銚子電気鉄道線 運賃・割引乗車券

銚子電気鉄道線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 05:43 UTC 版)

運賃・割引乗車券

運賃

対キロ区間制。定期運賃平均割引率は通勤定期40%、通学定期60%(1997年改訂)。2019年10月1日改定[14]

キロ程 運賃(円)
初乗り1km 180
2 210
3 240
4 270
5 300
6 - 7 350

※1km未満の端数は切り上げ

SuicaPASMOなどのICカードを使っての乗車(運賃支払い)はできない。

弧廻手形(一日乗車券)

初日の出特別体制時を除き、「弧廻手形」(こまわりてがた。路線が円弧を描く形なのでこの名が付いた)という一日乗車券を700円で販売している(特別体制時も「弧廻手形」に相当する一日乗車券が値段を変更して販売される)。同社が発売する「ぬれ煎餅」の犬吠駅での1枚交換券、「地球の丸く見える丘展望館」の1割割引券、「銚子ポートタワー展望室」の1割割引券が付属している。

車両

現有車両

2024年3月現在、電車6両、電気機関車1両が在籍する。すべての電車がワンマン運転に対応している。

電車

2000形
デハ2001 - クハ2501・デハ2002 - クハ2502
もと伊予鉄道800系(モハ822 - クハ852・モハ823 - クハ853。前身は京王2010系デハ2070 - サハ2575・デハ2069 - サハ2576)。
2007年度時点では、京王3000系電車を種車とする2両編成の車両を2008年中に2編成、2009年度と2010年度に各1編成、計4本8両導入して在来車を更新する計画があった[15]。しかし車体幅が広すぎることや、直流1,500 Vからの降圧対策工事費を勘案した予算計上が困難なことから断念され、代替として銚子電鉄と同じ直流600 Vの鉄道線で運行しており、京王3000系譲受車での置き換えが決定していた800系(車体幅2600mm)を譲受したものである[16]。導入時の工事などで1億4000万程度の予算が見込まれており、そのうち2000万円を債権化して、1口10万円(200口募集)で車両支援オーナーと命名権を募っている。
伊予鉄道からの車両譲受はデハ800形に次ぐ2例目であり[注釈 2]、2009年度内にデハ700形とデハ800形を置き換える予定だったが、諸般の事情により大幅に遅れ、2010年7月24日に営業運転を開始した。銚子電鉄では初めてドアチャイムおよび客室冷房装置を搭載した車両である。
銚子方先頭車のデハ2000形(Mc)と、外川方先頭車のクハ2500形(Tc)からなる2両固定編成を組成する。前面はデハ2000形が非貫通形2枚窓の湘南形、クハ2500形は伊予鉄道時代の改造により、貫通形3枚窓の意匠を持つ。パンタグラフはデハ2000形の連結面側(外川方)にあり、2001編成のみ一時的にシングルアーム式に換装されていた時期があった[17]
2001編成の車体塗色は当初、京王時代の塗色を復刻したライトグリーン単色塗りであったが、2017年12月にクハ2501のみ青色系のツートンカラーに変更され[18]、翌2018年12月にはデハ2001も同様の塗色に変更された。前面はデハ2001のみ金太郎塗りとなっている[19]
2002編成の車体塗色は当初、アイボリー単色の上にイオン銚子ショッピングセンター(その後イオンモール銚子に改称)のラッピング広告が貼り付けられたものであったが、後に前面に赤帯が追加され、2012年12月にイオンモール銚子のラッピング広告が剥がされた後は、赤帯が側面にまで回り込む塗色となっていた。2013年9月にはデハ2002の先頭部のみ茶色と赤のツートンカラー(旧標準色)が復刻された[20]。その後、2014年1月に笠上黒生駅で脱線して走行不能になったが、千葉県立銚子商業高等学校の生徒らがクラウドファンディングで費用を集めて修理され[21]、旧標準色に復刻されたうえで[22]2015年4月から営業運転に復帰している[21][23]
2018年に2001編成の内装が大正ロマンをモチーフに改装され、「金太郎ホーム号 大正ロマン電車」として運行を開始した[24][25]
2022年11月にはデハ2002の車端部に、しなの鉄道169系電車で使用されていたクロスシートが設置された[26]。同年12月には2002編成の車両ドアに不具合が生じたため、北陸鉄道8000系電車の廃車発生品に交換された[27]
後述する22000形の導入によって、2001編成(デハ2001-クハ2501)が引退し、2024年3月19日に解体・搬出された[28]
3000形
デハ3001-クハ3501
もと伊予鉄道700系(モハ713 + クハ763。前身は京王5100系デハ5103 + クハ5854)。2016年3月26日に営業運転を開始した。
塗装は銚子の海をイメージした往年のトロッコ車両ユ101(澪つくし号)を復刻したものとなっている。2022年11月には、クハ3501の車端部に、しなの鉄道から169系で使用されていたクロスシートを譲り受けて設置した[26]
22000形
クハ22007 - デハ22008[29]
もと南海電気鉄道2200系(モハ2202 + モハ2252)。京王重機での改造を経て[30]、2024年3月29日に営業運転を開始した[29]
塗装は、22000系時代のものを復刻したエメラルドグリーンである[30]
愛称は「シニアモーターカー[31]デハ1000形以来となる「中古の中古」でない車両である[32]

電気機関車

デキ3形
デキ3
1922年ドイツアルゲマイネ社(AEG、現在のエレクトロラックスおよびアルストムの一部)で製造された凸型電気機関車。1067mm軌間の電気機関車としては現存最小である。宇部地方の炭坑(沖ノ山炭坑)から1941年より銚子電鉄に移籍、ヤマサ醤油の工場へ原料などの材料を運んでいた(当初は客車も牽引していた)。1984年に貨物営業廃止に伴い、営業運転から退いた。現在では有志により修理・点検がなされ、仲ノ町車庫で動態保存されており、有料で見学ができる。車籍は存置されているが、法定検査期限が切れていることと、制動装置が手ブレーキとコントローラーによる非常用発電制動のみでいずれも自車のみの作用であり、エアーブレーキによる貫通制動を持たないことから、本線運転に就くことができない。
2009年9月22日に旧塗装に塗り替えられた。また2012年4月4日に集電装置がビューゲルからトロリーポールに戻され[33]、同時に再整備の上、4月7・8日のイベントでお披露目された。2013年には再び黒一色に戻っている。

過去の車両

電車

デハ1形
デハ1-3
電化にあたり木製電動客車3両を伊那電気鉄道より譲り受けた。1917年(大正6年)汽車製造製、定員44人。
デハ100形
デハ101
1939年・日本鉄道自動車工業製で当初はホデハ101を名乗り、11m木造車体・直接制御の小型ながら銚子電鉄初のボギー車であった。台車は下野電気鉄道(後の東武鬼怒川線矢板線)が1926年に雨宮製作所で製造、その後間もない1929年の改軌で余剰化した762mm軌間木造電車デハ103号発生品の雨宮式板台枠台車を1067mm規格に改造して流用。車体は1953年に日本鉄道自動車で半鋼製に更新された。当初ポール集電、のちビューゲル集電となった。デハ700形入線以降予備車となり、1999年の廃車後は笠上黒生駅で物置として使用されていたが、老朽化が激しく2009年9月に解体された。解体後、台車の一つは上毛電気鉄道に寄贈された後大胡駅に隣接した車両基地に保存され、もう一つは東武博物館で保存された。前記NHK連続テレビ小説「澪つくし」の撮影にも使用され、撮影の際には登場当時の茶色に塗り替える話も持ち上がったが、塗装変更費用が高いためにやむなく側面に社章を入れた(時期設定は大正末期から終戦後の昭和までだったため、実際だと当時はポール集電だったこともあり「違和感がある」、「違う」といったNHKへの声が視聴者やファンから相次いでいたという)。貨車(自社でワフ1という木造貨車を所有していた)の牽引についていたこともある[要出典]
デハ200形
デハ201
京成電鉄モニ7の台枠と新造の木造車体、京成手持ち部品の機器を組み合わせた車両。晩年は外板に鋼板を貼付けた「ニセスチールカー」となっていた。デハ700形の入線により1979年廃車。
デハ300形
デハ301
元、日本国有鉄道モハ115で、JR鶴見線の前身鶴見臨港鉄道からの買収車。ドアエンジン電磁弁を介さず運転台から直接、空気コックの開閉で操作されるものであった。内野屋工務店傘下になる前はトロリーポール(後にビューゲル)集電であった。晩年は架線点検車としていたが、2008年末限りで廃車となり、2000形導入準備のためデハ100形に続いて2009年10月に解体されている。この車両が解体されたことにより、現存する鶴見臨港鉄道自社発注の車両は皆無となった。
デハ500形
デハ501
この車両も日本鉄道自動車製。元近江鉄道クハ23(2代)→上田丸子電鉄(現・上田電鉄)モハ2321。銚電初の間接制御車・パンタグラフ集電・蛍光灯照明・暖房装備車。前面は銚子寄りが非貫通形、外川寄りが貫通形。パンタグラフは外川寄りにあった。入線当初はアイボリーに窓回りと雨樋が朱色という塗色であったが他車に波及はせず、その後まもなくデハ201に塗られた西武赤電色に類似したベージュとローズピンクが1990年までの銚電標準色となった。全長12m弱の車体の割に4個モーターのため消費電力が大きかったためかデハ800形入線以降は予備車となり、後述のトロッコ車両ユ101を牽引する夏季か、在籍車総出となる元日朝に使用される程度であった。1999年の廃車以降は犬吠駅で車体の外川寄り3分の2が、元相鉄モニ2022の車体とともに、当初は直営のレストラン、2007年1月現在はNPO運営の喫茶店として使用されていた。2010年8月現在諸事情により休業中であったが、2012年7月下旬にモニ2022とともに解体処分された[34]
デハ700形
デハ701・デハ702
1928年川崎造船所で製造された近江鉄道の電動貨車デユワ101形を1941年日本鉄道自動車で鋼体化したモハ51形51・52を、1978年に譲り受けたもの。
デハ702は、2010年1月23日に、さよなら運転を行って営業運転を終えた。なお、デハ701のさよなら運転は当初2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われて営業運転を終え、2011年秋には千葉県いすみ市にある「ポッポの丘」に2両とも移された。
デハ800形
デハ801
元は1950年に製造された伊予鉄道クハ400形405→モハ100形106。銚子電鉄には1985年に譲渡された[注釈 2]。伊予鉄道時代に片運転台化・両運転台化の両方の改造を受けており、前面形状が銚子寄りは3枚窓非貫通形、外川寄りは3枚窓貫通形(ただし、貫通扉は固定されているため実質的に非貫通形)となっている。パンタグラフは既設運転台側の銚子寄りにある。なお、デハ801のさよなら運転は、当初、2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われ営業運転を終えた。2019年4月現在、同車は外川駅の留置線に保存され、見学ができる。
デハ1000形
デハ1001・デハ1002
日立電鉄に譲渡される予定だった営団地下鉄2000形のうち、同社の計画見直しで譲渡が中止された[注釈 3]2046, 2040の車体に同形2033, 2039の運転台を組み合わせて両運転台化し、営団地下鉄1500形電車(2代)営団地下鉄3000系の機器・パンタグラフ・富士急行モハ5700形(元小田急2200形)の台車の取り付けを行ったもの。デハ800形同様、前面貫通扉は固定されている。パンタグラフは増設運転台側の外川寄りにある。
当形式は現役末期には2両連結して運行されることもあったが、単行運転を前提とした設計の為車両に総括制御装置が存在しておらず、連結運転時は運転士がそれぞれの運転台に乗り込み、汽笛などを合図に同時に操作を行っていた[35][注釈 4]。普段は密着連結器に自動連結器アダプターをつけていたが、併結運転の際はアダプターを外し、密着連結器同士で連結していた。
デハ1001は2007年4月26日から、ハドソンの支援を受けゲーム『桃太郎電鉄』シリーズ20周年記念のラッピング車両となった。当初3年間の予定であったが、2010年4月8日に継続実施が発表され、2012年5月16日まで続いた[36]。そして整備とともに塗り替えが行われ、今度は山吹色の銀座線カラーに塗装変更され、2012年8月11日のイベントで初公開された。この銀座線塗装は一般向けに募ったアンケートで最も多かった意見として採用されたものだが、末期の1色塗りである[37]。また方向幕にはイベント用として「渋谷」「上野」「浅草」がコマに入っていた。2016年に引退記念で屋根の鉛丹塗装が復活し、2月28日のさよなら運転「〜昭和の名車 ありがとう〜おつかれさま デハ1001 イベント」をもって営業運転を終了した[38][39]。2016年3月24日現在、デハ1001は松戸市にある私設博物館昭和の杜博物館にて保存されている(移送の都合で車体を2分割にして搬送したのち、現地で結合)。
デハ1002は小学館の支援を受け漫画『鉄子の旅』の原作者菊池直恵考案の特別塗装に変更されたがこの塗装は2011年9月で終了し、その後赤い車体に白帯の丸ノ内線カラーに塗装変更され、2011年11月26日から営業運転に復帰した。方向幕もかつての「方南町中野坂上」を模した「銚子⇔外川」とされ、さらにイベント用として「方南町⇔中野坂上」「中野富士見町」がコマに入れられた。2015年1月10日のさよなら運転「ありがとうデハ1002号」を最後に営業運転を終了した[40]。その後は仲ノ町車庫に留置され、ワンマン表示機のあった場所に「事業用」の表示がつき、まれに入換で自走することがある[注釈 5]。銚子電鉄によると資金等の問題で時期は未定ながらも、運転体験用の車両として修理する計画がある。

客車

ハフ1形
ハフ1・ハフ2
銚子鉄道が開業した1923年に雨宮製作所で新造された木造2軸の荷物合造緩急客車ハニ1・2が前身。当初はダブルルーフの屋根で、車体の一部が荷物室だった。1939年に台枠を流用し、日本鉄道自動車で半木製車体に載せかえられてハフ1・2になり、荷物室はなくなった。機関車に牽引されていたこともあれば、電車に牽引されていたこともある。1978年に老朽化とデハ700形導入のため廃車解体。
ユ101
ユ101
国鉄ワム80000形貨車[注釈 6]国鉄大宮工場新小岩車両センターで1985年に改造したトロッコ客車。銚子を舞台にしたNHK連続テレビ小説澪つくし」にちなみ「澪つくし号」の愛称を持つ(澪つくしで主演を務めた沢口靖子が名付けた)。記号の「ユ」は「遊覧」客車のユ。番号の「101」はその「澪つくし」に頻繁に登場したデハ101(前記)から。1985年8月の登場以来、2006年まで休日や夏休み時期を中心に、当初は電動機出力に余裕のあるデハ501、末期はデハ801・デハ1001・デハ1002のいずれかによって牽引されていたが、2007年以降は保安基準など諸々の事情により休車となり、笠上黒生駅に留置されている。しかし状態が悪く、修繕が難しいため、2012年3月31日に廃車となった[41]が、2021年8月現在も笠上黒生駅にほぼ放置状態で留置されている。

蒸気機関車

1050形
1051
タンク式蒸気機関車。元は中越鉄道の機関車で開業時から使用されており国有化後に払下げを受けた。1926年より1937年まで在籍していたが多客時に年に数回動く程度であったという。同形機の1052が富山県砺波市の砺波チューリップ公園に保存されている。詳細は国鉄1100形蒸気機関車#中越鉄道を参照

施設

変電所は当初は仲ノ町駅構内にあった。回転変流器(出力100kW)1台であったが1935年廃線となった塩原電車から回転変流器(出力200kW)を移設し増強。さらに戦後は蒲原鉄道より購入した電動発電機(出力125kW)2台に置き換えた。やがて老朽化により1965年1月に故障し1か月運転休止する事故が発生した。ようやく1977年6月になり笠上黒生駅構内にシリコン整流器(出力300kW)を設置した変電所を新設した[42]


注釈

  1. ^ 鉄道ピクトリアル」2009年9月号によると、前述の「房総の休日」と「自然科学」はいずれもキハ17系・キハ20系の2連から4連で運転されており、全車がキハ17系で組成された4連はもちろんのこと、キハ17系にキハ20系を1両連結した編成は問題なく観音駅構内のカーブを通過できていたという。しかし、全車がキハ20系で組成された編成(両数は不明)が接触事故を起こした。なお、問題となった観音駅構内のカーブは後年改良されている。
  2. ^ a b デハ800形は伊予鉄道での800系導入による置き換えで譲渡された経緯がある。
  3. ^ 同社への譲渡車については日立電鉄2000形電車を参照。
  4. ^ この方式は、鹿児島交通枕崎線で運行されていたキハ100形でも見られたほか、銚子電鉄では1980年代までこの方式で運転されていたことがあった。
  5. ^ 22000系が導入された際に牽引しているのが確認されている。
  6. ^ 旧車号について、運転一周年を記念して発売された記念乗車券の裏側と、鉄道友の会の会誌「RAILFAN」の2010年6月号には「ワム183983」と記されている。

出典

  1. ^ a b 鉄道事故調査報告書 (PDF) - 運輸安全委員会
  2. ^ 電車内の案内放送と案内表示板のリニューアルについて - 銚子電気鉄道、2019年2月12日閲覧
  3. ^ 『岬へ行く電車』61-62頁
  4. ^ a b ちばの鉄道一世紀』(p199)
  5. ^ 小川功「京成グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.632、118頁
  6. ^ “今年創立70周年の銚子電気鉄道 “ユネスコ構想”着々と”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年6月8日) 
  7. ^ TBSニュース 銚子電鉄踏切で衝突事故、2人大けが
  8. ^ 銚子電鉄:電車が脱線、乗客けがなし…笠上黒生駅 - 毎日新聞、2014年01月11日
  9. ^ 銚子電鉄のネーミングライツによる駅名愛称の運用スタート』(プレスリリース)銚子電気鉄道、2015年12月1日http://www.choshi-dentetsu.jp/detail/news/322015年12月6日閲覧 
  10. ^ “駅名「かみのけくろはえ」 銚子電鉄が7駅で愛称”. 毎日新聞. (2015年12月3日). http://mainichi.jp/articles/20151203/k00/00e/040/165000c 2015年12月6日閲覧。 
  11. ^ 銚電社長が免許取得 運転士“兼任”に意欲 お客さまと接点を 社員の業務緩和も - 千葉日報(千葉日報社)、2016年8月11日閲覧
  12. ^ 銚子電鉄社長、次の企みは「経営がまずい棒」自虐ネタで集客「苦しい時こそ笑いを」「銚子のシンボル存続させたい」 - 税理士ドットコム、2018年6月16日閲覧
  13. ^ 銚電ネーミングライツ”. 銚子電気鉄道 (2021年2月12日). 2023年8月28日閲覧。
  14. ^ 鉄道旅客運賃の変更認可および改定について”. 銚子電気鉄道 (2019年9月27日). 2019年10月8日閲覧。
  15. ^ 07年度 銚子電気鉄道 安全報告書”. 銚子電気鉄道. 2009年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月13日閲覧。
  16. ^ 車両支援オーナー募集と車両愛称命名権売却要旨 2009年7月4日 銚子電気鉄道ホームページ
  17. ^ 銚子電鉄デハ2001が菱形パンタグラフに戻る”. railf.jp. 交通新聞社 (2018年9月16日). 2024年5月26日閲覧。
  18. ^ 【銚子電鉄】2001編成重要部検査施行 - 鉄道ホビダス RMニュース、2017年12月29日
  19. ^ 【銚子電気鉄道】デハ2001 塗装変更 - 鉄道ホビダス RMニュース、2018年12月19日
  20. ^ 【銚子電気鉄道】2002編成一部復刻カラーで登場 - 鉄道ホビダス RMニュース、2013年9月24日
  21. ^ a b 銚子電鉄の脱線車両、1年3カぶり復帰 支援の銚子商生徒ら乗車 千葉 - 産経ニュース、2015年4月5日
  22. ^ 銚子電気鉄道2000形2002編成が試運転 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2015年3月19日
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  24. ^ 「金太郎ホーム号・大正ロマン電車」出発式について』(プレスリリース)銚子電気鉄道、2018年7月22日https://www.choshi-dentetsu.jp/news/1462/2023年7月9日閲覧 
  25. ^ 「金太郎ホーム号 大正ロマン電車」の運行再開について』(プレスリリース)銚子電気鉄道、2018年7月22日https://www.choshi-dentetsu.jp/news/1454/2023年7月9日閲覧 
  26. ^ a b おおっ!! 銚子電鉄に「ロマンスシート」誕生 99年目にして初”. 乗りものニュース (2022年11月11日). 2022年11月13日閲覧。
  27. ^ 銚子電鉄“再びピンチ” 救ったのはローカル鉄道“同士の絆”…開業100周年コラボも”. テレ朝news. テレビ朝日 (2022年12月23日). 2023年2月18日閲覧。
  28. ^ 銚子電気鉄道 笠上黒生、鉄道ホビダス、2024年3月19日。同年同月26日閲覧。
  29. ^ a b “銚子電鉄22000形(もと南海2200系),3月29日から営業運転を開始”. 交通新聞社. (2024年3月26日). https://railf.jp/news/2024/03/26/093500.html 2024年5月26日閲覧。 
  30. ^ a b “南海の名車がデビュー時の形式・カラーでいよいよ千葉に復活 銚電が新型車両「22000形」出発式(千葉県銚子市)【レポート】”. 鉄道チャンネル. (2024年3月10日). https://tetsudo-ch.com/12948513.html 2024年3月12日閲覧。 
  31. ^ “銚子電鉄22000形は、3/29(金)より営業運転を開始します。”. 銚子電気鉄道. 2024年3月25日閲覧。
  32. ^ 銚子電鉄、30年ぶりの「中古の中古」ではない新車両をお披露目」『朝日新聞』朝日新聞社、2024年3月10日。2024年3月11日閲覧。
  33. ^ ちょうでんのブログ2012年4月4日
  34. ^ RMニュース「デハ501、元相模鉄道モニ2022 解体」
  35. ^ 銚子の元丸ノ内線車両が引退 運転士2人が同時に運転する珍しい方法で 乗りものニュース 2014年12月16日
  36. ^ ちょうでんのブログ2012年5月16日
  37. ^ ちょうでんのブログ2012年6月6日
  38. ^ おつかれさま デハ1001 イベント - 銚子電気鉄道、2016年2月20日閲覧
  39. ^ 銚子電鉄の電車たち - 銚子電気鉄道、2015年9月2日閲覧
  40. ^ 2015年1月10日(土) 引退記念運行決定! - 銚子電気鉄道、2014年12月27日閲覧
  41. ^ 銚子電鉄のパンフレットより
  42. ^ 白土貞夫『銚子電気鉄道』(上)ネコパブリッシング、2011年、20-21頁


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