概要
大阪府 で繊維業を営む堀伊助の長男として生まれ、1942年(昭和17年)、東京帝国大学 経済学部を卒業して外務省 入省[1] 。1950年イェール大学 留学[2] 。
イギリス 、ニュージーランド 、フィリピン 、米国 での在外勤務、経済局東西通商課長、通商産業省 参事官、イギリス 大使館公使兼ロンドン総領事[3] 。
1970年 (昭和45年)バンクーバー 総領事[4] 、
文化事業部長などを務めるが、その間に岸信介内閣 の総理秘書官 として安倍晋太郎 と机を並べる。1975年 (昭和50年)駐シンガポール 大使、1978年 (昭和53年)駐ポーランド 大使、1980年 (昭和55年)北海道 派遣大使、1982年 (昭和57年)駐イタリア 大使に就任して1985年 (昭和60年)外務省を退官。
その後、顧問をした南海電気鉄道 社長の川勝傳 の推薦もあって1987年 (昭和62年)から4年間パ・リーグ会長を務める。
1989年(平成1年)勲二等旭日重光章 受章[5] 。2013年9月28日、老衰のため死去[6] 。94歳没。
脚注
著書
名誉領事 領事
中川恒次郎代理 1889
斉藤幹代理 1890-
藤田敏郎 1895-
小幡酉吉 代理 1899-
田中都吉 1904-
岸某代理 1906-
鈴木榮作 代理 1908-
近藤愿吉
岩谷譲吉1910-1913
藤井某1913-
横山某代理
山崎平吉1917-1919
総領事館昇格1919
総領事
山崎平吉1919-1921
浮田郷次 1921-1924
乙津鋒次代理 1924-1925
中島清一郎1925-
玉木勝次郎
田村貞次郎
柴田某代理
郡司喜一1934-
豊田薫 1939-1940
鶴見憲 1940-1942
岡本季正 1942
日本軍による占領1942-1945
日本人入国禁止期間1946-1951
総領事館再開1952
二宮謙1952-1957
日向精蔵 1957-1960
前田憲作1960-1963
田中弘人1963-1964
上田常光 1964-1966
大使館昇格1966
全権大使
カテゴリ
在バンクーバー日本総領事 (1970年-1973年)
N/A
閉鎖
再開1952
N/A
今城登-1965
番徹夫1965-1967
神原富比古1967-1970
堀新助 1970-1973
村上謙1973-1974
小村康一 1975-1977
浅尾新一郎1977-1980
大森誠一1980-1982
中村泰三 1982-1983
片倉邦雄 1984-1986
丸山俊二1986-1988
吉田重信 1988-1990
林安秀1990-1994
野坂康夫 1994-1997
下荒地修二 1997-1999
楠本祐一 1999-2001
小澤俊朗 2001-2003
多賀敏行 2003-2006
大塚聖一 2006-2009
伊藤秀樹 2009-2012
岡田誠司 2013-2016
岡井朝子 2016-2018
羽鳥隆2018-2022
丸山浩平 2022-