方丈とは? わかりやすく解説

ほう‐じょう〔ハウヂヤウ〕【方丈】

読み方:ほうじょう

【一】

1辺が1丈(約3メートル)の正方形。1丈四方また、その広さ部屋。「—の間(ま)」

維摩(ゆいま)経の主人公である維摩の、1丈四方居室転じて禅寺で、住職居室。寺の住持また、住職の称。

【二】古代中国起こった神仙思想による三神山の一。東方海上にあり、不死持った仙人が住むという。


方丈

読み方:ホウジョウ(houjou)

一丈四方、畳4畳半の広さ。またその広さ部屋


孤篷庵本堂(方丈)、書院及び忘筌

重要文化財のほかの用語一覧
近世以前(寺院):  妙楽寺本堂  妙源寺柳堂  妙興寺勅使門  孤篷庵本堂  安国寺釈迦堂  安楽寺塔婆  安楽寺多宝小塔

方丈

作者田中芳子

収載図書月とハーモニカ
出版社審美
刊行年月2008.4


方丈

読み方:ホウジョウ(houjou)

所在 静岡県袋井市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

方丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/26 08:32 UTC 版)

方丈(ほうじょう)は、


  1. ^ ここでの尺は、明治以降にメートル法によって定義されたものに依っている。
  1. ^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁


「方丈」の続きの解説一覧

方丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:20 UTC 版)

真珠庵」の記事における「方丈」の解説

入母屋造檜皮葺寛永15年1638年)に京の豪商後藤益勝の寄進により造営されたもので、曾我蛇足長谷川等伯障壁画が伝わる。

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方丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 06:56 UTC 版)

聚光院」の記事における「方丈」の解説

桃山時代の方丈建築代表する建物で、方丈内部狩野松栄永徳父子による障壁画飾られている。障壁画オリジナル保存のため京都国立博物館寄託され、現在方丈にある障壁画複製である。

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方丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 15:07 UTC 版)

孤篷庵」の記事における「方丈」の解説

重要文化財。「本堂」とも称する入母屋造瓦葺き寛政5年1793年)の火災による焼失後、寛政9年1797年)に雲林院客殿移築したのである

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方丈(本堂)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 14:29 UTC 版)

桂春院」の記事における「方丈(本堂)」の解説

京都府指定有形文化財寛永8年1631年)に建立され単層入母屋造桟瓦葺の建物で、内部狩野山楽弟子である狩野山雪による襖絵飾られている。このうち金碧松三日月図」は狩野山雪の筆によるもので、かつては仏壇背後貼り付けられていたが、襖絵へと改装された。

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方丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:55 UTC 版)

建長寺」の記事における「方丈」の解説

竜王殿」とも称する総門同じく京都般舟三昧院から移築したもの。庭園夢窓疎石の作といわれる

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方丈(本堂)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:36 UTC 版)

金地院」の記事における「方丈(本堂)」の解説

重要文化財桁行11間、梁間7間の大規模な建物であるが、平面形式禅院方丈に典型的な間取りである。すなわち前列中央が「室中」、その奥が本尊地蔵菩薩像安置する仏間」。西側は奥が「富貴の間」(衣鉢の間)、その手前が「次の間」(檀那の間)、東側手前が「鶴の間」(礼の間)、奥が「菊の間」(書院の間)となる。「富貴の間」は奥に床高一段高めた上段設け、床(とこ)、付書院設け天井格天井とする格式の高い部屋である。各室の襖や障子腰板には狩野派による金地障壁画がある。障壁画主な画題は「富貴の間」が、「次の間」が牡丹、「室中」が唐人物、「鶴の間」と「菊の間」がそれぞれなどである。この大方丈本堂)は寺伝では慶長16年1611年)に、崇伝伏見城一部江戸幕府3代将軍徳川家光から賜り移築したものといわれるが、話の時代合っていないうえ、建物移築痕跡確認できない実際寛永4年1627年)に崇伝によって建立されたものとみられる障壁画製作は崇伝から狩野探幽委嘱した記録が『本光国師日記』にあり、画題選定探幽が行ったものであることがわかるが、探幽が自ら作画携わったか否かについては同日記は伝えていない。武田恒夫土居次義らの研究者は、探幽指揮のもと、実際作画富貴の間・次の間狩野尚信が、室中鶴の間狩野信政担当した推定している。 正面掲げられている額「布金道場」は山岡鉄舟の筆。明治時代初期巻き起こった廃仏毀釈から守るため、仏教寺院ではなく道場である旨を表したのである大方丈鶴の間北面 大方丈室中 大方丈室中東面 大方丈室中西面 大方丈室中北面 大方丈次の間東面 大方丈次の間西面障子腰板

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