ル・マンとは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|基本情報|地図|動画|本・雑誌|文献|全文検索|用例

三省堂 大辞林

三省堂三省堂

ルーマン [Niklas Luhmann]

(1927- ) ドイツ社会理論家。行為よりもコミュニケーション単位として社会システムをとらえ、権力信頼など幅広いテーマに迫る。著「社会学啓蒙」「社会システム論」など。

ルマン [Le Mans]



ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

ル・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/25 10:33 UTC 版)

ル・マン
Le Mans
Coat of arms of Le Mans.png
Montage du Mans.jpg 
行政
フランスの旗 フランス
地域圏Région ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
département サルト県(県庁所在地)
arrondissement Le Mans
小郡canton 9
INSEEコード 72181
郵便番号 72000,72100,72085
市長任期 ジャン=クロード・ブラール
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) Communauté urbaine du Mans 
人口動態
人口 市: 144,500人
2005年
人口密度 2,754人/km²
地理
座標 北緯48度01分12秒 東経0度11分56秒 / 北緯48.020013度 東経0.198784度 / 48.020013; 0.198784座標: 北緯48度01分12秒 東経0度11分56秒 / 北緯48.020013度 東経0.198784度 / 48.020013; 0.198784
標高 平均:51 m
最低:38 m
最高:134 m
面積 市: 52.81km² (5 281ha)
ル・マンLe Mansの位置
ル・マン
Le Mans
テンプレートを表示

ル・マンLe Mans)は、フランスの西部に位置する都市で、サルト県県庁所在地である。伝統的に、メーヌ地方の首都とされてきた。現在、カトリック教会のル・マン司教座が置かれている。

目次

地理

地球陸半球水半球に分割した際、陸半球のはル・マン市に存在する。

歴史

ル・マンはプトレマイオスによって初めて記述された(Geography 2.8.8)。ローマ帝国の都市ヴィンディニウム(Vindinium)は、ガリア人の一部族Aeduiの従属部族アウレルチ(Aulerci)の首都であった。ル・マンは、チヴィタス・セノマノルム(Civitas Cenomanorum、セノマニ族の都市の意味)として知られていた。これらの都市は、古代ローマ属州ガリア・ルグドゥネンシスにあった。3世紀に建てられたアンフィテアトルムが現在も見られる。

トゥールのグレゴリウスは、フランク族の副王リゴメルが、フランク族領の統合のため遠征したクロヴィス1世によって殺害されたと記載を残している。キリスト教化はフランク王国の時代に行われた。865年、町はヴァイキングの襲撃を受けた。

16世紀のル・マン

メーヌ第一の都市として、ル・マンは11世紀にはアンジュー伯とノルマンディー公の抗争の舞台となった。ノルマンディー公がメーヌを手中に収めると、ギヨーム公(のちのイングランドウィリアム1世)は、イングランドへ侵攻し成功した。しかし、1069年に市民の反乱が起こりノルマン人が追放され、エステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世・デステの子ユーグが、メーヌ伯ユーグ5世を自称した。事実上のメーヌ伯位を持つのはイングランド王であったが、長年敵対してきたアンジュー伯家がイングランド王家と縁戚関係を結んだことで、フールク・ダンジューがメーヌ伯となった。ヘンリー2世とその王子たちとの内戦時代に、ル・マンは攻撃され火を放たれた。

ルネサンス時代のル・マンには、ジャック・ペルティエら、プレイヤード派と呼ばれる詩人・文筆家が集った。フランソワ・ラブレーピエール・ド・ロンサールは、ル・マンで互いに知り合った。

17世紀から18世紀には、ル・マンは織物業の町として繁栄した。

第二次世界大戦中、ル・マンはナチス・ドイツに占領されていた。ノルマンディー上陸作戦の勝利後、1944年8月8日、アメリカ軍(en)がル・マンを解放した。

交通

見どころ

ル・マンには保存状態の良い旧市街(Cité PlantagenêtVieux Mansとも呼ばれる)と、大聖堂がある。サン=ジュリアン・デュ・マン大聖堂は、市の初代司教であるル・マンの聖ユリアヌスへ捧げられた。その他、旧市街の古代ローマの残余、河岸のローマ浴場がある。

旧市街、シテ・プランタジュネ。後方にはガロ=ロマン時代に築かれた城壁が見える
サン=ジュリアン・デュ・マン大聖堂
リセー・ベルヴュ(旧サン=ヴァンサン修道院)

統計

1999年の調査では、都市圏に293,159人の人口があった。

ル・マンの人口の推移
(出典 : [1])
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
132,181 143,246 152,285 147,697 145,502 146,105 141,432

産業

スポーツ

ブガッティ・サーキットと、ブガッティ・サーキットの一部及び公道で構成されるサルト・サーキットがあり、1923年以降行われているル・マン24時間レースなどモータースポーツの開催地として知られている。

松井大輔が所属していたプロサッカークラブのル・マンUCの本拠地でもある。

著名な出身者

姉妹都市

脚注

外部リンク


ルマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 04:41 UTC 版)

ルマン(Le Mans)

  1. フランスル・マン市。
    1. 同市で毎年開催されるル・マン24時間レースの略称
    2. 同市サッカークラブ・ル・マンUCの通称。に本拠を置く
  2. 韓国・大宇自動車(現・GM大宇)が製造していた乗用車、デーヴルマン。→オペル・カデット
  3. ダンロップのタイヤブランド。現在ではスタンダードコンフォートタイプに位置付けられている。
  4. 日本のレーシングチーム。以下で述べる。

株式会社ルマン
Le Mans Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 〒150-0012
東京都渋谷区広尾3-2-15
設立 1967年4月
事業内容 自動車及び自動車部品の輸入・輸出 他
資本金 1500万円
主要子会社 株式会社チームルマン
外部リンク http://www.lemans.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社ルマンLe Mans Co., Ltd.)は、東京都渋谷区に本社を置く自動車部品メーカー。1967年設立。当初の社名はルマン商会。主にレース用のチューニングパーツの開発・販売や、海外のレーシングカーの輸入販売等を手がける。またガレージルマンとしてレーシングカーコンストラクター業務も行ったことがある。レース参戦時はチームルマンを名乗る(2000年にレース部門を株式会社チームルマンとして子会社化)。チーム名の由来はル・マン24時間レースから。

1976年以降、全日本F2000全日本F2全日本F3000フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップカテゴリーに継続して参戦している。特に2002年以前はレイナードの国内総代理店を務めており、全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンにおいてレイナードの事実上のワークスとして強さを誇った。また、日産系チームとしてル・マン24時間レースなどにも参戦した経験がある(その際、チーム名が「チームルマン」だったため、海外のエントランスに名前をすぐ覚えてもらえたという)。

しかし2000年代以降はトヨタとの関係が深く、SUPER GTではレクサス・SC430を走らせている。

目次

レース参戦実績

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権には、株式会社ユーピー(パナスポーツブランド)をスポンサーとして、1984年に自製のLM04Cで参戦を開始した。1985年シーズン途中にLM05Cに車両を変更し、WEC-JAPANでは2位入賞を果たした。1986年シーズンには日産からV6のVG30エンジンが供給されるが、LMシャシーではパワーを受け止めることができず、マーチ製の86Gにマシンを変更した。LMシャシーにはトヨタエンジンが供給され、日産、トヨタエンジンでの2カーエントリーとなる。2台体制は翌87年も続き、WEC-JAPANでは和田孝夫に手によりポールポジションを獲得した。日産のCカーによる参戦は1991年まで続いた。1993年の鈴鹿1000kmではニスモとジョイントで日産・R92CPで優勝を果たした。

参戦歴

開催年 ドライバー マシン
1984年 高橋健二/中子修/鈴木利男 ルマン・LM04C/日産
1985年 松本恵二/中子修/森本晃生 ルマン・LM04C/日産
ルマン・LM05C/日産
1986年 松本恵二/鈴木亜久里 マーチ・86G/日産
森本晃生/F・コンラッド ルマン・LM06/トヨタ
1987年 和田孝夫/A・オロフソン マーチ・86G/日産
1988年 和田孝夫/A・オロフソン マーチ・86G/日産
マーチ・88G/日産
鈴木利男/森本晃生 マーチ・86G/日産
1989年 和田孝夫/森本晃生 マーチ・88G/日産
1990年 和田孝夫/中子修 日産・R89C
1991年 和田孝夫/岡田秀樹/影山正彦 日産・R89C
日産・R90CP

ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レースには、1987年にマーチ・86G/日産で初出場した。翌1988年には2カー体制で参戦した。以降日産のサテライトチームとして1990年まで参戦を続けるが、一度も完走を果たすことができなかった。

参戦歴

開催年 ドライバー マシン
1987年 A・オロフソン/A・フェルテ/P・ゴナン マーチ・86G/日産 R
1988年 D・オンガイス/M・トローレ/鈴木利男 マーチ・86G/日産 R
A・オロフソン/L・レオーニ/森本晃生 マーチ・88G/日産 R
1989年 和田孝夫/A・オロフソン/森本晃生 マーチ・88G/日産 R
1990年 和田孝夫/A・オロフソン/M・S・サラ 日産・R89C R

フォーミュラ・ニッポン

1996年のシリーズ発足時より参戦。1996年はラルフ・シューマッハ、1998年は本山哲がシリーズチャンピオンを獲得した。

また2003年には、当時シアトル・マリナーズに在籍していた佐々木主浩をオーナーとする「TEAM 22」のメンテナンス(実質的なチーム運営)を担当。脇阪寿一をドライバーに起用し2勝を挙げた。

2008年は本山哲が10年ぶりに復帰して古豪復権を目指すも結果は出なかった。

2007年まではフォーラムエンジニアリングがメインスポンサーだったが、2008年以降はキグナス石油及び日本サン石油がメインスポンサーとなっているが、2社ともに2011年からは石浦宏明と共に独立し「キグナス・スノコ」として新チームとなる。

開催年 ドライバー チームランキング
1996年 #24 服部尚貴
#25 ラルフ・シューマッハ
1位
1997年 #1 ノルベルト・フォンタナ
#2 エスティバン・トゥエロ→ミハエル・クルム立川祐路
3位
1998年 #7 ノルベルト・フォンタナ
#8 本山哲
2位
1999年 #1 本山哲
#2 山西康司
1位
2000年 #7 野田英樹
#8 五十嵐勇大
5位
2001年 #7 アレックス・ユーン→山西康司
#8 五十嵐勇大
9位
2002年 #7 影山正美ドミニク・シュワガー
#8 土屋武士
5位
2003年 #7 金石年弘
#8 土屋武士
4位
2004年 #7 脇坂寿一
#8 土屋武士
#25 片岡龍也
4位
2005年 #7 片岡龍也
#8 土屋武士
5位
2006年 #7 片岡龍也
#8 高木虎之介
6位
2007年 #7 片岡龍也
#8 高木虎之介
8位
2008年 #7 本山哲
#8 石浦宏明
7位
2009年 #7 国本京佑
#8 石浦宏明
5位
2010年 #7 ケイ・コッツォリーノ
#8 石浦宏明
5位

全日本GT選手権・SUPER GT

エッソウルトラフロースープラ(2002年)

1999年より土沼広芳を監督に、野田英樹ワイン・ガードナーとをドライバーに起用し、スープラで参戦。当初はエッソタイガースープラを名乗り、虎をイメージさせたカラーリングをしていた。

2000年は前年同様の体制ながら、マシン名をエッソウルトロンタイガースープラに変更。

2001年童夢から脇阪寿一が移籍し、その年よりマシン名がエッソウルトラフロースープラになった。この年は脇阪と野田英樹がドライブ。

2002年は野田に代わって飯田章がドライブし、シリーズチャンピオンに輝く。

2003年は2勝を挙げるなど活躍するが、最終戦では惜しくも日産勢に敗れた。

2006年は脇阪にかわって片岡龍也がドライブすることになった。また、ベースマシンがSC430、スポンサーがエクソンモービルのままだが、マシン名がMobil 1 SCとなった。

2007年は飯田がGT300クラスのRACING PROJECT BANDOHへ移籍し、代わってビヨン・ビルドハイムが加入、スポンサーもフォーラムエンジニアリングへ変更され、マシン名はForum Eng. SC430に変更された。

2008年は2007年GT500チャンピオンの伊藤大輔がARTAより移籍し、ビヨン・ビルドハイムと共に参戦。スポンサーがENEOSに変更され、マシン名もENEOS SC430になりオレンジと赤のカラーリングになった。

活躍

トヨタのワークスチームの中でもエース的存在で、チーム、ドライバーとも人気の高いチームである。2002年には、脇阪寿一、飯田章組がチャンピオンを獲得した。だが、翌年の2003年は、チャンピオン争いで優位に立っていたものの最終戦で失速し、3ポイント差でザナヴィニスモGT-Rに敗れ、2004年も最終戦までチャンピオン争いを展開するが、シーズン未勝利に終わる。

2005年には前半戦は新型のスープラの熟成に苦しみ不調、後半戦でなんとか調子を取り戻したものの、最終戦までチャンピオンの権利は得ていない。2006年からエースドライバーだった脇阪寿一がトムスに移籍。エースドライバーを失ったチームは徐々に低迷。第3戦・富士ではリストリクターの救済により2位を得たもののその他は予選・決勝を通じてチームは低迷した。2007年も3位表彰台を2回獲得するもトヨタワークスとしては下位でシーズンを終えている。2008年には伊藤大輔を据え復活に注目されている。

過去の参戦歴

名称 開催年 ドライバー チームランキング
全日本GT選手権 1999年 野田英樹/ワイン・ガードナー 12位
2000年 野田英樹/ワイン・ガードナー 9位
2001年 脇阪寿一/野田英樹 7位
2002年 脇阪寿一/飯田章 チャンピオン
2003年 脇阪寿一/飯田章 2位
2004年 脇阪寿一/飯田章 3位
SUPER GT 2005年 脇阪寿一/飯田章 6位
2006年 飯田章/片岡龍也 12位
2007年 片岡龍也/ビヨン・ビルドハイム 9位
2008年 伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム 8位
2009年 伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム 11位
2010年 伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム 4位

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類



「ル・マン」の用例一覧


ル・マンに関連した本



ル・マンのページへのリンク
「ル・マン」の関連用語
ル・マンのお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「ル・マン」を見る
_ _   


ル・マンのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2012 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのル・マン (改訂履歴)、ルマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS