サンマリノGPにおける事故と開催中止について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:13 UTC 版)
「サンマリノグランプリ」の記事における「サンマリノGPにおける事故と開催中止について」の解説
F1の1国1開催の例外であることやサーキットの安全性などから、常に開催中止の噂が絶えなかった。 1987年にはウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケが、1989年にはフェラーリのゲルハルト・ベルガーが、1992年の合同テストにはウィリアムズ・ルノーのリカルド・パトレーゼが、それぞれタンブレロコーナーで激しいクラッシュを起こしている。 また、1994年サンマリノGP予選中に当時ジョーダン・ハートのルーベンス・バリチェロがクラッシュして骨折、翌日にはシムテック・フォードのローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーヴ・コーナーでクラッシュし死亡という事故が起こる。そして決勝ではウィリアムズ・ルノーのアイルトン・セナがタンブレロコーナーでコンクリートウォールにクラッシュし死亡する事故が発生した。またこのほかにもスタート直後のクラッシュで、タイヤがフェンスを通り越して観客が負傷、ピットを出ようとしたミケーレ・アルボレート(ミナルディ・フォード)のマシンのタイヤが外れてフェラーリとロータスのメカニックを直撃し負傷させるなどの重大な事故が相次ぎ、F1史上最悪の週末となった。 1995年にはタンブレロコーナーを改修するなどの措置をとることで死亡事故後も開催は続けられていたが、2006年からイモラ・サーキットが大規模な改修工事が行われること、また国際自動車連盟(FIA)が、「F1の世界選手権シリーズ開催を1カ国・1レースのみを厳守する(例外廃止)」という取り決めが制定されることになり、2007年のサンマリノGP中止が決まった。以後、イモラでのF1開催は2020年のエミリア・ロマーニャGPまでなかった。
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