スクーデリア・フェラーリ F1クリエンティ

スクーデリア・フェラーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 13:40 UTC 版)

F1クリエンティ

個人所有のF1マシン

正規販売代理店で販売されたフェラーリの市販車のオーナーで、かつフェラーリに承認された一部の顧客に限り、フェラーリまたは各国の拠点や正規輸入元を通じて数年落ちのF1マシンを購入することが可能である。

これらのマシンは「コルセ・クリエンティ」部門率いる「F1クリエンティ」プログラムにより管理され、マルク・ジェネなどのテストドライバーやリザーブドライバーの指導の下、走行プログラムが開催される「フェラーリ・レーシングデイズ」や「フィナーリ・モンディアーリ」などの世界各国で開催されるサーキットイベントや、年間数回ヨーロッパのサーキットで開催されるテストドライブセッションで走行させることができる。

さらに、オーナーが指定したサーキットに「F1クリエンティ」のメカニックを呼んで走行させることも可能である。なお、2014年シーズン以降のマシンについては、ERSの管理上の問題により販売を中止することが決定された。

この様な、組織化された中古F1マシンの販売及び管理システムを主催し、営業及びマーケティングに活用しているコンストラクターは、2017年現在フェラーリのみである。

特色

マシン

他チームに比べると、マシンの命名法に一貫性がない。ロードカーと同様のエンジン型式(総排気量・気筒数・1気筒あたりの排気量)にちなんだネーミングや、開発年度(西暦)にちなんだネーミングを基本としているが、639 - 643系(1988年 - 1991年、社内開発コード)、F602009年、F1参戦60周年)、150°イタリア2011年、イタリア建国150周年)、SF70H - SF71H2017年 - 2018年モータースポーツ参戦70周年[52])、SF902019年、チーム創設90周年[53])、SF10002020年、F1参戦1,000戦目[54])、F1-752022年、フェラーリ創業75周年)など、時折イレギュラーな名前が出現する。ただし、社内開発コードは1975年の312T1975年)より現在までシャシー、エンジンともに通し番号である。また製造番号も通し番号である。

フェラーリ製エンジンといえば、甲高いエキゾーストノートを放つV型12気筒 (V12) が有名であるが、スポーツカーレースで華々しい成績を残す一方、F1ではタイトルを獲得したことがない[※ 10]。2000年のF1レギュレーションにおいてエンジン形式が指定されるようになったものの、その前までは自由に設計できたため、1995年までF1チームの中では最後までV12エンジンを使用していたが、翌1996年からは主流派のV10へとスイッチしている。

カラーリングとスポンサー

SF90のカラーリング(2019年)

フェラーリのコーポーレートカラーは黄色 (giallo modena) だが、ワークスのカラーリングはイタリアのナショナルレーシングカラーである赤色 (rosso corsa) が定番である。創設期はアルファ・ロメオに似た暗色(海老茶)系の赤色だったが、年代とともに紅色の混じった濃い赤色へと変化していった[55]。1970年代以降、F1にスポンサーカラーが普及しても、フェラーリは伝統を守り、マシンにサプライヤー以外のスポンサーロゴを付けないという姿勢を貫いた。

しかし、1984年、マールボロがドライバーの報酬を支払う形 (Marlboro World Championship Team) で、マシンにマールボロのロゴが描かれるようになった。1997年にはチーム初のメインスポンサーに就任し、チーム名は「スクーデリア・フェラーリ・マールボロ」、マシンカラーも蛍光色系の明るい赤色になった(映像メディアのデジタル化に対応したという説もある[55])。2007年後半から2008年にかけては、マシンがメタリックレッドにペイントされた[55]

たばこ広告への規制が厳格化されたことにより、2006年には他のタバコスポンサーがF1から撤退、2010年にはエンジンカバーのバーコード模様がサブリミナル効果があると批判されて廃止[56]、2011年にはチーム名からも「マールボロ」が外された[57]が、依然としてフェラーリへの支援を継続(2012年の年間スポンサー料は推定63億円[58])、タバコ離れの動きを踏まえて禁煙技術の開発にも着手するなど、2021年までの広告契約継続を明らかにしているほか、2018年日本GPにて新プロジェクト「Mission Winnow」のロゴを新たに掲出した[25]。またすべての広告スペースをマールボロが買い取り、他のスポンサーに転売していた(ロイヤル・ダッチ・シェルを除く)。

2021年シーズン終了を持って、ついにマールボロブランドを持つフィリップモリスとの契約が終了し、「Mission Winnow」のロゴもマシンから外されることになった[59]。ただし2022年4月にフィリップモリスとの再契約が結ばれており、マシンへのロゴ掲出こそないものの、「Mission Winnow」がチームのパートナーとして再登場している[60]

2024年4月、新たにHP Inc.とタイトルスポンサーとしての複数年契約を結んだ。これによりチーム名が「スクーデリア・フェラーリHP」となるほか、マシンやレーシングスーツにも「HP」のコーポレートロゴが入れられるなど、カラーリングが大きく変更される[61]

カヴァッリーノ・ランパンテ

「スクデット」の紋章をつけたウェアを着用するアロンソとマッサ

人事

イタリアを代表するチームであるが、ドライバー選考に関してはイタリア人を優遇していない。1950年代から1960年代にかけて、チームに在籍したイタリア人ドライバーが死亡した際、国内のマスコミから糾弾されたことが原因とも言われる[62]。スポット参戦は数名いる(2009年のルカ・バドエルジャンカルロ・フィジケラなど)ものの、1992年のイヴァン・カペリを最後にイタリア人のレギュラードライバーは存在しない(ただし、ニコラ・ラリーニやルカ・バドエルといったイタリア人がテストドライバーとして長期間在籍していたことはある)。2005年以降、2輪MotoGP王者のバレンティーノ・ロッシを招いて何度かテスト走行を行ったが、フェラーリ加入は実現しなかった。


基本的に実績のあるドライバーを採用する方針だが、2010年より若手育成プログラムとしてフェラーリ・ドライバー・アカデミー (FDA) を運営し、セルジオ・ペレスジュール・ビアンキシャルル・ルクレールミック・シューマッハを輩出した。ペレスは2011年にフェラーリエンジンを搭載したザウバーよりF1にデビュー。2012年には2度の2位を獲得するなど活躍し2014年のフェラーリドライバーとしての契約も提示されるなど[63]、次期フェラーリドライバー候補と目されたが、ライバルチームのマクラーレン入りを選択した。2014年以降はメルセデス製エンジンを使用するレーシング・ポイント(2018年シーズン途中までのフォース・インディア)を経て、2022年現在はレッドブルに在籍している。ビアンキは2013年よりマルシャよりF1にデビュー。2014年のモナコGPで初ポイントを獲得。たびたびフェラーリ移籍説が流れるなど、将来のフェラーリドライバーの候補として期待されていたが、同年の日本GPでの大事故により帰らぬ人となってしまった。そのビアンキと幼馴染でもあったルクレールは、2017年にF2で圧倒的な成績でチャンピオンを獲得すると、翌2018年からフェラーリエンジンを供給したアルファロメオ・ザウバーからF1デビュー、下位チーム在籍のルーキーにして結果を残し続け、早くも翌年のフェラーリドライバー候補としてその名が挙がっていた。そして2019年からフェラーリで参戦することとなり、FDA出身のドライバーとして初のフェラーリドライバーが誕生することとなった[64][65]。フェラーリで黄金時代を築いたミハエル・シューマッハを父に持つミックは、2020年にF2でチャンピオンを獲得。翌2021年からフェラーリと技術提携を行っているハースF1チームからF1にデビューした。2022年シーズン終了後にハースを離脱しメルセデスのテストドライバーに就任したため現在はFDAを離れている。この他、ランス・ストロール周冠宇もFDAに在籍していたことがある。

政治

レースの興行的価値という点でフェラーリの参戦は重要であり、フェラーリ側もその立場を認めて、運営団体に対して政治的駆け引きを行ってきた。

1964年には、スポーツカー世界選手権250LMがGTカーとして公認されなかったことに抗議してイタリア自動車協会を一時脱退し、同年のF1シリーズ終盤戦にはノース・アメリカン・レーシング・チーム (NART) からエントリーした。

637インディカー

1985年には、F1のレギュレーション改定案に抗議して、北米のCARTシリーズへの転向を示唆し、実際にプロトタイプのインディカー (開発コード637) を製作した。

2001年には、F1に参戦する他の自動車メーカーと共にGPWCを設立し、独立シリーズ構想の旗振り役となったが、コンコルド協定の更改に同意して2005年1月にGPWCを離脱した[66]。この裏切り行為は他メーカーの反感を買い、フェラーリ以外のチームが団結してGPMAを結成した[67]

2008年には、F1チームの連合体であるFOTAの設立を主導し、フェラーリのモンテゼーモロが初代会長に就任した[68]。2008年にFOTA会長のモンテゼーモロがバーニー・エクレストンによるF1の運営方法を厳しく批判した際には、エクレストンが反撃としてフェラーリのGPWC離脱の背景に(フェラーリが受け取る)分配金を増額する「特別契約」が存在したことを暴露したが[69]、FOTA副会長(当時)のジョン・ハウェットは「フェラーリの歴史的立場は誰もが知っており、たいした意味はない」と受け流した[70][信頼性要検証]

2009年5月にはフェラーリを含む数チームが予算制限規定(バジェットキャップ)に反対してF1撤退を示唆し[68]、その後もモンテゼーモロ会長はF1撤退というカードをちらつかせて改革を要求した[71][72]。F1チームの中で唯一、FIAや統括団体の提案に対する拒否権を有しており[73]、2015年にはパワーユニットの最高価格を設定するというFIAの提案に拒否権を発動した[74]

イベントや広告への露出

ジュネーブモーターショーに展示されたF1マシン

オフィシャルスポンサーやサプライヤーの広告やイベント、モーターショーの展示にF1マシン(もしくはレプリカ)が露出、または貸し出されることが多い。なおF1マシンは、エンジンや補機類などが搭載されない展示用のレプリカも毎年数台製作され、世界各国の正規販売店やフェラーリ・ストアの店頭へのディスプレイに使用される。なおこれらのレプリカは、「F1クリエンティ」の顧客や正規販売店に販売されることもある。

1981年には、ジル・ヴィルヌーヴが運転する126CKとジェット戦闘機F-104スターファイターが滑走路で競走するというイベントを開催した。静止状態から並んで同時にスタートし1,000m走るというこのレースは、126CKが勝利している。2003年12月11日にもイタリアのバッカリーニ空港にて、ミハエル・シューマッハが乗るF2003-GAとジェット戦闘機ユーロファイター・タイフーンの競争を開催した。600mではF2003-GAが勝利したが、900mと1,200mではユーロファイターが勝利。雨天もありユーロファイターの2勝1敗という結果になった。

1998年には、オフィシャルスポンサーであるロイヤル・ダッチ・シェルグループのCMとして、「走行中のF1マシンが空中給油機から給油を受ける」という実写CMを世界各国で放送し話題になる。

2006年トリノオリンピック開会式では、リアウィングに五輪マークが描かれたF2005をリザーブ兼テストドライバーのルカ・バドエルがステージ上でドライブし、ドーナツターンを披露した。

例年、10月の末から11月の初めにムジェロ・サーキットなどのサーキットにおいて「ファン感謝デー」ともいうべき「フィナーリ・モンディアーリ」、1月にはフィリップモリス主催により、ドゥカティと合同でマスコミ向けのスキーイベント「Wrooom」を開催している。1月のイベントは新シーズンの体制発表も兼ねている。また、シーズン前の新車の発表会は必ず、マラネッロのプレスルームで行い、全ての進行をイタリア語のみで行うのも伝統である。(かつて、イタリア語を話せなかったミハエル・シューマッハにカンニング・ペーパーを渡して読ませたこともある)。

また、2019年より新たにチーム名にフィリップモリスの「Mission Winnow」ブランドをつけると発表したが、その後撤回した。たばこ会社によるキャンペーンに対する外部からの調査が増加している中で、フィリップモリスは当初予想されていたよりも長い期間、そして可能性としてはシーズンの残りの全戦においてロゴを削除することを現在検討しているという。

ティフォシ

ティフォシ(1995年イタリアGP)

熱狂的なフェラーリファンのことをティフォシ (tifosi) と呼ぶ。これはイタリア語で「熱狂的スポーツファン」「チフス患者」の意味を持つ「ティフォーゾ(tifoso)」の複数形であるが、元々はフェラーリファンを特定するものではなく、その熱狂振りに対する侮蔑表現を含んでいるため、彼らは自らのことを通常フェラリスタと呼ぶ。

なお、イタリア各地にフェラーリ公認の「スクーデリア・フェラーリ」のファンクラブがあり、イタリアグランプリや「フィナーリ・モンディアーリ」では会員のファンが集結する姿を見ることができる。

地元開催に当たるイタリアGPでは、来場したティフォシによってモンツァ・サーキットの観客席が赤く染められる。レース後の表彰式ではコースに乱入し、ホームストレート上で応援旗を広げるのが名物になっている。彼らの唯一最大の願いはフェラーリの勝利のみであるため、フェラーリがリタイアするとレース途中でもさっさと帰ってしまう(テレビ視聴者はテレビを消してしまう)。逆にフェラーリと優勝を争っているチームやドライバーのマシンにトラブルが発生したりリタイアすると大歓声をあげる。また1989年イタリアグランプリでは、このレース直前に翌年のフェラーリ加入が決定したアラン・プロストが乗るマクラーレンに大歓声が送られた事もある。

フェラーリF1クラブ

イタリアグランプリや日本グランプリモナコグランプリをはじめとするF1各戦における「Formula One Paddock Club」のフェラーリ・シャレーや各スポンサーのシャレーでの観戦パスをフェラーリオーナーとその家族、招待者限定で販売している。通常フェラーリ・シャレーにはドライバーやチーム首脳陣が訪れ、挨拶や記念撮影などを行う。

関連人物・企業

人物

現在のF1ドライバー

現在の主要関係者

フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)

2009年に設立されたフェラーリの若手ドライバー育成プログラムであり、F4からF3F2までのジュニアカテゴリに参戦している。2022年現在は8名が在籍している[75]

主な元在籍者

パートナー

大型スポンサー

  • フィアット - アルファロメオブランド
  • シェル - ガソリンおよび各種オイルを供給(1950年 - 1973年,1996年 - )
  • フィリップ・モリスマールボロなど) - 1980年代よりドライバーを支援し、1997年以降はメインスポンサーだが、F1におけるたばこ広告の禁止を受けて商品ロゴの掲出は行わない。2018年、科学研究をする子会社を通じてスポンサー再参入を果たし、同年10月に開催された日本グランプリでは「ミッション・ウィノウ」のロゴの御披露目が行われ、以降、終盤のマシンには新プロジェクト「ミッション・ウィノウ」(Misson Winnow)のロゴが入れられた。2019年もプロジェクトは継続され、チーム名も一旦は「スクーデリア・フェラーリ・ミッション・ウィノウ」となることが発表されていたが、開幕戦のオーストラリア当局やFIMが広告に関する規定違反などについて調査を開始。2019年3月5日、フェラーリはチーム名から「ミッション・ウィノウ」を外すことを発表した[78]
  • サンタンデール銀行(2010年 - 2017年, 2022年 - )- 2010年にスペイン人ドライバーのフェルナンド・アロンソの加入によりチームのメインスポンサーとなり、アロンソが2014年シーズンを以ってチームを離脱した後も2017年までスポンサーを継続していた。2021年に同じくスペイン人ドライバーのカルロス・サインツJr.がフェラーリに加入し一定の活躍を見せたことで、翌2022年よりチームのスポンサーに復帰することとなった[79]
  • HP Inc.(2024年 - )
過去の大型スポンサー

サプライヤー

公式サプライヤー
サプライヤー
過去のサプライヤー

注釈

  1. ^ ノースアメリカン・レーシングチーム(NART)名義で出場したレースを含む。
  2. ^ ワークスのスクーデリア・フェラーリがプラクティスを撤退し、プライベーターのピーター・ホワイトヘッド英語版のみ出場した1950年フランスグランプリは除く。
  3. ^ プライベートチームの1勝(1961年フランスグランプリジャンカルロ・バゲッティ)を除く。
  4. ^ プライベートチームの5回を除く。
  5. ^ 1954年イギリスグランプリ1970年オーストリアグランプリはスクーデリア・フェラーリ所属ドライバー2人が記録。プライベートチームの1回(1961年フランスグランプリジャンカルロ・バゲッティ)を除く。
  6. ^ イタリア語発音: [skudeˈria ferˈrari] スクデーア・フェ(ッ)ーリ
  7. ^ インディ500を含めた場合は両方とも7連勝にとどまる。その後、2013年セバスチャン・ベッテルが個人9連勝を達成した。
  8. ^ 312BのBの由来でもあるボクサーという通称だが、そのエンジンは実際にはいわゆる「180度V型」であり、スバルやポルシェのボクサー水平対向とは異なる。
  9. ^ ただし、ハンガリーGP分の剥奪ポイントも含めた両ドライバーの単純合計では、マクラーレンは218ポイントとなる
  10. ^ 1970年代のボクサーエンジンは、厳密には「180度V12」であるが。

出典

  1. ^ Ges Racing Depertment” (英語). Ferrari.com. 2012年2月15日閲覧。
  2. ^ "The Scuderia Ferrari". Museo Casa Enzo Ferrari. 2013年2月13日閲覧。
  3. ^ Statistics Drivers - Wins - Consecutively” (英語). STATS F1. 2024年5月28日閲覧。
  4. ^ Statistics Constructors - Wins - Consecutively” (英語). STATS F1. 2024年5月28日閲覧。
  5. ^ 注目の7人に聞く F1GPX1988開幕直前号 10ページ 山海堂
  6. ^ a b Ferrari 1991改革と近代化 Sports Graphic Number vol.301 104-106頁 文芸春秋 1992年10月20日発行
  7. ^ GPX1990年ポルトガルGP号 30頁 1990年10月13日発行
  8. ^ フェラーリの社長が交代 - フィアット社は91年11月15日にピエロ・フサロ社長を解任し、後任に元フェラーリF1チーム監督のルカ・モンテツェモロを任命したと発表した。GPX 1992カレンダー号 5頁 山海堂 1991年12月21日発行
  9. ^ a b c ジャン・アレジが語る1992年のフェラーリ。「F92Aにコスワース・エンジンが搭載されていたら勝てていた!」www.as-web.jp(2021年6月8日)2021年8月10日閲覧。
  10. ^ ソニー・マガジンズF1グランプリ特集 2005年6月号、他
  11. ^ Sports Graphic Number』 688号、文藝春秋、45頁。
  12. ^ “Former technical boss Aldo Costa parts company with Ferrari”. Autosport. (2011年7月11日). https://www.autosport.com/f1/news/93198/costa-parts-company-with-ferrari 2018年11月26日閲覧。 
  13. ^ “フェラーリ、風洞データに問題。トルコも間に合わず”. オートスポーツweb. (2011年4月19日). http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=33105 2014年6月6日閲覧。 
  14. ^ “「F2012では根本的な間違いを犯した」とフライ”. オートスポーツweb. (2013年1月21日). http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=7&no=46009 2014年6月6日閲覧。 
  15. ^ “フェラーリ、新車の風洞作業はすべてトヨタで”. オートスポーツweb. (2012年12月27日). http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=45716 2014年6月6日閲覧。 
  16. ^ F1=不振のフェラーリ、ドメニカリ代表が辞任 - ロイター・2014年4月15日
  17. ^ ニューウェイ、“あり得ないほど巨額のオファー”を提示したフェラーリF1よりレッドブルを選ぶ auto sport web (2018年1月12日)同6月15日閲覧。
  18. ^ GP topic:アリソン離脱で、現実味を帯びる「ベッテルのフェラーリ離脱説」. AUTOSPORTweb(2016年7月27日).
  19. ^ “フェラーリ会長が敗北宣言。「今季開発は失敗」”. F1速報. (2016年9月7日). http://f1sokuho.mopita.com/pc/free/index.php?uid=NULLGWDOCOMO&pass=$pass&page=news/sp/body&no=101975&tt=-1 2018年11月25日閲覧。 
  20. ^ 新5冠王となったハミルトンの心理戦と、ベッテルの後悔。タイトル争いの流れを決めた6つのレース【今宮純のF1総括】”. AUTOSPORTweb (2018年11月7日). 2021年8月10日閲覧。
  21. ^ ベッテルのミスを批判する元F1ドライバーたち”. TOPNEWS (2018年9月5日). 2018年9月22日閲覧。
  22. ^ フェラーリは「イタリア風すぎる」とエクレストン”. ESPN F1 (2018年9月30日). 2018年11月25日閲覧。
  23. ^ a b c 来季ベッテルの反撃を予想するロズベルグ”. TOPNEWS (2018年11月27日). 2018年11月28日閲覧。
  24. ^ 【フェラーリ】2018年にチームの勢いをそいでいたいくつかの「事件」とは?”. TOPNEWS (2018年12月18日). 2018年12月19日閲覧。
  25. ^ a b フェラーリ、新カラーを鈴鹿で発表。フィリップモリスの白いロゴが追加 jp.motorsport.com 2018年10月4日、2019年1月10日閲覧。
  26. ^ チーム代表の更迭で揺れるフェラーリ、新テクニカル・ディレクターには、前FIA技術委員が就任か auto sport web 2019年1月10日。
  27. ^ フェラーリ新チーム代表のビノット「昨年限りでチームを去るところだった」 TOPNEWS 2019年03月13日、同31日閲覧。
  28. ^ “空力規則に上手く適応したフェラーリF1。最速マシンSF90は開幕戦の大本命/全チーム戦力分析(3)”. AUTOSPORTweb. (2019年3月7日). http://www.as-web.jp/f1/459089?all 2019年3月19日閲覧。 
  29. ^ フェラーリ代表、“ベッテルびいき”のチームオーダーを否定。作戦の一環だと主張 - jp.motorsport.com・(2019年4月15日)2019年5月29日閲覧
  30. ^ “オープニングラップの3者並走の名勝負、バルセロナテスト時の勢いを失ったフェラーリ【今宮純のF1スペインGP分析】”. AUTOSPORTweb. (2019年5月14日). http://www.as-web.jp/f1/481035?all 2019年5月16日閲覧。 
  31. ^ ベッテル、転がり込んできた2位表彰台「一瞬勝てるかもって思っちゃった」F1モナコGP《決勝》 - formula1-data.com・(2019年5月27日)2019年5月29日閲覧
  32. ^ “【F1バーレーンGP無線レビュー】優勝目前のルクレールが悲痛な叫び「エンジンが何か変なんだ! XXX!」”. AUTOSPORTweb. (2019年4月4日). http://www.as-web.jp/f1/468811?all 2019年5月16日閲覧。 
  33. ^ ベッテルに対するフェラーリのチームオーダーに批判の声www.topnews.jp(2019年9月30日)2020年1月23日閲覧
  34. ^ ビルヌーブが指摘した2019年にフェラーリが犯した失敗とは?www.topnews.jp(2019年12月4日)2020年2月13日閲覧
  35. ^ フェラーリF1とFIAによる極秘の和解合意に7チームが反論。合同で声明を発表、内容開示を求めるautosportweb(2020年3月4日)2020年4月5日閲覧
  36. ^ フェラーリ「SF1000」空力面に欠陥…開発方針の大幅修正強いられる”. Formula1-Data (2020年7月1日). 2021年1月1日閲覧。
  37. ^ フェラーリの失速最大の要因はパワーユニットと、開発を足踏みさせた世界情勢による不運www.as-web.jp(2020年8月1日)2021年6月23日閲覧
  38. ^ フェラーリ、グリップとダウンフォースの両方が不足…ポール争い諦めムードformula1-data.com(2020年7月4日)2021年6月23日閲覧。
  39. ^ “腹立たしい”ほど遅いフェラーリSF1000…昨季マシンのパーツを流用しちゃえば?”. Formula1-Data (2020年9月1日). 2021年1月1日閲覧。
  40. ^ フェラーリ、来季マシンの名称は『SF21』に。開幕前テストの直前に発表へ”. motorsport.com (2020年12月19日). 2021年1月1日閲覧。
  41. ^ フェラーリ、逆襲の2021年型F1パワーユニット「065/6」…改良ターボを含む全方位開発で性能アップformula1-data.com(2021年3月11日)2021年12月15日閲覧。
  42. ^ 2021年F1プレシーズンテスト:グラフで見るチーム及びエンジン別周回数とラップタイムランキングformula1-data.com(2021年3月16日)2021年12月15日閲覧。
  43. ^ F1分析|2022年F1、勢力図”初”分析。バルセロナテストで見えてきたこととは?”. jp.motorsport.com (2022年3月1日). 2022年7月11日閲覧。
  44. ^ フェラーリF1、ビノットの後任としてフレデリック・バスールの代表起用を発表”. f1-data.com (2022年12月13日). 2023年1月27日閲覧。
  45. ^ サインツがポール・トゥ・ウイン。フェラーリがレッドブルの連勝止める【決勝レポート/F1第16戦】”. autosport web (2023年9月18日). 2024年4月24日閲覧。
  46. ^ ルイス・ハミルトンのフェラーリ電撃移籍が正式発表! 黄金時代築いたメルセデスは今季限りで離脱……跳ね馬株価も過去最高値を更新”. motorsport.com (2024年2月2日). 2024年2月11日閲覧。
  47. ^ サインツJr.、ハミルトンの電撃移籍受け今季限りでのフェラーリ離脱が決定「僕の将来に関するニュースは今後追って発表される」”. motorsport.com (2024年2月2日). 2024年2月11日閲覧。
  48. ^ サインツJr.、虫垂炎でF1サウジアラビアGP欠場決定。新人ベアマンが急遽フェラーリからF1デビューへ”. motorsport.com (2024年3月8日). 2024年3月8日閲覧。
  49. ^ オリバー・ベアマン「本当に惜しかった」初のF1予選で王者をQ2敗退寸前に追い込む、”考える暇を与えない”ほどの土壇場代走決定”. Formula1-Data (2024年3月9日). 2024年3月11日閲覧。
  50. ^ 波乱…王者2名を含む3台DNF、病み上がりのサインツ優勝!角田裕毅は今季初入賞 / F1オーストラリアGP 2024 《決勝》結果と詳報”. Formula1-Data (2024年3月24日). 2024年3月24日閲覧。
  51. ^ ルクレール、ジンクスを破り、母国初勝利「涙で前が見えなかった。自分と父の夢を叶えられて嬉しい」/F1モナコGP”. autosport web (2024年5月27日). 2024年5月27日閲覧。
  52. ^ “タイトル奪還目指すフェラーリ、新車「SF70H」を発表”. AFP. (2017年2月25日). https://www.afpbb.com/articles/-/3119147 2017年3月2日閲覧。 
  53. ^ “【新旧F1マシンスペック比較】フェラーリ編:節目の90年目を戦うSF90。空力開発を突き詰めたマシンに”. AUTOSPORTweb. (2019年2月18日). http://www.as-web.jp/f1/453207?all 2019年2月19日閲覧。 
  54. ^ “フェラーリ2020年型F1『SF1000』:ダウンフォース不足等の弱点克服へ。ラジカルなコンセプトの下、全エリアを見直し”. autosport web. (2020年2月12日). https://www.as-web.jp/f1/564105?all 2020年2月12日閲覧。 
  55. ^ a b c 「フェラーリF1 Q&A」『モデルアート 2010年3月号』 モデルアート、2010年、pp.10 - 12。
  56. ^ "スクーデリア・フェラーリ・マールボロのバーコードに終止符". オートスポーツ.(2010年5月7日)2013年2月13日閲覧。
  57. ^ "フェラーリのチーム名からマールボロが消える". オートスポーツ.(2011年7月9日)2013年2月13日閲覧
  58. ^ 『F1速報PLUS Vol.26』 イデア、2012年、p.50。
  59. ^ Philip Morris out of motorsport as Ferrari end long-time partnership with tobacco giant - ScuderiaFans.com・2022年2月9日
  60. ^ Ferrari: Important to continue Mission Winnow F1 sponsorship deal - motorsport.com 2022年4月30日
  61. ^ フェラーリF1、HPとの複数年のタイトルパートナー契約締結を発表。チーム名が『スクーデリア・フェラーリHP』に - オートスポーツ・2024年4月24日
  62. ^ 『スクーデリア・フェラーリ 1947-1997 50年全記録』 ソニー・マガジンズ、1997年、72頁。
  63. ^ ペレス、2014年のフェラーリF1加入を犠牲にしてマクラーレン入りしたことを後悔とともに明かす(2019年4月20日)2020年5月2日閲覧
  64. ^ https://f1-gate.com/ferrari/f1_44681.html
  65. ^ Scott Mitchell (2018年9月11日). “Ferrari confirms Leclerc for 2019 F1 season”. Motorsport.com. 2018年11月15日閲覧。
  66. ^ "【新グランプリ設立か】F1とGPWCの動き---総括". レスポンス.(2005年5月5日)2013年2月6日閲覧。
  67. ^ 田中詔一『F1ビジネス-もう一つの自動車戦争』 角川Oneテーマ21、2006年、pp.136-139。
  68. ^ a b How the Formula One crisis unfolded”. The Guardian (2009年6月24日). 2018年11月25日閲覧。
  69. ^ Bernie Ecclestone hits back at Ferrari head by exposing the team’s ‘special deal’”. The Sunday Times (2008年12月20日). 2018年11月25日閲覧。
  70. ^ "ジョン・ハウエット 「フェラーリの歴史的立場は承知の上」". F1-Gate.com.(2008年12月24日)2013年2月6日閲覧。
  71. ^ "モンテゼモロ、F1の名を捨てる覚悟も。分裂に再び言及". オートスポーツ.(2010年12月20日)2013年2月6日閲覧。
  72. ^ "フェラーリ、撤退をちらつかせF1の改革を求める". オートスポーツ.(2011年11月7日)2013年2月6日閲覧。
  73. ^ "唯一の拒否権を持つフェラーリ". ESPN F1.(2013年12月5日)2016年1月21日閲覧。
  74. ^ "フェラーリの「拒否権」に対抗し、独立系エンジンメーカー参入実現を目指すFIA". Topnews.(2015年10月28日)2016年1月21日閲覧。
  75. ^ フェラーリがルクレールの弟アーサーをサポート。若手ドライバー育成プログラムのメンバーに抜擢 autosport web(2020年1月18日)
  76. ^ フェラーリ・ドライバー・アカデミーにFルノー参戦中のシュワルツマンが加入”. AUTOSPORTweb (2017年10月25日). 2017年12月15日閲覧。
  77. ^ フェラーリ・ドライバー・アカデミーにヨーロピアンF3の若手、アイロットが加入”. AUTOSPORTweb (2017年10月24日). 2017年12月15日閲覧。
  78. ^ フェラーリ、チーム名からたばこスポンサーの冠削除 F1開幕戦”. AFP (2019年3月5日). 2019年3月5日閲覧。
  79. ^ スペインのサンタンデール銀行がフェラーリと複数年のスポンサー契約を締結。5年ぶりにF1へ. autosuportweb(2021年12月22日).






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スクーデリア・フェラーリ」の関連用語

スクーデリア・フェラーリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スクーデリア・フェラーリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスクーデリア・フェラーリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS