スプリングフィールドM1840
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/10 19:06 UTC 版)
スプリングフィールドM1840 | |
---|---|
種類 | マスケット銃 |
製造国 |
![]() |
設計・製造 |
スプリングフィールド兵器廠 2つの契約企業 |
年代 | 19世紀中ごろ |
仕様 | |
口径 | .69口径(17.526mm) |
装弾数 | 1発 |
作動方式 | フリントロック式 |
全長 | 1473mm |
重量 | 4.5kg |
発射速度 | 2、3発/分 |
最大射程 | 100~200ヤード |
有効射程 | 50~75ヤード |
歴史 | |
設計年 | 1840年 |
製造期間 | 1840年~1846年 |
配備期間 | 1840年~1865年 |
配備先 | アメリカ合衆国軍 |
関連戦争・紛争 | 米墨戦争、南北戦争 |
製造数 | 30000丁 |
スプリングフィールドM1840(英:Model 1840 Flintlock Musket)はスプリングフィールド兵器廠で製造されたフリントロック式マスケット銃。
概要
M1840は、スプリングフィールドM1835マスケットの改良版であり、従ってM1835と大きく異なるところはない。M1840は留め金付きのより長い銃剣と、銃床にcomb(頬当て)を採用した。M1840の設計者は、マスケットにライフリングが施されることを予想しており、それに対応できるようにM1835より重い銃身を使用した。他の変更もあり、M1840はM1835より若干重くなった[1]。
M1840は、スプリングフィールドで製造された最後のフリントロック式マスケット銃であった。また、多くが実戦で使用される前にパーカッションロック式(雷管式)に改造された。滑腔銃として製造されたが、設計者が予想したように、ほとんどが後にライフル式に改造された。
参考資料
- ^ "Guns on the Early Frontiers" by Carl P. Russell, Published by U of Nebraska Press, 1980
関連項目
「Springfield Model 1840 flintlock musket」の例文・使い方・用例・文例
- 初期の期間機関車の名前(およそ1840年頃)
- 英国のしゃれ男で、リージェンシー時代のファッションリーダー(1778年−1840年)
- 米国の辺境の住民で、1840年代にフレモントの遠征を誘導して、北軍の司令官として南北戦争で働いた(1809年−1868年)
- プロシアの王で、ナポレオン戦争に巻き込まれた(1770年−1840年)
- 彼女のコレクションを収納するために博物館をボストンに建設して、1903年にそれを市民に公開した米国の芸術品コレクターと後援者(1840年−1924年)
- 英国の小説家で詩人(1840年−1928年)
- 米国軍から撤退した時のネズパース族のリーダー(1840年−1904年)
- ドイツの神経科医で、性倒錯者の研究で知られる(1840年−1902年)
- アメリカの海軍将校で歴史家(1840年−1914年)
- 英国の発明者(米国生まれ)で、第一次世界大戦に使用されたマキシム砲を発明した(1840年−1916年)
- フランスの印象派の画家(1840年−1926年)
- 米国の政治漫画家(1840年−1902年)
- イタリアのバイオリニストで、バイオリンのための音楽の作曲家で(1782-1840)
- フランスの彫刻家で、人間の形に対する表現で知られる(1840年−1917年)
- 米国の社会学者(1840年−1910年)
- 英国の作家(1840年−1893年)
- 重要なロシア人の作曲家で、その作品は表現豊かなメロディーで知られる(1840年−1893年)
- 1840年から1849年までの10年間
- この映画はノンフィクションの本に基づき,1840年代から60年代のニューヨーク,ファイブ・ポインツの街の人々の生きざまを描いている。
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