野間左衛 野間左衛の概要

野間左衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 12:58 UTC 版)

野間左衛 (年月不明)。

来歴

1883年明治16年)9月16日徳島県に生まれる。徳島師範学校(後の徳島大学)卒業後、地元の徳島県で小学校教員(訓導)となる。1907年(明治40年)、野間清治と結婚して上京。

1909年(明治42年)4月に長男・出産する。同年11月、大日本雄弁会(現・講談社)の創立にあたり、夫の清治を助け「創業の母」と呼ばれた。

1910年(明治43年)11月に次男・康清を出産するが、翌1911年(明治44年)に亡くしている。

1938年昭和13年)2月、恒は町尻量基の長女・登喜子と結婚するが、同年10月16日に清治が、11月7日に恒が急逝したため、講談社第3代社長に就任する。

1939年(昭和14年)10月13日、 清治の遺志により財団法人野間奉公会(現・野間文化財団)を設立。1941年(昭和16年)に野間文芸賞及び野間文芸奨励賞の野間賞を創設。

1945年(昭和20年)11月、登喜子と結婚して野間家の養子となった省一に社長職を譲る。1955年(昭和30年)8月1日死去。71歳。墓所は護国寺の野間家墓地。

参考文献

関連文献

  • 『しのぶ草―野間左衛追悼録』 野間左衛追悼録編纂会、1957年
  • 魚住昭 『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』 講談社、2021年

外部リンク

先代
野間恒
講談社社長
第3代(1938年 - 1945年
次代
野間省一



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