スプリングフィールドM1812
スプリングフィールドM1812 | |
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種類 | マスケット銃 |
製造国 |
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設計・製造 |
スプリングフィールド兵器廠 ハーパーズ・フェリー兵器廠 |
年代 | 18世紀終わりごろ |
仕様 | |
種別 | 前装式 |
口径 | .69口径(17.526mm) |
銃身長 | 1066mm |
装弾数 | 1発 |
作動方式 | フリントロック式 |
全長 | 1473mm |
重量 | 約4.5kg |
発射速度 | 2、3発/分 |
銃口初速 | 304~365m/秒 |
最大射程 | 100~200ヤード |
有効射程 | 50~75ヤード |
歴史 | |
設計年 | 1812年 |
製造期間 | 1814年~1816年 |
配備期間 | 1814年~1865年 |
配備先 | アメリカ合衆国北軍、連合国南軍 |
関連戦争・紛争 | 米墨戦争、南北戦争 |
製造数 | 約30000丁 |
スプリングフィールドM1812(英:Springfield Model 1812 Musket)は、スプリングフィールド造兵廠で製造された.69口径のフリントロック式マスケット銃。
概要
1812年の米英戦争では、前モデルであるスプリングフィールドM1795の多くの欠点が判明した。M1812はデザインと製造プロセス双方の改良を目指したものである。デザインはフランスのシャルルヴィル・マスケット・モデル1777を参考にしたものであった[1]。M1812は米英戦争には間に合わなかったが、その後に軍および民兵における標準小銃となった[2]。
M1812はスプリングフィールド兵器廠で生産され、ハーパーズ・フェリー兵器廠では1818年までM1795の生産が続けられた[3]。
M1812は1816年にスプリングフィールドM1816で置き換えられたが、M1812自体はその後も長期間使用され続け、南北戦争においても主として南軍で使用された。南北戦争勃発時にはM1812は既に旧式化していたが、兵器不足を補うために使用されたのである[4]。
一部のM1812は、後にパーカッションロック式(雷管式)に改造された。雷管式はオリジナルのM1812に使われたフリントロック式に比べて、信頼性が高く悪天候にも強かった。
脚注
- ^ Springfield Armory Weapons Research
- ^ Russell
- ^ Chapel
- ^ Nofi
参考資料
- Carl P. Russell: Guns on the Early Frontiers: From Colonial Times to the Years of the Western Fur Trade (Dover Military History, Weapons, Armor), Dover Publications (March 24, 2005), ISBN 978-0486436814 (original hard cover in 1980)
- Charles Edward Chapel: Guns of the Old West, Coward-McCann; 1st edition (1961), ASIN: B0006AX4 (Reprint by Courier Dover Publications, 2002)
- Albert A. Nofi: A Civil War Treasury, Da Capo Press, (May 21, 1992) ISBN 978-0938289128
関連項目
「Springfield Model 1812 Musket」の例文・使い方・用例・文例
- ナポレオンは、1812年にロシア西部のモスクワの西側での会戦でロシア人を破ったが、取り返しがつかないほど彼の軍隊は弱体化した
- 米国と、米国の対仏貿易に干渉しようとした英国との間の戦争(1812年−1814年)
- フランシス・スコット・キーによって1812年の戦争の間に書かれた詩は、音楽がつけられ、米国の国歌として、1931年に議会によって採用された
- 都市は、オランダ人によりスターブルークと呼ばれいたが、1812年に英国人によりジョージタウンに改名された
- 英国の詩人、エリザベス・バレット・ブラウニングの夫で、劇的な独白で知られる(1812年−1889年)
- アパッチ族のリーダーで、アリゾナ州で米国軍に抵抗した(1812年−1874年)
- 英国の作家で、小説が社会的な不当な扱いを表現し、批判した(1812年−1870年)
- 米国の資本家(フランス生まれ)で、1812年の米英戦争への融資を手助けした(1750年−1831年)
- 米国の海軍将校で、1812年の戦争の間に『憲法』を駆使して、英国人に対する一連の光り輝く勝利を勝ち取った(1773年−1843年)
- 米国の弁護士、詩人で、1812年戦争の間に、ボルチモアに対する英国の攻撃を目撃した後に詩を書いた
- フランスの海賊で、1812年の戦争で米国を助け、罪に対する公式の許しを受けた(1780年−1826年)
- 英国の画家でナンセンス詩人(1812―1888)
- 英国の学者で、シェークスピアの劇に関する年表と、シェークスピアとドライデンの版で知られる(1741年−1812年)
- 1812年の米英戦争中にエリー湖で英国人を破った艦隊を率いた米国の准将
- 英国の建築家で、ゴシック建築の19世紀の復活において大きな役割を果たした(1812年−1852年)
- 米国の将軍で、1812年戦争の英雄であり、メキシコ戦争でサンタ・アナを破った(1786年−1866年)
- 1812年にスイスの探検家ヨハン・ルードヴィッヒ・ブルクハルトによって発見されるまで,ペトラは数世紀に渡って忘れ去られていた。
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