戦闘の展開
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まず、両翼ではローマ軍の重装歩兵の攻撃で、カルタゴ軍の戦象が暴れて自軍の騎兵を攻撃した。カルタゴ軍の騎兵の混乱に乗じ、ローマ軍の騎兵が攻勢をかけ、カルタゴ軍の騎兵やヒスパニア兵が多くの損害を受けた。中央では、ローマ軍のヒスパニア兵とカルタゴ軍の兵士が互角に戦っていた。しかし、両翼をローマ軍によって包囲されたカルタゴ軍は、空腹もあって後方に敗走した。追撃しようとしたローマ軍だが、豪雨により断念した。マゴとジスコーネは大西洋岸まで逃げた後、カルタゴに逃げ帰った。
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戦闘の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:30 UTC 版)
7月4日午後、スミス支隊は平沢で集結し、また、支援に来た第52野砲大隊を掌握したのち、5日午前3時、水原南方の烏山近くの高地に進出した。第52野砲大隊は、ミラー・O・ペリー中佐によって指揮されて、本部管理中隊の半数とA中隊から編成されており、M2 105mm榴弾砲 6門、榴弾 1,200発、人員 134名を有していた。ただし、対戦車榴弾は、合計で6発しか配布されていなかった[要出典]。 5日午前7時30分、8両のT-34-85戦車を先頭にした縦隊が南下するのを視認し、午前8時16分、砲兵部隊は距離3,600メートルで初弾を発射した[要出典]。これは、朝鮮戦争においてアメリカ軍が発射した初弾である。射撃開始から間もなく命中弾を得たが、効果は認められなかった。一方、スミス支隊は、距離630メートルにおいてM20 75mm無反動砲の射撃を開始し、多数の命中弾を得たものの、これも効果は無かった。さらにオリイ・D・コーナー中尉は、自ら戦車の後方に回り込んで60mmバズーカを発射し、実に22発を撃ち込んだものの、目に見える効果は得られなかった。これは、炸薬が劣化していたためとされている。さらに前進した戦車に対して、砲兵の対戦車専任砲が射撃を開始し、2両を撃破したものの、この射撃で対戦車榴弾を撃ちつくし、後続車によって破壊されてしまった。戦車部隊はさらにスミス支隊歩兵部隊の陣地を突破して、前進していった。この戦車部隊は第107戦車連隊であり、最後の戦車が通過したのが午前11時15分ごろであった。 一方、午前10時ごろより、戦車3両に先導されて、北朝鮮軍第4師団第16, 18連隊が前進してきた。スミス支隊歩兵部隊は、距離900メートルで射撃を開始し、北朝鮮軍もこれに対応して展開した。スミス支隊は第52野砲大隊に対して射撃を要請しようとしたが、有線通信は戦車によって切断され、また無線機も不通になっていたため、適切な火力支援を受けることができなかった。正午ごろには、スミス支隊は両翼より包囲されつつあり、スミス中佐は陣地正面を縮小して対応したが、北朝鮮軍の機関銃部隊は東側の高地に展開して瞰射しはじめた。午後2時30分ごろより、北朝鮮軍は包囲の環を縮めはじめた。砲兵部隊からの応答はなく、全滅したものと考えられ、また、悪天候であり航空支援も期待できなかったことから、スミス中佐は後退を決心した。 スミス中佐は、B, C中隊を交互に後退させて相互に掩護するように措置した。しかし、支援火力がなかったことから後退には難渋し、後方に進出していた重機関銃の射撃を受けて壊乱、部隊としての組織を失ってしまった。スミス中佐は、殿のB中隊の後退準備を見届けたのち、砲兵とともに後退した。 この戦闘で、スミス支隊は150名の人員を喪失し、また無反動砲と重迫撃砲の全数を遺棄した。砲兵も全砲を遺棄して後退し、また人員31名が行方不明となった。
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