堀新助 堀新助の概要

堀新助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 16:03 UTC 版)

概要

大阪府で繊維業を営む堀伊助の長男として生まれ、1942年(昭和17年)、東京帝国大学経済学部を卒業して外務省入省[1]。1950年イェール大学留学[2]

イギリスニュージーランドフィリピン米国での在外勤務、経済局東西通商課長、通商産業省参事官、イギリス大使館公使兼ロンドン総領事[3]1970年(昭和45年)バンクーバー総領事[4]、 文化事業部長などを務めるが、その間に岸信介内閣総理秘書官として安倍晋太郎と机を並べる。1975年(昭和50年)駐シンガポール大使、1978年(昭和53年)駐ポーランド大使、1980年(昭和55年)北海道派遣大使、1982年(昭和57年)駐イタリア大使に就任して1985年(昭和60年)外務省を退官。

その後、顧問をした南海電気鉄道社長の川勝傳の推薦もあって1987年(昭和62年)から4年間パ・リーグ会長を務める。

1989年(平成1年)勲二等旭日重光章受章[5]。2013年9月28日、老衰のため死去[6]。94歳没。

脚注

著書

  • 『不思議な国イタリア』(サイマル出版会)
先代
新設
北海道大使
1980年 - 1982年
次代
岡田富美也
先代
福島慎太郎
パシフィック・リーグ会長
1987年 - 1991年
次代
原野和夫

  1. ^ 「全国官公界名鑑」1985年 同盟通信社
  2. ^ 「国際紛争の多様化と法的処理」393頁、信山社
  3. ^ 「日本官界名鑑」1970年版 日本官界情報社
  4. ^ 堀新助『出身県別 現代人物事典 西日本版』p994 サン・データ・システム 1980年
  5. ^ 官報平成1年号外第61号 25頁
  6. ^ 元パ・リーグ会長 堀新助氏死去 スポーツニッポン 2013年9月29日


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