極東放送 (沖縄) 資本構成

極東放送 (沖縄)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 20:26 UTC 版)

資本構成

1978年3月31日時点。出典:[5]

資本金 授権資本 1株 発行済株式総数
7000万円 2億7000万円 1000円 70,000株
株主 株式数 比率
長濱弘 [6] 15,000株 21.42%
隅元吉春 [7] 05,000株 07.14%
小佐野栄 [7] 05,000株 07.14%
藤村昇 [7] 05,000株 07.14%
松岡正雄 05,000株 07.14%
内田昇 05,000株 07.14%
金城睦保 05,000株 07.14%
上原勇吉 05,000株 07.14%
比嘉寛玄 05,000株 07.14%
山田託哉 05,000株 07.14%
久手堅憲徳 05,000株 07.14%

沿革

  • 1945年(昭和20年)12月20日 - アメリカの宗教系法人「極東放送」(FEBC)、アメリカのロサンゼルスで設立。
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月 - FEBC内に沖縄放送局設置準備委員会設置。
    • 5月 - FEBC沖縄放送局、施設工事開始。
    • 9月20日 - 米国民政府、書簡によりFEBC沖縄放送局を認可(呼出符号KSAB、周波数1020kc出力5kW)。
  • 1958年(昭和33年)
    • 2月23日 - FEBC沖縄、英語と日本語の2カ国語により放送開始(6時から8時までと21時から23時までは日本語番組)。
    • 4月3日 - FEBC沖縄、KSAB局の奉献式を挙行。
  • 1959年(昭和34年)3月 - 米国民政府、FEBC沖縄に第2波を認可(呼出符号KSDX、周波数1250kc、出力5kW)。
  • 1960年(昭和35年)
    • 2月7日 - KSDX局、日本語専門局として放送開始。KSAB局は英語専門局に[8]
    • 6月8日 - FEBC沖縄、社屋で火災発生(原因は電気回線のショート)。
    • 前半 - 米国民政府、FEBC沖縄に第3波を認可(呼出符号KSBU、周波数1360kc、出力100kW)。
  • 1961年(昭和36年)
    • 1月 - KSBU局、中国語専門局として放送開始。
    • 5月1日 - FEBC沖縄、KSBU局の奉献式を挙行。
  • 1960年代 - FEBC沖縄、PM(“Portable Missionary”)計画実施。ラジオを持たない家庭にKSDX局だけが受信できる携帯ラジオを貸し出し。
  • 1970年(昭和45年)
    • 11月12日 - FEBC沖縄、琉球政府に「財団法人極東放送」設立許可申請。
    • 11月28日 - FEBC沖縄、琉球政府に放送局(日本語・英語の2局)の免許申請。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月29日 - (韓国)電波管理局、「亜細亜放送局」に無線局許可(呼出符号HLDA、周波数1570kHz、出力250kW)。
    • 6月17日 - 「復帰後の沖縄における外国人及び外国企業の取扱いに関する愛知外務大臣発マイヤー駐日アメリカ合衆国大使あて書簡」により、FEBC沖縄(極東放送会社)に対する無線局免許について必要な措置をとることを保証。
    • 9月27日 - FEBC沖縄、英語局の免許申請取り下げ。
    • 12月8日 - (韓国)文化弘報部、「財団法人亜細亜放送局」設立許可。
  • 1972年(昭和47年)
    • 5月15日 - 沖縄の日本復帰に伴う特別措置(「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」(昭和46年法律第129号)第132条第1項および第2項による)として、日本語局は放送事業を継承する日本法人の設立まで1年間の放送継続が認められ(呼出符号はKSDXからJOTFに変更)、英語局は5年間の放送継続が認められた(呼出符号はKSABからJOFFに変更)。中国語局は廃止。
    • 6月20日 - (財)極東放送(日本語放送、設立申請中)に予備免許(呼出符号JOTF、周波数1250kHz、出力5kW)。
    • 12月15日 - 「財団法人極東放送」設立許可(略称はKHR)。(財)極東放送に本免許、放送開始。
  • 1973年(昭和48年)
    • 2月23日 - (財)極東放送、日本民間放送連盟に加盟。
    • 6月27日 - (韓国)電波管理局、亜細亜放送局に放送局許可。
    • 6月30日 - (韓国)亜細亜放送局、奉献式及び開局式を挙行、放送開始。
    • 10月 - (財)極東放送、FM東京(TFM)とネットワーク覚書協定書締結。
  • 1977年(昭和52年)1月15日 - FEBC沖縄放送局(英語放送)廃止。FEBC沖縄、活動停止。
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月27日 - 「株式会社極東放送」設立登記(略称はKHR)。
    • 3月31日 - (財)極東放送、郵政省に廃止届を提出。(株)極東放送、開局申請[9]
    • 4月21日 - (財)極東放送に解散許可。(株)極東放送に予備免許(呼出符号JOTF、周波数1250kHz、出力5kW)[10]
    • 4月24日 - (財)極東放送廃止。同財団所有の施設・資産・負債・従業員等事業の一切を(株)極東放送に継承。
    • 4月25日 - 極東放送、財団法人から株式会社に改組[10]。(株)極東放送に本免許、放送開始。
    • 8月26日 - (株)極東放送、超短波(FM)放送局免許申請。
    • 11月23日 - 全国一斉周波数9kHzステップ変更で1251kHzに。
  • 1983年(昭和58年)9月19日 - 郵政省、(株)極東放送に中波局の廃止を条件にFM局の予備免許[11][12]
  • 1984年(昭和59年)
    • 8月31日 - (株)極東放送の中波放送廃止。
    • 9月1日 - (株)極東放送、「株式会社エフエム沖縄」に改組・社名変更。エフエム沖縄に本免許(呼出符号JOIU-FM、周波数87.3MHz、出力1kW)、放送開始。

主な番組

自社制作番組

☆印はエフエム沖縄で継続した番組

平日朝

平日昼前

  • ハミング歌謡曲→ハミングプラザ

平日昼過ぎ

  • ミュージックメニュー「あなたと私のランチタイム」
  • ナツメロ広場〜電リク大作戦
  • テンミカチ・ドンミカチ・ヒヤミカチ

平日夕方

  • 4時です。もう一息
  • ほろ酔いジョッキー☆

平日夜

  • 垣花勝也の演歌心120分
  • NAHOKOのスマッシュ・リクエスト
  • 金城キク・クラシック・ギャラリー☆
  • 尚学院アワー☆[15]

平日深夜

  • ナツメロ夜行列車
  • 民謡千一夜
  • メロディー・フェア☆

土曜日

  • ハイハーイ土曜日です
  • 花の演歌 土曜日
  • 浮気なサタディ
  • イフコ・ホット・サタディ
  • バクテン!!歌謡曲

日曜日

  • モーニンモーニン・モーニング
  • 民謡ワイド・スペシャル
  • 森沢信夫のナツメロ・サンディ
  • ブレンド・MUSIC

その他

  • KHRミュージックプレゼント
  • 明るいミセス
  • サウンド・ポシェット
  • サウンド・オフィス
  • ワンマンショウ
  • ミュージック・ポスト
  • 6時です山川始の演歌登場
  • KHRチャレンジ・ナイター→KHRウィークエンド・ナイターラジオ日本ジャイアンツナイターからのネット受け)
  • バックリ・バック
  • Feel so good→サウンドタペストリー
  • ミュージックファンタジー
  • KHR歌のこだま
  • お早うさわやかさん
  • 新人歌手登竜門民謡十人抜き
  • お楽しみ琉球民謡ディスクジョッキー
  • 歌謡曲をあなたに
  • 週間ラジオ瓦版
  • 朝の歌謡バラエティ
  • サウンドプラザ11
  • 今週のビルボード
  • ひで坊・ドジ坊のそれゆけ青春大通り
  • ミッドナイトエクスプレス
  • スクリーンへの招待[16]

ネット番組

  • 1983年10月改編時[17]

エフエム東京

など。

基本、独立局でありながら、エフエム東京との番組業務提携の関係から、スポンサードネットや番販ネットも数多く存在した。また、当局で放送されたエフエム東京のほぼ全ての番組がエフエム沖縄に引き継がれた。

アール・エフ・ラジオ日本

  • ジャイアンツ情報
  • がんばれジャイアンツ!栄光の巨人軍
  • 原辰徳・青春讃歌

など、ジァイアンツ関連番組編成が中心だった。

エフエム東京の番組とは対照的に、アール・エフ・ラジオ日本の番組はごく一部の番組を除き、廃局と同時にエフエム沖縄に引き継ぐことなく打ち切られた。また、年跨ぎで放送された「ゆく年くる年」は、中波放送局ということで、在京AM3局(TBSラジオ文化放送ニッポン放送)持ち回り制作版を放送した[21]

FEBC時代の番組(1972年まで)

自局制作番組 (KSDX → JOTF)

  • 農漁村の皆様へ(『ハイサイウキミソーチ』の前身番組)
  • 女性専科1250kHz
  • ナイトジョッキー910
  • ハイファイ音楽鑑賞会[22]
  • ステレオコンサート[22]

など

また、宗教放送局の特性から所々にキリスト教関連番組や聖歌・ゴスペル・讃美歌などの宗教音楽(ともに5分〜60分)が昼夜問わず放送されていた。当然ながら上記番組に対しても当時のFEBC沖縄の方針でスポンサーはつけないため、CMを流すことはできなかった。また、日本語局と英語局の2波サイマル放送による音楽番組の立体放送(ステレオ放送)を積極的に行われたのも特筆である。なお、立体放送は復帰後の分局化に伴い終了した。

ネット番組

日本復帰前当時はNHKのような公共放送のラジオ局が沖縄になかったため(1967年に沖縄放送協会(現・NHK沖縄放送局)が設立したが、テレビのみの運営だった)、RBCラジオKSAR局・ラジオ沖縄とともに琉球政府文教局番組協賛NHKラジオ第2放送の学校番組をKSDX局(日本語局)で放送した。当局では主に英語と音楽の授業内容を放送していた。日本復帰後に放送を打ち切り、1972年6月25日にNHK第2が沖縄で開局したと同時に移行した。
日本復帰前から復帰後の財団法人時代まで放送。その後ラジオ沖縄→RBCラジオに移行したが、1989年頃にエフエム沖縄(極東放送改組後の社名)に再移行した。復帰前まではスポンサーなしの「英教日本英語教育協会[23]協力」だったが、復帰後は「英教提供」としてスポンサーについた。

など

ただ、これらのネット番組については、前述の通り宗教放送局の運営資金上CMは流せなかったのだが、自局制作番組と違い、企業・団体からの寄付名目である「番組協賛」という条件でスポンサーをつけていた(上記プロテスタント系団体や文教局を除き通常はスポンサーをつけない)。


  1. ^ 当時は実験局で後に実用化試験局となり、1969年3月1日から本放送となった。ちなみに、沖縄では全国本放送開始から遅れて、復帰後の1974年3月24日に開局した。
  2. ^ @fm_okinawa (2022年5月15日). "外国法人が持っていた、宗教放送、米軍との距離が近い。…". X(旧Twitter)より2022年5月16日閲覧
  3. ^ 第68回国会 衆議院 決算委員会 第3号 昭和47年4月4日PDF) - 国会会議録検索システム
  4. ^ @fm_okinawa (2022年5月15日). "「極東放送が復帰後も継続に至った理由は…". X(旧Twitter)より2022年5月16日閲覧
  5. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、345頁。 
  6. ^ 極東放送 代表取締役社長
  7. ^ a b c 極東放送 取締役
  8. ^ 新しいダイヤル登場 極東放送 きょう第二放送開始 - 琉球新報1960年2月7日朝刊5面
  9. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年3月)」『月刊民放』第8巻第6号、日本民間放送連盟、1978年6月1日、50頁、NDLJP:3470910/26 
  10. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(1978年4月)」『月刊民放』第8巻第7号、日本民間放送連盟、1978年7月1日、50頁、NDLJP:3470911/26 
  11. ^ 「放送」『月刊アドバタイジング』第28巻第11号、電通、1983年10月25日、72頁、NDLJP:2262018/38 
  12. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(58年9月)」『月刊民放』第13巻第12号、日本民間放送連盟、1983年12月1日、54頁、NDLJP:3470976/28 
  13. ^ 「ハイサイ ウキミソーチ」は「どうも おはようございます」、「ミークハヤー(ミークファヤー)」は「目覚まし」を意味する。
  14. ^ FM沖縄に移動後放送時間が縮小し、のちに終了。メインパーソナリティを長年務めていた吉田安盛は放送終了半年前に降板、放送局をラジオ沖縄に移して『安盛の暁でーびる』をスタートさせている。
  15. ^ 当時は23:00からの放送で早朝にも再放送したが、FM沖縄改組時に本放送を6:30に移行、再放送は廃止し「さわやか学習」のサブタイトルをつけて放送した。
  16. ^ 2021年9月26日まで放送された。
  17. ^ 三才ブックスラジオ番組表速報版」1983年秋号
  18. ^ FM局では日本ビクター(現・JVCケンウッド)がスポンサーだったが、当局ではその地元子会社(沖縄ビクター販売)がスポンサーだったため、事実上の番販ネットだった。
  19. ^ FM局ではタイトル通り25:00(1:00)から放送されていたが、当局ではFM局から一週間遅れの24:00(0:00)からノンスポンサーで放送されていたため、「FM25時」を名乗ることはできなかった。また、24:00の時間、FM局ではJET STREAMを放送しており、当局ではFM沖縄に改組・転換されるまで放送されなかった。
  20. ^ 「2ヶ月間番組スケジュール」『ラジオライフ』第1巻第4号、三才ブックス、1980年12月1日、44頁。 
  21. ^ 1972 - 1973年版から1983 - 1984年版までの放送。FM沖縄改組後はJFN版の年跨ぎ放送をネットしている。
  22. ^ a b 日本語局と英語局(KSAB → JOFF)による2波同時の立体放送(ステレオ放送)
  23. ^ 2009年9月1日付けで財団法人(現・公益財団法人日本英語検定協会に合併され、現在はその通信教育部となっている。
  24. ^ “ラジオDJ仲地昌京さん死去 RBCで懐メロ番組、極東放送でも 85歳”. 琉球新報DIGITAL. 琉球新報社. (2022年3月11日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483649.html 2022年3月11日閲覧。 





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