の関係など。
※この「作家論」の解説は、「文芸評論」の解説の一部です。
「作家論」を含む「文芸評論」の記事については、「文芸評論」の概要を参照ください。
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:41 UTC 版)
入野田真右・青山寛共編 『価値崩壊と文学―ヘルマン・ブロッホ論集』(同学社、2003年) パウル・ミヒャエル・リュツェラー 『ヘ ルマン・ブロッホの生涯』(入野田真右訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、2002年)著者は以下の本ほか、様々な関係著書を刊行している。Geist und Zeitgeist : Essays zur Kultur der Moderne / Hermann Broch ; herausgegeben und mit einem Nachwort versehen von Paul Michael Lützeler エリアス・カネッティ『断想 - 1942~1948』(岩田行一訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、1976年)カネッティがヘルマン・ブロッホの生誕50年を記念して、1936年11月にウィーンで行なった講演記録を収録(「ヘルマン・ブロッホ頌」P249~P272) ハンナ・アーレント『暗い時代の人々』(阿部斉訳、河出書房新社/ちくま学芸文庫、2005年)- 「ブロッホ」回想・作家論の章を収録。
※この「作家論」の解説は、「ヘルマン・ブロッホ」の解説の一部です。
「作家論」を含む「ヘルマン・ブロッホ」の記事については、「ヘルマン・ブロッホ」の概要を参照ください。
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 05:22 UTC 版)
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また、俳画の大成者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。独創性を失った当時の俳諧を憂い「蕉風回帰」を唱え、絵画用語である「離俗論」を句に適用した天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。 絵は独学であったと推測されている。
※この「作家論」の解説は、「与謝蕪村」の解説の一部です。
「作家論」を含む「与謝蕪村」の記事については、「与謝蕪村」の概要を参照ください。
作家論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 01:23 UTC 版)
新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。しかし、1915年(大正4年)には井泉水と意見を異にし、層雲を去っている。碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰。更にこれも中塚一碧楼に譲る。昭和初期に風間直得が漢語にフリガナ(ルビ)を振るルビ俳句を試作、これに賛同した碧梧桐もこれを作るようになるが、これは支持を得られなかった。 引退については「俳句創作への情熱の衰え」と「虚子への抗議」の意味が込められていた。 子規は、碧梧桐と虚子について「碧梧桐は冷やかなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐の人間を見るは猶無心の草木を見るが如く、虚子の草木を見るは猶有上の人間を見るが如し。」と評していた。
※この「作家論」の解説は、「河東碧梧桐」の解説の一部です。
「作家論」を含む「河東碧梧桐」の記事については、「河東碧梧桐」の概要を参照ください。
- 作家論のページへのリンク