サンマリノ共和ファッショの結成と終焉
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「サンマリノファシスト党」の記事における「サンマリノ共和ファッショの結成と終焉」の解説
1944年1月4日、ゴジと2千人の忠実なファシストによってサンマリノ共和ファッショ(イタリア語版)が設立された。彼らはイタリアの共和ファシスト党を強くモデルにしていたが、第二次世界大戦の中立は維持し続けた。 メーデーの際に、ファシスト政府は違法なストライキを計画したとして共産主義者を短期間逮捕した。6月26日、イギリス空軍がサンマリノを爆撃し、市民63名が死亡した。ファシスト政府はその日を国民の追悼日と宣言し、反連合国の宣伝に使用した。9月17日、枢軸国軍が退避のためサンマリノを占領したが、3日後のサンマリノの戦い(英語版)で連合国軍によって排除された。連合国軍は2か月間駐留し、ファシストによる政治的独占を終わらせた。1944年10月1日の選挙でファシストは排除され、11月16日にサンマリノ共和ファッショは非合法化された。2000の都市で1万5000人の市民が政治活動を禁止され、この事は左翼に有利をもたらした。1945年4月の選挙で共産党・社会党の連立政権が成立し、ゴジと50名のファシストが裁判にかけられ投獄された。
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