森於菟 森於菟の概要

森於菟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 22:51 UTC 版)

来歴

1890年9月13日に東京府で、森鷗外と最初の妻・登志子(海軍中将赤松則良の長女)との間に長男として生まれた。その直後に両親が離婚、生まれて間もない授乳期の於菟は、数え年の5歳まで本郷森川町(現・文京区本郷6丁目辺り)のタバコ屋、平野甚三方(歌人平野万里の実家)に預けられた。森家に引き取られると、支配的な祖母の峰によって厳しく育てられ、父鷗外と同じように熱心な教育を受けた。生き別れた実母が1900年に病死。1902年に父鷗外が再婚。新しい母ができたことを喜んだが、義母の志げは於菟に冷たかった。

父が日露戦争に出征していた1905年春、獨逸学協会学校中等部を同窓生より2歳若く卒業したが、第一高等学校(旧制一高)の受験に失敗。翌1906年、医科志望者のためのドイツ語主体の学部である旧制一高の第三部に入学。1908年4月、祖母に連れられ、滋賀県土山村(現・甲賀市土山町)常明寺へ、客死した曾祖父、森白仙の墓参に行った帰りに静岡県磐田市の亡母方の祖父母を訪ね、はじめて挨拶をした。その後、異父妹の美代子と仲良くなるが、美代子は十代で病死した。1916年に祖母が死亡。同年林美代と結婚したがほどなく別れ、1918年に原富貴と学生結婚。1922年3月14日、夫の山田珠樹が欧州留学中であった異母妹の茉莉に同行し、欧州へ留学。見送りに来ていた父とは最後の別れとなった。

父の没後の1924年に帰国し、母校の東京帝国大学医学部助教授をへて、1945年の終戦まで台北帝国大学(現・台湾大学)医学部教授をつとめた。戦後は、1947年まで台湾大学医学院教授を務めて医学部長となり、帝国女子医学専門学校長東邦大学医学部教授・医学部長などを歴任した。

なお、兄弟4人の中で最初に父の回想記を書いており、その後3人の妹弟も続いた。特に「時時の父鷗外」『中央公論』1933年(後年『父親としての森鷗外』に収録)では、世間に知られていなかった事実、つまり父・鷗外にドイツ人女性の恋人がいたことを初めて公表した[1]。その中で、日露戦争中の鷗外が激戦地・南山を舞台につくった『扣鈕』ボタンの一節「こがね髪ゆらぎし少女」こそ恋人ではないかとし、中学生のとき父から片方のボタン(カフスボタンとされる)をもらっていたことにも触れた。

名の由来

寅年生まれであることから、鷗外が中国の古書『左伝』からを意味する「於菟」を取って付けた[2]。同じく、鷗外から、『史記』に書かれている虎の異名「山君(山の神の意)」を筆名としてもらっている[3]

家族・親族

著書

単著

共編著

共訳

改訂

  • 二村領次郎『近世解剖学 前編(本文)』森於兎改訂(14版)、金原商店、1930年9月。NDLJP:1049178 
  • 二村領次郎『近世解剖学 前編(附図)』森於兎改訂(14版)、金原商店、1930年9月。NDLJP:1049179 
  • 二村領次郎『近世解剖学 後編(本文)』森於兎改訂(14版)、金原商店、1930年9月。NDLJP:1049180 
  • 二村領次郎『近世解剖学 後編(附図)』森於兎改訂(14版)、金原商店、1930年9月。NDLJP:1049181 

  1. ^ 六草(2011)、46-50頁。
  2. ^ これに関しては南方熊楠の『十二支考』にも書いてあって、「楚人乳をこう虎を於菟という」と書いている。
  3. ^ しあはせなハンス』 グリム兄弟著、森於菟訳 (文芸春秋新社, 1948)
  4. ^ 「大宮の盆栽」Japanブランド化プロジェクト社団法人さいたま観光国際協会、平成24年3月
  5. ^ 『台湾の森於菟』森常治、ミヤオビパブリッシング宮帯出版社、2013年10月
  6. ^ 明日を待つ彼』 国民新聞政治部 編 (千倉書房, 1931)


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