スクーデリア・フェラーリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 13:40 UTC 版)
F1クリエンティ
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正規販売代理店で販売されたフェラーリの市販車のオーナーで、かつフェラーリに承認された一部の顧客に限り、フェラーリまたは各国の拠点や正規輸入元を通じて数年落ちのF1マシンを購入することが可能である。
これらのマシンは「コルセ・クリエンティ」部門率いる「F1クリエンティ」プログラムにより管理され、マルク・ジェネなどのテストドライバーやリザーブドライバーの指導の下、走行プログラムが開催される「フェラーリ・レーシングデイズ」や「フィナーリ・モンディアーリ」などの世界各国で開催されるサーキットイベントや、年間数回ヨーロッパのサーキットで開催されるテストドライブセッションで走行させることができる。
さらに、オーナーが指定したサーキットに「F1クリエンティ」のメカニックを呼んで走行させることも可能である。なお、2014年シーズン以降のマシンについては、ERSの管理上の問題により販売を中止することが決定された。
この様な、組織化された中古F1マシンの販売及び管理システムを主催し、営業及びマーケティングに活用しているコンストラクターは、2017年現在フェラーリのみである。
特色
マシン
他チームに比べると、マシンの命名法に一貫性がない。ロードカーと同様のエンジン型式(総排気量・気筒数・1気筒あたりの排気量)にちなんだネーミングや、開発年度(西暦)にちなんだネーミングを基本としているが、639 - 643系(1988年 - 1991年、社内開発コード)、F60(2009年、F1参戦60周年)、150°イタリア(2011年、イタリア建国150周年)、SF70H - SF71H(2017年 - 2018年、モータースポーツ参戦70周年[52])、SF90(2019年、チーム創設90周年[53])、SF1000(2020年、F1参戦1,000戦目[54])、F1-75(2022年、フェラーリ創業75周年)など、時折イレギュラーな名前が出現する。ただし、社内開発コードは1975年の312T(1975年)より現在までシャシー、エンジンともに通し番号である。また製造番号も通し番号である。
フェラーリ製エンジンといえば、甲高いエキゾーストノートを放つV型12気筒 (V12) が有名であるが、スポーツカーレースで華々しい成績を残す一方、F1ではタイトルを獲得したことがない[※ 10]。2000年のF1レギュレーションにおいてエンジン形式が指定されるようになったものの、その前までは自由に設計できたため、1995年までF1チームの中では最後までV12エンジンを使用していたが、翌1996年からは主流派のV10へとスイッチしている。
カラーリングとスポンサー
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フェラーリのコーポーレートカラーは黄色 (giallo modena) だが、ワークスのカラーリングはイタリアのナショナルレーシングカラーである赤色 (rosso corsa) が定番である。創設期はアルファ・ロメオに似た暗色(海老茶)系の赤色だったが、年代とともに紅色の混じった濃い赤色へと変化していった[55]。1970年代以降、F1にスポンサーカラーが普及しても、フェラーリは伝統を守り、マシンにサプライヤー以外のスポンサーロゴを付けないという姿勢を貫いた。
しかし、1984年、マールボロがドライバーの報酬を支払う形 (Marlboro World Championship Team) で、マシンにマールボロのロゴが描かれるようになった。1997年にはチーム初のメインスポンサーに就任し、チーム名は「スクーデリア・フェラーリ・マールボロ」、マシンカラーも蛍光色系の明るい赤色になった(映像メディアのデジタル化に対応したという説もある[55])。2007年後半から2008年にかけては、マシンがメタリックレッドにペイントされた[55]。
たばこ広告への規制が厳格化されたことにより、2006年には他のタバコスポンサーがF1から撤退、2010年にはエンジンカバーのバーコード模様がサブリミナル効果があると批判されて廃止[56]、2011年にはチーム名からも「マールボロ」が外された[57]が、依然としてフェラーリへの支援を継続(2012年の年間スポンサー料は推定63億円[58])、タバコ離れの動きを踏まえて禁煙技術の開発にも着手するなど、2021年までの広告契約継続を明らかにしているほか、2018年日本GPにて新プロジェクト「Mission Winnow」のロゴを新たに掲出した[25]。またすべての広告スペースをマールボロが買い取り、他のスポンサーに転売していた(ロイヤル・ダッチ・シェルを除く)。
2021年シーズン終了を持って、ついにマールボロブランドを持つフィリップモリスとの契約が終了し、「Mission Winnow」のロゴもマシンから外されることになった[59]。ただし2022年4月にフィリップモリスとの再契約が結ばれており、マシンへのロゴ掲出こそないものの、「Mission Winnow」がチームのパートナーとして再登場している[60]。
2024年4月、新たにHP Inc.とタイトルスポンサーとしての複数年契約を結んだ。これによりチーム名が「スクーデリア・フェラーリHP」となるほか、マシンやレーシングスーツにも「HP」のコーポレートロゴが入れられるなど、カラーリングが大きく変更される[61]。
カヴァッリーノ・ランパンテ
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人事
イタリアを代表するチームであるが、ドライバー選考に関してはイタリア人を優遇していない。1950年代から1960年代にかけて、チームに在籍したイタリア人ドライバーが死亡した際、国内のマスコミから糾弾されたことが原因とも言われる[62]。スポット参戦は数名いる(2009年のルカ・バドエル、ジャンカルロ・フィジケラなど)ものの、1992年のイヴァン・カペリを最後にイタリア人のレギュラードライバーは存在しない(ただし、ニコラ・ラリーニやルカ・バドエルといったイタリア人がテストドライバーとして長期間在籍していたことはある)。2005年以降、2輪MotoGP王者のバレンティーノ・ロッシを招いて何度かテスト走行を行ったが、フェラーリ加入は実現しなかった。
基本的に実績のあるドライバーを採用する方針だが、2010年より若手育成プログラムとしてフェラーリ・ドライバー・アカデミー (FDA) を運営し、セルジオ・ペレス、ジュール・ビアンキ、シャルル・ルクレール、ミック・シューマッハを輩出した。ペレスは2011年にフェラーリエンジンを搭載したザウバーよりF1にデビュー。2012年には2度の2位を獲得するなど活躍し2014年のフェラーリドライバーとしての契約も提示されるなど[63]、次期フェラーリドライバー候補と目されたが、ライバルチームのマクラーレン入りを選択した。2014年以降はメルセデス製エンジンを使用するレーシング・ポイント(2018年シーズン途中までのフォース・インディア)を経て、2022年現在はレッドブルに在籍している。ビアンキは2013年よりマルシャよりF1にデビュー。2014年のモナコGPで初ポイントを獲得。たびたびフェラーリ移籍説が流れるなど、将来のフェラーリドライバーの候補として期待されていたが、同年の日本GPでの大事故により帰らぬ人となってしまった。そのビアンキと幼馴染でもあったルクレールは、2017年にF2で圧倒的な成績でチャンピオンを獲得すると、翌2018年からフェラーリエンジンを供給したアルファロメオ・ザウバーからF1デビュー、下位チーム在籍のルーキーにして結果を残し続け、早くも翌年のフェラーリドライバー候補としてその名が挙がっていた。そして2019年からフェラーリで参戦することとなり、FDA出身のドライバーとして初のフェラーリドライバーが誕生することとなった[64][65]。フェラーリで黄金時代を築いたミハエル・シューマッハを父に持つミックは、2020年にF2でチャンピオンを獲得。翌2021年からフェラーリと技術提携を行っているハースF1チームからF1にデビューした。2022年シーズン終了後にハースを離脱しメルセデスのテストドライバーに就任したため現在はFDAを離れている。この他、ランス・ストロールや周冠宇もFDAに在籍していたことがある。
政治
レースの興行的価値という点でフェラーリの参戦は重要であり、フェラーリ側もその立場を認めて、運営団体に対して政治的駆け引きを行ってきた。
1964年には、スポーツカー世界選手権で250LMがGTカーとして公認されなかったことに抗議してイタリア自動車協会を一時脱退し、同年のF1シリーズ終盤戦にはノース・アメリカン・レーシング・チーム (NART) からエントリーした。
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1985年には、F1のレギュレーション改定案に抗議して、北米のCARTシリーズへの転向を示唆し、実際にプロトタイプのインディカー (開発コード637) を製作した。
2001年には、F1に参戦する他の自動車メーカーと共にGPWCを設立し、独立シリーズ構想の旗振り役となったが、コンコルド協定の更改に同意して2005年1月にGPWCを離脱した[66]。この裏切り行為は他メーカーの反感を買い、フェラーリ以外のチームが団結してGPMAを結成した[67]。
2008年には、F1チームの連合体であるFOTAの設立を主導し、フェラーリのモンテゼーモロが初代会長に就任した[68]。2008年にFOTA会長のモンテゼーモロがバーニー・エクレストンによるF1の運営方法を厳しく批判した際には、エクレストンが反撃としてフェラーリのGPWC離脱の背景に(フェラーリが受け取る)分配金を増額する「特別契約」が存在したことを暴露したが[69]、FOTA副会長(当時)のジョン・ハウェットは「フェラーリの歴史的立場は誰もが知っており、たいした意味はない」と受け流した[70][信頼性要検証]。
2009年5月にはフェラーリを含む数チームが予算制限規定(バジェットキャップ)に反対してF1撤退を示唆し[68]、その後もモンテゼーモロ会長はF1撤退というカードをちらつかせて改革を要求した[71][72]。F1チームの中で唯一、FIAや統括団体の提案に対する拒否権を有しており[73]、2015年にはパワーユニットの最高価格を設定するというFIAの提案に拒否権を発動した[74]。
イベントや広告への露出
オフィシャルスポンサーやサプライヤーの広告やイベント、モーターショーの展示にF1マシン(もしくはレプリカ)が露出、または貸し出されることが多い。なおF1マシンは、エンジンや補機類などが搭載されない展示用のレプリカも毎年数台製作され、世界各国の正規販売店やフェラーリ・ストアの店頭へのディスプレイに使用される。なおこれらのレプリカは、「F1クリエンティ」の顧客や正規販売店に販売されることもある。
1981年には、ジル・ヴィルヌーヴが運転する126CKとジェット戦闘機F-104スターファイターが滑走路で競走するというイベントを開催した。静止状態から並んで同時にスタートし1,000m走るというこのレースは、126CKが勝利している。2003年12月11日にもイタリアのバッカリーニ空港にて、ミハエル・シューマッハが乗るF2003-GAとジェット戦闘機ユーロファイター・タイフーンの競争を開催した。600mではF2003-GAが勝利したが、900mと1,200mではユーロファイターが勝利。雨天もありユーロファイターの2勝1敗という結果になった。
1998年には、オフィシャルスポンサーであるロイヤル・ダッチ・シェルグループのCMとして、「走行中のF1マシンが空中給油機から給油を受ける」という実写CMを世界各国で放送し話題になる。
2006年のトリノオリンピック開会式では、リアウィングに五輪マークが描かれたF2005をリザーブ兼テストドライバーのルカ・バドエルがステージ上でドライブし、ドーナツターンを披露した。
例年、10月の末から11月の初めにムジェロ・サーキットなどのサーキットにおいて「ファン感謝デー」ともいうべき「フィナーリ・モンディアーリ」、1月にはフィリップモリス主催により、ドゥカティと合同でマスコミ向けのスキーイベント「Wrooom」を開催している。1月のイベントは新シーズンの体制発表も兼ねている。また、シーズン前の新車の発表会は必ず、マラネッロのプレスルームで行い、全ての進行をイタリア語のみで行うのも伝統である。(かつて、イタリア語を話せなかったミハエル・シューマッハにカンニング・ペーパーを渡して読ませたこともある)。
また、2019年より新たにチーム名にフィリップモリスの「Mission Winnow」ブランドをつけると発表したが、その後撤回した。たばこ会社によるキャンペーンに対する外部からの調査が増加している中で、フィリップモリスは当初予想されていたよりも長い期間、そして可能性としてはシーズンの残りの全戦においてロゴを削除することを現在検討しているという。
ティフォシ
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熱狂的なフェラーリファンのことをティフォシ (tifosi) と呼ぶ。これはイタリア語で「熱狂的スポーツファン」「チフス患者」の意味を持つ「ティフォーゾ(tifoso)」の複数形であるが、元々はフェラーリファンを特定するものではなく、その熱狂振りに対する侮蔑表現を含んでいるため、彼らは自らのことを通常フェラリスタと呼ぶ。
なお、イタリア各地にフェラーリ公認の「スクーデリア・フェラーリ」のファンクラブがあり、イタリアグランプリや「フィナーリ・モンディアーリ」では会員のファンが集結する姿を見ることができる。
地元開催に当たるイタリアGPでは、来場したティフォシによってモンツァ・サーキットの観客席が赤く染められる。レース後の表彰式ではコースに乱入し、ホームストレート上で応援旗を広げるのが名物になっている。彼らの唯一最大の願いはフェラーリの勝利のみであるため、フェラーリがリタイアするとレース途中でもさっさと帰ってしまう(テレビ視聴者はテレビを消してしまう)。逆にフェラーリと優勝を争っているチームやドライバーのマシンにトラブルが発生したりリタイアすると大歓声をあげる。また1989年イタリアグランプリでは、このレース直前に翌年のフェラーリ加入が決定したアラン・プロストが乗るマクラーレンに大歓声が送られた事もある。
フェラーリF1クラブ
イタリアグランプリや日本グランプリ、モナコグランプリをはじめとするF1各戦における「Formula One Paddock Club」のフェラーリ・シャレーや各スポンサーのシャレーでの観戦パスをフェラーリオーナーとその家族、招待者限定で販売している。通常フェラーリ・シャレーにはドライバーやチーム首脳陣が訪れ、挨拶や記念撮影などを行う。
関連人物・企業
人物
現在のF1ドライバー
- シャルル・ルクレール - 正ドライバー
- カルロス・サインツJr. - 正ドライバー
- アントニオ・ジョヴィナッツィ - リザーブドライバー
- ロバート・シュワルツマン - リザーブドライバー
現在の主要関係者
- フレデリック・バスール - チーム代表、マネージングディレクター、チーフテクニカルオフィサー
- ロリー・バーン - テクニカルアドバイザー
- マリオ・アルモンド - オペレーション・ディレクター
フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)
2009年に設立されたフェラーリの若手ドライバー育成プログラムであり、F4からF3、F2までのジュニアカテゴリに参戦している。2022年現在は8名が在籍している[75]。
主な元在籍者
- ジュール・ビアンキ - FDA所属第1号。2014年日本GPでの大事故により翌年逝去
- セルジオ・ペレス - 2013年にマクラーレンに移籍したことにより離脱
- ランス・ストロール - 2016年にウィリアムズと契約したことにより離脱
- 周冠宇 - 2018年にルノーと契約したことにより離脱
- シャルル・ルクレール - 2019年よりフェラーリ正ドライバーに就任
- ミック・シューマッハ - 元F1ドライバーでフェラーリに在籍していたミハエル・シューマッハの息子。2021年よりハースからF1に参戦したが、2023年にメルセデスとリザーブドライバー契約したことにより離脱
パートナー
大型スポンサー
- フィアット - アルファロメオブランド
- シェル - ガソリンおよび各種オイルを供給(1950年 - 1973年,1996年 - )
- フィリップ・モリス(マールボロなど) - 1980年代よりドライバーを支援し、1997年以降はメインスポンサーだが、F1におけるたばこ広告の禁止を受けて商品ロゴの掲出は行わない。2018年、科学研究をする子会社を通じてスポンサー再参入を果たし、同年10月に開催された日本グランプリでは「ミッション・ウィノウ」のロゴの御披露目が行われ、以降、終盤のマシンには新プロジェクト「ミッション・ウィノウ」(Misson Winnow)のロゴが入れられた。2019年もプロジェクトは継続され、チーム名も一旦は「スクーデリア・フェラーリ・ミッション・ウィノウ」となることが発表されていたが、開幕戦のオーストラリア当局やFIMが広告に関する規定違反などについて調査を開始。2019年3月5日、フェラーリはチーム名から「ミッション・ウィノウ」を外すことを発表した[78]。
- サンタンデール銀行(2010年 - 2017年, 2022年 - )- 2010年にスペイン人ドライバーのフェルナンド・アロンソの加入によりチームのメインスポンサーとなり、アロンソが2014年シーズンを以ってチームを離脱した後も2017年までスポンサーを継続していた。2021年に同じくスペイン人ドライバーのカルロス・サインツJr.がフェラーリに加入し一定の活躍を見せたことで、翌2022年よりチームのスポンサーに復帰することとなった[79]。
- HP Inc.(2024年 - )
- 過去の大型スポンサー
- アスプレイ
- フェレロ - 菓子商品「tic tac」ブランド
- フェデックス
- ボーダフォン - 2002年から2006年の5年間スポンサーを務めた。その後、2007年から2013年までライバルチームであるマクラーレンのタイトルスポンサーを務めた。
- マルティニ・レーシング - 2006年から2008年にかけてチームを支援。ノーズにマーキングが施された。
- アリーチェ(テレコム・イタリア) - 1995年から2001年(テレコムイタリア名義)と2007年から2009年(アリーチェ名義)にかけてチームを支援。ウイング翼端板などにマーキングが施された。
- エティハド航空(2008年 - 2010年)
- ムバダラ・ディベロプメント・カンパニー - UAEの政府系投資ファンド。アブダビにフェラーリ・ワールドを建設(2006年 - 2010年)
- ウブロ(2012年 - 2020年)
サプライヤー
- 公式サプライヤー
- 過去のサプライヤー
-
- アジップ - ガソリンおよび各種オイルを供給(1974年 - 1995年)
- パイオニア - 無線機器を供給(1991年 - 1997年)
- ブリヂストン - タイヤを供給(1999年 - 2010年)
- グッドイヤー - タイヤを供給
- BBS - ホイールを供給(1992年 - 2011年)
- エイサー - IT機器を供給(2003年 - 2012年)
- タタ・コンサルタンシー・サービシズ
- ヨーロップカー
- ダイキン(現・エクセディ) - クラッチ(? - 1996年)
- プーマ - チームウェア(2004年 - 2020年)
- AMD - テレメトリーシステムおよびサーバ(2002年 - 2012年、2018年 - 2020年)
注釈
- ^ ノースアメリカン・レーシングチーム(NART)名義で出場したレースを含む。
- ^ ワークスのスクーデリア・フェラーリがプラクティスを撤退し、プライベーターのピーター・ホワイトヘッドのみ出場した1950年フランスグランプリは除く。
- ^ プライベートチームの1勝(1961年フランスグランプリのジャンカルロ・バゲッティ)を除く。
- ^ プライベートチームの5回を除く。
- ^ 1954年イギリスグランプリと1970年オーストリアグランプリはスクーデリア・フェラーリ所属ドライバー2人が記録。プライベートチームの1回(1961年フランスグランプリのジャンカルロ・バゲッティ)を除く。
- ^ イタリア語発音: [skudeˈria ferˈrari] スクデリーア・フェ(ッ)ラーリ
- ^ インディ500を含めた場合は両方とも7連勝にとどまる。その後、2013年にセバスチャン・ベッテルが個人9連勝を達成した。
- ^ 312BのBの由来でもあるボクサーという通称だが、そのエンジンは実際にはいわゆる「180度V型」であり、スバルやポルシェのボクサー水平対向とは異なる。
- ^ ただし、ハンガリーGP分の剥奪ポイントも含めた両ドライバーの単純合計では、マクラーレンは218ポイントとなる
- ^ 1970年代のボクサーエンジンは、厳密には「180度V12」であるが。
出典
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- ^ フェラーリの社長が交代 - フィアット社は91年11月15日にピエロ・フサロ社長を解任し、後任に元フェラーリF1チーム監督のルカ・モンテツェモロを任命したと発表した。GPX 1992カレンダー号 5頁 山海堂 1991年12月21日発行
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