機雷原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:04 UTC 版)
連合軍艦隊は一旦南下し、ジャワ島沿岸に向かっていた。しかしその動向は相変わらず神通機によって日本艦隊に通報されていた。22時50分、神通機は那珂機と触接を交代する。ドールマン少将は艦隊戦では彼我の戦力差から不利と考えて、ジャワ島沿岸スレスレまで南下し陸沿いに進撃することで日本艦隊の目をくらまし、日本船団に直接突入することを企図していた。ジャワ島沿岸に達すると、ドールマン少将は燃料が不足してきた米駆逐艦4隻にスラバヤへの帰投命令を発し、艦隊から離脱させた(無断離脱だった可能性もある)。この分離で那珂機は連合軍艦隊を見失ってしまった(交信が途切れたためとも)。那珂機が触接を失ったことで日本艦隊は自ら索敵をせねばならなくなり、那智、羽黒と第二水雷戦隊は各隊に分かれて南下を始めた。 索敵機の目をくらますことに成功した連合軍艦隊はジャワ島沿岸を西進していたが、その先にはオランダ軍がその日の午後に敷設したばかりの機雷原があった。しかし、連絡不達によりその存在をドールマン少将はおろか、連合軍海軍現地司令官のヘルフリッヒ中将すら知らなかった。 22時55分、最後尾の英駆逐艦ジュピターが突如大爆発を起こして炎上し『われ雷撃を受く』を報告、4時間後に沈没した。日本潜水艦からの雷撃と判断(誤認)したドールマン少将は急いで海域を離れるべく艦隊を北上させた。しばらく北上すると昼戦時の戦闘海面に達し、ここに撃沈されたコルテノールの生存者が多数漂流していたため、艦隊に唯一残っていた駆逐艦エンカウンターがこれを救助、スラバヤへ後送するため艦隊を離れた。 こうして連合軍艦隊は巡洋艦4隻(デ・ロイテル、パース、ジャワ、ヒューストン)だけとなってしまった。しかし、ドールマン少将はあくまでも日本船団に対する攻撃を諦めず、ひたすら日本船団がいると思われる海域へ北上していった。
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