西洋史
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西洋史(せいようし、英語: Occidental History、Western History)は、欧州を中心とする西洋世界の歴史。日本や韓国の歴史学や歴史教育では国史、東洋史と並ぶ三領域の一つ。
司馬遷などの手法に基づく東洋的な歴史学に対して、古代ギリシアのヘロドトス(ヘーロドトス)などの手法に基づく西洋的な歴史学の方法を指すこともある[1]。
日本の西洋史学は、ドイツのレオポルト・フォン・ランケの史料批判に基づく実証主義的な科学的歴史学が、帝国大学(東京帝国大学)教師のルートヴィヒ・リースによって導入されたのが始まりである[2]。ただし、近代以前にも蘭学者、洋学者による実証的な西洋史研究は行われている。
古代オリエント、ローマ帝国時代や十字軍時代の地中海、マグリブ、中東、近代以降のアメリカ合衆国などアメリカ州やオセアニア州を含むため、欧州史とは異なる概念である。
例えば、中央大学文学部東洋史学専攻のウェブサイトでは以下の説明がある[3]。
日本でいう西洋史とは、古代オリエントからギリシア・ローマを経てヨーロッパに至る文明の流れのことです。それをふまえて簡潔にいうと、「イスラーム以前の中東・北アフリカの歴史」とロシア史は西洋史、日本列島の歴史は日本史で、それらを除くアジア・アフリカの歴史はすべて東洋史だと考えておけば、だいたい間違いはありません。
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関連項目
参考文献
脚注
- ^ 岡田 1999
- ^ 土肥 2023年
- ^ “よくいただくご質問 |”. 中央大学. 2023年9月24日閲覧。
外部リンク
西洋史
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「en:Regent」も参照 古代ギリシアではマケドニア王国において時折摂政が置かれ、しばしば摂政による君主の殺害や簒奪が起こった(アエロポス2世によるオレステスの殺害、ピリッポス2世によるアミュンタス4世の廃位)。アケメネス朝ペルシアを征服して大帝国を築いたマケドニア王アレクサンドロス3世(大王)の死後(紀元前323年)、王位は生まれたばかりの遺児アレクサンドロス4世と、大王の異母兄弟で知的障害者のピリッポス3世が共同で継承することになった。当然のことながら彼らに統治能力はなく、摂政が置かれることになった。 当初は有力貴族ペルディッカスが摂政に就任したが、彼に不満を持つ諸将は彼を滅ぼして重臣アンティパトロスが摂政に就任した(紀元前321年)。しかし、アンティパトロスの死後(紀元前319年)、息子のカッサンドロスとアンティパトロスから地位を譲られた老将ポリュペルコンとが摂政の地位を争い、ポリュペルコンを懐柔したカッサンドロスによってアレクサンドロス4世は殺害され、大王の血統は断絶した(紀元前309年)。 東ローマ帝国では、聖職者の長であるコンスタンティノポリス総主教が摂政役を務めたこともある。 また、戦間期のハンガリー王国におけるホルティ・ミクローシュや20世紀中葉のスペインにおけるフランシスコ・フランコのように、君主が不在のまま摂政のみが置かれることもある。
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