サンマリノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 05:34 UTC 版)
歴史
サンマリノは、共和政体を採用する現存国家としては世界でも最も長い歴史を持つ。1631年、ローマ教皇が独立を承認して世界最古の独立共和国となった。サンマリノも侵略や短期間の占領を受けたことはあるが、ローマ教皇の助力を得るなど外交的立ち回りや、敵将の急死といった幸運や[2]、山中にあって地政学的重要性が低く資源が乏しかったことなどの理由で、現代に至るまで独立を保ち続けた[2]。イタリア戦役に勝利して北イタリアを制圧したナポレオン・ボナパルトから、約20キロメートル東のアドリア海沿岸のリミニまで領土を広げることを提案されたが、紛争に巻き込まれる危険性を避けるため断った[2]。その後、1815年には、ナポレオン戦争後のウィーン会議でサンマリノの独立が再確認されている。
19世紀半ばのイタリア統一運動(リソルジメント)でも立役者であるジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア帝国から匿ったり[2]、義勇軍を派遣したりして独立国として残った[11]。1862年、統一されたイタリア王国と関税同盟を結ぶ一方、友好善隣条約を結んで近代国家としての主権と独立を獲得し、それ以来イタリアとは密接な関係を維持している。イタリアとの間では1897年に友好条約を締結、1953年にはこれを更新した[12][要ページ番号]。
冷戦終結後の1992年には国際連合と国際通貨基金(IMF)に加盟した[12][要ページ番号]。
なお、2008年には「サンマリノの歴史地区とティターノ山」として、サンマリノ市、ボルゴ・マッジョーレ市などの一部がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
年譜
- 301年 - イタリア半島の対岸ダルマツィア地方出身の石工マリヌス (聖マリーノ)が、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害を逃れるために、9月3日仲間に仲間とともにチタン山(現・サンマリノ市のティターノ山)に立てこもり建国したといわれる。
- 951年 - 文献上に初めてサンマリノの存在が現れる。
- 1257年 - ギベリン(皇帝派)とグエルフ(教皇派)の闘争に巻き込まれ、ローマ教皇インノケンティウス4世より破門される。破門は2年後に解除された。
- 1463年 - 近隣リミニ(現・エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
- 1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
- 1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
- 1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
- 1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア帝国軍の追撃から匿う。
- 1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディを匿ったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが失敗。
- 1862年 - イタリア統一運動(リソルジメント)における功労によって、イタリアと友好善隣条約を締結。独立が再確認される。
- 1923年 - サンマリノファシスト党政権が誕生する。
- 第二次世界大戦中 - サンマリノは武装中立を宣言したが、イタリア戦線が始まると、戦火を逃れるために約10万人の難民が国内に流入した[2]。1944年6月26日にはイギリス空軍機の誤爆を受け、69名の民間人が死亡した。9月17日にはドイツ軍が占領、同日から20日にかけてサンマリノの戦いが発生し、ナチス・ドイツを撃退した連合軍によって約2か月間占領された。
- 1947年 - 世界初の自由選挙によるサンマリノ共産党政権が誕生する。
- 1992年 - 3月2日、国際連合に加盟。
注釈
- ^ 1999年以前の通貨はイタリア・リラ、サンマリノ・リラ。「サンマリノのユーロ硬貨」も参照。
- ^ マッサ=セニガッリア線の北側の言語で西ロマンス語に属する。南側の標準的なイタリア語の属するイタロ・ダルマチア語に対立することがある。
出典
- ^ a b c d e f g h i “サンマリノ基礎データ”. 日本国外務省. 2022年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 【小国に生きる】サンマリノ共和国▶1700年間一度も戦争したことがない国 The AsahiShimbun GLOBE(『朝日新聞』朝刊2022年8月21日G2面(2022年9月3日閲覧)
- ^ a b “UNdata” (英語). 国連. 2021年11月11日閲覧。
- ^ SAMMARINESE (2018年7月9日). “世界最古の『山頂の共和国』”. SAMMARINESE. 2022年5月2日閲覧。
- ^ “The smallest countries in the world by area” (英語). www.countries-ofthe-world.com. 2022年5月2日閲覧。
- ^ a b c “San Marino country profile” (英語). BBC News. (2018年5月18日) 2022年5月1日閲覧。
- ^ a b 世界で最も古い共和国 駐日サンマリノ共和国大使館(2022年9月3日閲覧)
- ^ “「山のてっぺんの島国」サンマリノ 暮らしてわかった、日本との共通点”. 2023年3月20日閲覧。
- ^ a b c d e 世界の国旗と国ぐに 2003, p. 52.
- ^ “COUNTRY PROFILE Republic of San Marino” (PDF) (英語). サンマリノ共和国大使館. p. 7 (2016年). 2022年4月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l データブック オブ・ザ・ワールド 2012, p. 343.
- ^ a b c d e f g h i j 堺 2004.
- ^ a b c d e “世界の国々「サンマリノ」”. 2021年9月4日閲覧。
- ^ 二宮書店編集部 編 編「サンマリノ」『データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版』二宮書店、2016年1月10日、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-8176-0399-9 。2021年9月4日閲覧。
- ^ “サンマリノ基礎データ”. 日本国外務省. 2017年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月11日閲覧。
- ^ “日本サンマリノ通商協力機構”. 2011年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月2日閲覧。
- ^ “Girl Power サンマリノ共和国の神社に参拝”. 一般社団法人Girl Power (2014年6月26日). 2021年9月4日閲覧。
- ^ “在サンマリノ日本国大使館”. 外務省. 2022年5月1日閲覧。
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- ^ “在サンマリノ日本国大使館”. 外務省. 2022年5月1日閲覧。
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