ウェーバー (Weber, Wilhelm Eduard)
ウェーバーという人は
ヴィルヘルム・エドゥアルト・
ウェーバー
ヴィッテンベルク大学神学教授の次男として、1804年にヴィッテンベルクに生まれる。 1822年からハレ大学でシュワイガーに師事し、音響学を専攻する。ウェーバーの博士論文や教師資格論文は音響に関するものだった。
1828年、ウェーバーはベルリンで開かれた学会で、フンボルトの紹介によりガウスと知己を得る。 ガウスの推薦により、1831年に彼はゲッチンゲン大学の物理学教授となり、ガウスと共同で地磁気や電磁気の単位系の研究を行う。
ウェーバーの主な経歴
1833年、電磁式電信機をガウスとともに発明する。 5本の電線と5つの磁針を用いた反射電流型電信機であり、地磁気観測所と研究所間の約83kmを実際に電信した。 これ以前の電信は使用する文字数と通信線の本数が同じだけ必要であり、実用的とは言えないものだった。 この発明を耳にしたクックはイギリスに戻り、ホイートストンとともに電信機を完成させる。
1846年、ガウスが磁気で行ったのと同様に、長さ、質量、時間の3項目を用いて静電単位を決定する。 1840年頃から力学的な単位は長さ[cm]、質量[g]、時間[sec]を用いるc.g.s.単位系が一般的となっていた。 言ってしまえばガウスの磁気単位もウェーバーの静電単位も当然の帰結ではある。
1851年、電流・電気抵抗の絶対測定を完成させる。 アンペールの法則を出発点として定めるもので、検流計を改良し、固定コイルの間に2本の可動コイルを配置してその振れ角から電流を絶対測定するダイナモメーター(電流力計)を製作する。 ダイナモメーターは交流の電流や電圧を測定することができた。これを最初に提案したのはキルヒホッフであるが、完成させたのがウェーバーであった。
1856年、静電単位と電磁単位の比が光の速度にほぼ等しいことをコールラウシュとともに実証する。 当時、光速はフーコーによってすでに測定されていたが、電磁波の存在はまだ知られていない。 当然その速度が光速に一致するということも知られていない。 ウェーバーとコールラウシュは同じ電気量の測定を静電的、電磁的に測定して両者を比較し、3.1×10^10[cm/sec]という値を得る。 発見当時はさほど注目されなかったが、後にマクスウェルの電磁気学理論の重要な伏線であることが明らかになった。
磁束の単位・ウェーバー
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