日本カーバイド工業
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概要
カーバイドとは、炭素と金属元素の化合物のこと。石灰岩から得られる生石灰と、コークス(炭素)を高温で熱して生成する。良質な石灰岩を安定的に調達でき、また生成に必要なエネルギーを豊富な水資源による水力発電から得られる富山県魚津市で、1935年に創業。当時、カーバイドを原料とするアセチレン誘導工業は、化学工業の最先端だった。
その後、化学工業の発展とともに事業内容を拡げ、現在ではコア技術であるセラミックス焼成技術、樹脂重合技術、フィルム・シート技術を軸に、機能化学品、機能樹脂、電子素材、フィルム、ステッカー、再帰反射シートなどの製造・販売を行っている。主に『ハイエス』(Heat shrinkable filmとHigh senceより命名)ブランドを使用している[1]。
東京都に本社、大阪市に支店、富山県魚津市と滑川市に工場、京都府に製造所、富山県滑川市に研究開発センターを置く。
現在、普及している人造イクラの製法は、医薬品用カプセルを開発中に偶然発見したものである(現在は製造していない)。
魚津工場には、2000年代まで石炭炉が存在しており、同工場のシンボル的施設で、周辺からはどこからでもよく見えたという[2]。
沿革
- 1935年10月8日 - 国産肥料株式会社(1912年に日本電気工業として創業)、東洋窒素、日本海電気の3社間での合併の仮契約がなされ、会社設立[2](資本金83万7500円)。本店を富山県下新川郡道下村(現・魚津市)本新751番地に設置。
- 1936年
- 1937年12月 - ドイツのアーサーコッペル社製26t蒸気機関車2台を購入[4]。
- 1938年4月16日 - 上記の工場を魚津工場と呼ぶようになる[2][3]。
- 1940年
- 1943年
- 1944年
- 1945年
- 1946年10月 - GHQの指令により魚津工場の合成ゴム工場が中間賠償工場に指定されるが、同年11月に轉換操業の継続の許可を受ける[12]。
- 1948年
- 1949年5月16日 - 東京証券取引所に株式上場[15]。
- 1950年5月15日 - 日本カーバイド病院が竣工し、6月1日開院。魚津地域では初の病院で、病床40床、外科、内科、眼科、産婦人科、理学診療科[16]。
- 1952年4月 - 通産省令により中間賠償工場の指定解除[12]。
- 1953年5月30日 - 魚津工場の汚水排水により地元漁民との間で紛争が起きる[17]。
- 1956年
- 1957年10月9日 - 魚津工場の塩化ビニール工場で爆発事故が発生(3人死亡、24人重軽傷)[20]。
- 1959年
- 1961年11月26日 - 厚生会館が完成[23]。
- 1963年10月 - ハイエスフィルム開発班を編成[1]。
- 1964年9月18日 - ハイエス事業部発足[24]。
- 1966年8月20日 - 早月第一工場を早月工場に改称[25]。
- 1990年5月14日 - ふるさと創生事業を活用し、蜃気楼発生装置を開発[26]。
- 1994年 - 魚津工場の魚津駅専用鉄道を廃線[27]。同年、コネクター事業へ進出[28]。
- 2000年10月 - 社会人バレーボール・V1リーグ男子チーム(NCI)廃部。
- 2016年 - 早月工場内に研究開発センター/魚津・早月工場総合事務所を竣工(業務開始は翌年初)。栃木県佐野市、神奈川県平塚市にあった研究開発拠点を集約すると共に、魚津・早月工場の生産技術部門、管理部門、本社知的財産部門も同所に移転。
事業所
注釈
出典
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)136頁。
- ^ a b c d 『図説 魚津・黒部・下新川の歴史』(2000年6月28日、郷土出版社発行)212 - 213ページ『県東部の化学工業の中心』より。
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)307頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)197頁。
- ^ a b c d 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)58ページ
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)271ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)28、309頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)310頁。
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)58、59ページ
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)294ページ
- ^ 『井波 歴史のうねり六〇〇年』(1990年4月1日、 千秋謙治著、井波町開町六〇〇年記念委員会発行)280 - 283頁。
- ^ a b 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)64ページ
- ^ 草卓人、『富山廃線紀行』、2008年(平成20年)8月、桂書房
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)312頁。
- ^ 日本カーバイド工業(MINKABU、2023年12月27日閲覧)
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)280、298ページ
- ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)163頁。
- ^ 『北陸電力30年史』(1982年3月20日、北陸電力株式会社発行)554頁。
- ^ 『魚津市史 続巻現代編』(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)42ページ
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)108頁。
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)317頁。
- ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川総務部企画情報課発行)53頁より。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)319頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)322頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)323頁。
- ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)164頁。
- ^ 『魚津市史 続巻現代編』(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)163ページ
- ^ 『北日本新聞』1994年1月18日付朝刊6面『コネクター事業へ進出 OA機器のノイズ対策 年商30億円目指す 日本カーバイド』
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