機雷の有効性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 20:25 UTC 版)
「蒸気船時代の海戦戦術」の記事における「機雷の有効性」の解説
この戦争では機雷が単に防御のためというよりも攻撃手段として用いられた。日本軍が旅順港外に機雷を敷設したのである。1904年4月12日、ロシアの旗艦「ペトロパヴロフスク」がこの機雷原に入り沈没、戦艦「ポベーダ」は大破した。ロシア軍は1ヶ月後にやはり旅順港外に機雷を敷設し、日本軍の6隻の戦艦の内2隻「八島」と「初瀬」を沈めた(旅順港閉塞作戦参照)。
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