坂口安吾
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趣味嗜好
囲碁・将棋好き
坂口安吾は推理小説以外に、将棋や囲碁も好んでおり、特に囲碁は強く、1937年(昭和12年)の京都府滞在時には碁会所席主として生活していたほどであったが、その後に塩入逸造三段に五子で勝ったこともある[61]。
囲碁の呉清源の岩本薫との十番碁の第一局、将棋の木村義雄が塚田正夫に名人を奪われた第6期名人戦の最終局(第七局)、木村と升田幸三との三番勝負の第一局、木村が塚田から名人を奪回した第8期名人戦の最終局(第五局)、それぞれの観戦記を執筆していて、評価が高い。「勝負の鬼」として十年間不敗だった木村義雄が、1947年(昭和22年)の第6期名人戦で、勝負師根性を捨てたため塚田正夫にて敗北した時の、木村を厳しく批判した『散る日本』は名作として名高く、1950年に第一期九段戦に勝利した大山康晴を主人公にした小説『九段』もある。
また、王将戦で升田幸三が木村義雄との香落ち番の対局を拒否した陣屋事件についても、事の詳細を記した随筆『升田幸三の陣屋事件について』が安吾の死後に見つかった[注釈 12][62]。この中で安吾は、升田の処分を決める棋士総会を傍聴したと記している。この随筆は、関係者の間で証言が食い違うことの多かった陣屋事件における、貴重な考証資料の一つとして注目を浴びた。
食生活
政治的立場
旧来の封建主義(天皇制等)[64]と共に共産主義や日本共産党、日本社会党に対しても批判的立場をとり[65]、「マルクスレーニン筋金入りの集団発狂あれば、一方に皇居前で拍手をうつ集団発狂あり、左右から集団発狂にはさまれては、もはや日本は助からないという感じ」と記している[66]。ソ連や日本共産党をたびたび批判する一方で中国共産党を高く評価しており、「本家ソビエットの共産主義政府が壊滅しても、中共だけは栄えるかも知れない」ことを予言した[67]。
…完全なる無内容、それに加うるにいたずらなる喧嘩ずき、まるで人間の文化以前の欠点だけを集成して見せつけられているようであった。
彼らのやった仕事の総量は、事毎に牙をむいて吠えたがる野犬の行跡に酷似しているが、人間のなすべき事には全く似たところがない。「なすべき」というのは、知識と責任を背景にしたところの、という意で、政党と政党員には当然必要とすべき条件をさすのである。
…共産党の全てが、共産主義というものが、みんなこのように無内容で、品性下劣なわけではないだろう。日本共産党というものの悲しむべき特性であるらしい。しかし、ナホトカで特殊教育をうけ筋金を入れてもらって祖国へ敵前上陸する新特攻隊を見ると、共産党の本家も、その品性の低さ貧しさに於て日本支店の本店たるにふさわしく、人間の良識が求めているものには逆行的であるようだ。 — 「戦後合格者」
彼らのやった仕事の主なるものはと云えば、ナホトカからスクラムをくんで祖国へ敵前上陸の筋金入りの人達をたきつけて益々をこねさせたり、坐りこませたりすることである。尤もこれに対しては、かくの如くに教育して敵前上陸せしめた海の彼方の本店を咎めることが先でなければならないが、本店の押しつける無法な仕打を修正して受け入れるだけの識見がない無能な三太夫ぶりというものは、どこの国の共産党にくらべてもこれ以下のものは見当らない。この三太夫は本店の殿様の手打になるのをビクビクしているだけである。
彼らが行った政策の唯一のことは、他に対する不協力ということである。反対のための反対。漸進的なるものに対する拒否。同じことでも自分が主導してやるのでなければイヤだという全体主義であるが、それも単に否定し反対するだけの破壊的な方策によって全体主義の性格を誇示したにすぎないのである。
「豊かな国のオコボレに縋る方が、現実を救う最短距離」として戦後の日米関係にも肯定的で[68]、反再軍備の持論として『もう軍備はいらない』を執筆している。
芸術観
シュルレアリスムに関しては批判的であった[69]一方で『日本文化私観』等では、機能的、即物的、モダニズム的嗜好がうかがえる。
ある春先、半島の尖端の港町へ旅行にでかけた。その小さな入江の中に、わが帝国の無敵駆逐艦が休んでいた。それは小さな、何か謙虚な感じをさせる軍艦であったけれども一見したばかりで、その美しさは僕の魂をゆりうごかした。僕は浜辺に休み、水にうかぶ黒い謙虚な鉄塊を飽かず眺めつづけ、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。
この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。
僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。
問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。 — 『日本文化私観[70]』
注釈
- ^ 母・アサの兄で、吉田一族の中でもとりわけユダヤ人顔で眼の青い伯父が炳五ににじり寄り、「お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な」と言った〈薄気味悪さを呪文のやうに覚えてゐる〉と安吾自身も語っている[9]。
- ^ 『言葉』の同人は、坂口安吾、江口清、葛巻義敏、若園清太郎、関義、本多信、高橋幸一、長島萃、山沢種樹、野田早苗、脇田隼夫、青山清松、白旗武、片岡十一、根本鐘治、山口修三、山田吉彦(きだみのる)、大沢比呂夫、吉野利雄らであった[8]。
- ^ 牧野信一は『風博士』を、「私は、フアウスタスの演説でも傍聴してゐる見たいな面白さを覚えました。奇体な飄逸味と溢るゝばかりの熱情を持つた化物のやうな弁士ではありませんか」と賞讃した[23]。
- ^ 『文科』の同人は、坂口安吾、牧野信一、坪田譲治、田畑修一郎、小林秀雄、嘉村礒多、井伏鱒二、河上徹太郎、中島健蔵、佐藤正彰、中山省三郎らであった[8]。
- ^ 『櫻』の同人は、坂口安吾、井上友一郎、田村泰次郎、菱山修三、河田誠一、北原武夫、大島敬司、真杉静枝、高見沢矗江(小林秀雄の妹)、矢田津世子らであった[8]。
- ^ 『現代文學』の同人は、坂口安吾、井上友一郎、豊田三郎、高木卓、檀一雄、野口富士男、大井広介、山室静、赤木俊(荒正人)、佐々木基一、北原武夫、菊岡久利、南川潤、宮内寒弥、平野謙、杉山英樹らであった[8]。
- ^ 安吾は、「現下の探偵小説界は、洋の東西を問わず、実はアベコベに、公理や算式がないことを利用して、勝手なデタラメをかき、クダラヌ不合理をデッチあげて、同じ穴の狸が、馴れ合って、埒もないものをヤンヤと云っているだけなのである」と批判している[37]。
- ^ 『ろまねすく』の同人は、坂口安吾、辰野隆、伊藤整、太宰治、林房雄、田村泰次郎、清水昆、寒川光太郎らがいた[13]。
- ^ 戌井昭人は、ヤクザ者に命を狙われ、追われていると思っていた安吾が、自分側の味方の仲間には、相当数の人間がいるんだというハッタリをかますために、100人前もライスカレーを頼んだのではないかと推察している[44]。
- ^ 柄谷は、「彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である」と述べているため、この場合の「どんな作家にもあるような代表作」は、近代的小説を中心として見る戦後の文学史における小説らしい小説であり、柄谷が言うところの、「近代小説の形態」をなしている小説(エッセイ的でないもの)を含意している。
- ^ その意味で、奥野は、「坂口安吾は、ついに十全の自己表現の場を見いだしえなかった、永遠に未完成、未熟な悲劇の小説家といえよう」と述べている[1]。
- ^ 初出は『坂口安吾全集15』(筑摩書房 1999年) ISBN 4-480-71045-0
- ^ その少し前に瀬波温泉から仁一郎宛に手紙を出していたため、岩船郡瀬波村大字浜新田字青山519番地(現・村上市浜新田)で死去したという説もある。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 『新潮日本文学アルバム35 坂口安吾』(新潮社、1986年)
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- ^ 写真家・坂口綱男T.Sakaguchi Home
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- ^ 坂口安吾 若き日の探偵小説 短編「盗まれた一萬圓」『朝日新聞』朝刊2022年12月6日(社会・総合面)2022年12月14日閲覧
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- ^ “絵ばなし:昭和傑作列伝 松本清張『或る「小倉日記」伝』 鴎外を追う 孤独を埋める”. 毎日新聞 (2019年8月25日). 2021年9月12日閲覧。
- ^ 「坂口氏の思い違い」『朝日新聞』昭和26年9月22日3面
- ^ a b c d 戌井昭人「安吾は、どうしてライスカレーを百人前頼んだのか」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』河出書房新社、2013年)
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- ^ 「FARCE に就て」(青い馬 第5号、1932年3月)
- ^ 『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』(河出書房新社、2013年)
- ^ 檀一雄「作品解説」(角川文庫 1996, pp. 261–266)
- ^ 磯田光一「坂口安吾 人と作品」(角川文庫 1996, pp. 255–261)
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- ^ a b 小川徹「坂口安吾」(文藝 1967年7月号に掲載)
- ^ a b 佐藤春夫「文学の本筋をゆく――坂口安吾選集」(『読売新聞』夕刊 1956年8月1日号)
- ^ 三好達治「若き日の安吾君」(『路傍の秋』筑摩書房、1958年)
- ^ a b 三島由紀夫「私の敬愛する作家」(『坂口安吾選集』内容見本 東京創元社、1956年6月)。三島29巻 2003, p. 225に所収
- ^ 坂口安吾「私の碁」(『囲碁春秋』1948年12月号に掲載)
- ^ 青空文庫でも参照が可能である。http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay021.html
- ^ 坂口安吾『明日は天気になれ』
- ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『天皇小論』参照
- ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『坂口流の将棋観』参照
- ^ 坂口安吾「安吾の新日本地理 安吾・伊勢神宮にゆく」(『文藝春秋』第二九巻第四号に掲載)
- ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card45898.html 青空文庫『戦後合格者』参照(『新潮』第四八巻第三号に掲載)
- ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43150.html 青空文庫『インテリの感傷』参照
- ^ 青空文庫『安吾巷談「教祖展覧会」』参照 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43182.html
- ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html 青空文庫『日本文化私観』参照
- ^ 『坂口安吾全集』(全17冊、筑摩書房、1998-1999年)ほか
- ^ a b c 坂口安吾年譜・詳細版 前史 2018年2月12日閲覧。
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