マークⅡ
マークとは特別仕様の武器、戦車、飛行機につけた型式名。Ⅱはコロナから発展した特別モデルの意。コロナの第2世代・上級車種を意味する。
デビューは1968年9月。車名通りコロナの上級グレードとして産声をあげた。ボディはコロナ1500より全長170mm、全幅55mm、ホイールベースで90mm大きかった。ボディデザインにあたっては、コロナのアローラインのイメージ付加に苦労した。エンジンは7R型1.6L、7R-B型1.6L、8R-B型1.8Lの3種。ボディタイプはセダンとハードトップ。
72年1月、初のフルモデルチェンジ。最上級小型車の完成を目指し、6気筒1988ccエンジン搭載のLシリーズを追加した。セダン、HTとも3角窓を廃止して、初代より全長25mm、全幅20mm延び、全高は15m低<なった。Lシリーズは他シリーズよりエンジンフードを50mm延長し、左右2分割グリルという顔になった。
76年12月、真のゆとりと豊かさをテーマに3代目がデビューした。全長、全幅を拡大、全車にサイドプロテクターを採用した。グランデ(大いなる、偉大なるの意)というモデルがこのとき誕生した。
このあと、80年10月、84年8月、88年8月、92年10月、96年9月とほぼ4年ごとにフルモデルチェンジを実施、92年にボディが3ナンバー枠へ拡大した。
2000年10月、9代目に進んだ。スタイリングはトレントに合わせて、ビッグキャビン、キャブフォワードとなった。プラットフォームはプログレのものを利用し、2780mmのホイールベースも同一。エンジンはガソリンだけで直6の2Lと2.5Lという設定。2.5Lこは、D-4直噴タイプの希薄燃焼と通常型、そしてターボの3タイプをそろえた。それまであった3L版は廃止。駆動方式はFRと4WD。ミッションは4WDが4速ATだけだが、FRのスポーティタイプには5速AT、スポーティモデルのターボ車には5速MTもあった。
車種グレードとしては、ツアラー系がなくなり、グランデ系に統一。スポーティなクルマ、グランデiRシリーズを新設した。ボディの大きさは、これまでより全長で25mm短縮したが、全幅で5mm、全高で60mmホイールベースで50mm拡大。やや背高な感じだが、ボディ形状はピラードハードトップからサッシュ付き4ドアセダンに変わった。
アメニティはマークⅡの売り物のひとつで、これは新型にも受け継がれ、快適さのための装備は充実した。なお、シリーズ3兄弟としてラインアップしていたチェイサー、クレスタは、このとき、モデルチェンジを実施しなかった。
2002年10月、フロントのバンパー、グリル、ヘッドランプ、リヤのコンビネーションランプ、ガーニッシュのデザインを変更した。内装では木目調パネルをドアスイッチ部分にも拡大。iRシリーズに2L・1G-FEエンジン搭載車を新設定、ラインアップの充実をはかった。
なお、マークⅡにはワゴンタイプもあり、初代の5ドア1600にはじまり、2代目、3代目はセダンと同じ時期にモデルチェンジを実施していたが、4代目、5代目は発表時期が若干ずれたあと、6代目は12年半ぶりの一新となった。この時、クオリスというサブネームが付いた。2002年1月にはブリット(ドイツ語BLITZ:稲妻からの造語)の名前を冠したモデルに変わった。マークⅡとはいうが、ベースはクラウンエステートで、駆動方式はFR。エンジンはセダンと同じ直6の2L。2.5L、2.5Lターボ、そして2.5L直噴D-4というラインアップ。ミッションは直噴が5速AT、ほかは4速ATで、MTの設定はない。4WD仕様もある。EBD付きABSやブレーキアシストを全車に標準化、VSCやSRSカーテンシールドエアバッグなど安全装備も充実する。
マークII
マークII
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前輪駆動型。
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マークII(1941)
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「マーモン・ヘリントン装甲車」の記事における「マークII(1941)」の解説
延長された車体を持ち、全輪駆動である。初期の車輛はマークIと同じ兵装を持つ。後期生産型は八角形の砲塔にボーイズ対戦車ライフルおよびブレン軽機関銃を装備する。ヴィッカース機関銃と、まれにブレン軽機関銃を装着するピントル銃架が取りつけられた。車体は初期型では鋲接で組み立てられ、後期型では溶接で組まれた。887輌を生産。
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マークII
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改良型砲塔を装備。銃座を再設計しラジエーターを改良、操縦手席に脱出ハッチを設けた。
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マークII
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マークIのシャーシを強化し、427GTエンジンへ変更し、馬力も475PSまでに上げられた。1966年からマークIと並行して製作された。キャブレターをウェーバー(現マニエッティ・マレリ)製からホーリー製に変更し、KarKraft製4速トランスミッションを搭載。また、ル・マンのレギュレーション変更に伴い、スペアタイアを搭載するためのスペースを確保するため、フロントノーズのデザインが変更。エンジンの大型化に伴い、リアカウルの形状も変わっている。レースでは市販車クラスでエントリーしていたマークIに対して、マークIIはエンジンを大幅に変更したため、プロトタイプクラスからのエントリーとなった。 1967年には改良型の「マークII B」と呼ばれるモデルが登場、主な変更は軽合金シリンダーヘッド、キャブレターの追加、オイルタンクの配置変更、スペアタイヤの位置変更、ブレーキの冷却系の変更など。
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マークII
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「花の詩女 ゴティックメード」の記事における「マークII」の解説
飛行形態で登場する灰色の機体。ティーガーフレームと呼ばれるフレームを採用しており、人型から飛行形態への変形機能を有する特殊なゴティックメード。飛行形態でも着陸状態では4肢は固定されておらず、浮上したのち背中に装備する飛行ユニットに身体と4肢を引き込んで(永野護曰く、完全変形)から飛行する。劇中では8機編隊で登場。ベリンの都行を光学迷彩などを用いた隠密行動にて監視する謎の男と謎の女の一団が運用していた。頭頂高24m、全高29m。絶大な威力を誇る全長35mにも及ぶ最終兵器バスターランチャーをも標準装備している。劇中では、バスターランチャーの表面が氷結していたが、これは冷却で結露した水が凍結していたもので、バスターランチャーが高温になっている状態を表現しており、いつでも射撃可能なスタンバイ状態であった。正式な呼称はGTMゲート・シオン・マークII・ナンバーIII。
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マークII(1962-1965年)
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「ローバー・P5」の記事における「マークII(1962-1965年)」の解説
1962年にP5はマークIIに発展、最高出力が129馬力に引き上げられ、サスペンションが改良された他、基本はセダンのレイアウトのままでルーフラインを6cm低めた、ユニークな4ドアの「クーペ」が追加された。マークIIは15,676台のサルーンと5,482台のクーペが生産された。
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マーク II
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砲塔を換装し、操縦室とラジエーター周りの装甲を強化した。440輌を生産。
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マーク II
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:17 UTC 版)
訓練用戦車。ハッチが増設されるなど細部に改良が施されたが、基本構造はマーク Iから変更はない。ウイリアム・フォスター社(雄型25輌)とメトロポリタン社(雌型25輌)によって、1916年12月から1917年1月にかけて、50輌が製造された。20輌がフランスに輸出され、25輌がイギリスのドーセットのウール訓練場に残り、残りの5輌は試験用車輛として保管された。
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「マークⅡ」の例文・使い方・用例・文例
- マークⅡ型機関銃
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