党幹事長
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2003年、民由合併に尽力し第43回衆議院議員総選挙(北海道9区)で6期目当選。 2004年の自民党議員の年金未納問題を追及していた際に自分も8年9か月間未納であったことが判明した。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で7期目当選。この総選挙で民主党は議席を「177」から「113」に減らし、9月12日、党代表の岡田克也は引責辞任を表明。後継を争う代表選挙では、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅、若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため水泡に帰した。鳩山は菅支持を明言。代表選挙は9月17日に行われ、前原が2票差で菅を破り、当選した。同日発足の前原執行部で幹事長に就任。同年、同志社大学客員教授。 2006年2月に発生した堀江メール問題では、当時幹事長にもかかわらず、ことの発端となったメールに関し、永田・前原両議員から事前にほとんど何の相談も受けていなかったとされる。3月、前原執行部が総辞職すると幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。新潟県中越沖地震発生当時、新潟市での演説を予定していたが、高崎駅で下車し、自動車で柏崎市入りした。党新潟県中越沖地震対策本部長に就任。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙大勝を受けての党役員人事で引き続き、党幹事長に留任。 2009年1月14日、日本教職員組合(日教組)新春の集いに参加し民主党支援に感謝の言葉を述べるとともに「日教組とともにこの国を担う覚悟だ」と挨拶した。 2009年1月29日の通常国会における衆院代表質問において、自民党本部の国有地賃貸問題を追及したが、同時期同理由で当時同じく賃貸で国有地に党本部を置いていた社民党から追及への不満を述べられると共に、鳩山自身も「社民党に言ったわけではない」等と釈明した。 2009年3月、小沢一郎民主党代表の秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された際、「国策捜査」であると検察を批判。また2009年4月24日、SMAPメンバーの草彅剛が公然猥褻で逮捕されると「そこまでやるか」と警察を批判した。しかし、その後鳩山自身に政治資金規正法違反疑惑の捜査が及ぶと、「以前『国策捜査』と述べたことは感情論で述べたものであり、二度とは申していない」と述べた。
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