SU-76のバリエーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 23:30 UTC 版)
「SU-76 (自走砲)」の記事における「SU-76のバリエーション」の解説
SU-12(SU-76) 第38工場の開発した車両で、“SU-76”として量産された最初の型。T-70軽戦車のコンポーネントを流用した自走砲用シャーシから試作されたSU-31 37mm対空自走砲、およびSU-32 76.2mm自走砲のうち、後者を発展させたもの。 戦闘室は密閉式であったが、出力の問題で換気用ベンチレーターが装備されず、砲からの排煙がこもってしまう欠点があり、後に上部装甲は撤去された。2基のエンジンを用いていることはT-70と同様だが、左右の履帯を別々のエンジンと操行装置で駆動する方式に変更しており、これは1943年2月の時点で45%と高い率の故障を発生させた。 SU-12は1943年3月までに350輌が生産され、クルスクの戦いの頃から実戦投入されたが、上述の駆動装置の不具合多発のため、一時前線から引き上げられるなどして問題となり、主任設計者のギンツブルク技師が責任を問われ、技術将校として前線送りとなる事態となった。SU-16(SU-18) 第38工場が試作した、SU-12の転輪を片側5個とした小型軽量型。SU-15が採用されたため、量産されずに終わった。 SU-15/SU-15M(SU-76M) 最も大量に生産された、SU-76系列の代表的な型。トラブルの多かった駆動方式を、T-70Mと同じ前後に連結した串型配置の二つのエンジンと一つの操行装置で動かすものに改めた。また、換気装置も改善され、1943年6月からSU-15として生産開始された。しかし、戦闘室が簡易なオープントップ型となったSU-15Mが10月から生産に入り、これは、大戦後半の主力自走砲として大いに活用された。特に砲兵隊が活躍したバラトン湖の戦いにおいては、機動防御を有効に行い、その活躍を賞賛されている。 しかし、この型はいくつかの問題を解決した反面、上部装甲が無いために防御力が低下していた。また、操縦士の隣に隔壁無しでエンジンがあるなど乗り心地のいい車輌ではなく、実戦ではあっさり撃破されることも多かったため、周りからは「Suka(雌犬)」または「Golozhopij Ferdinant(裸尻のフェルディナント)」の蔑称で呼ばれた。一方、本車の乗員達には「Colombina」という愛称で呼ばれたという。後期型では戦闘室後部の装甲版の高さが増し、側面装甲版の後上部の切り欠きが小さくなり、少し防御力が向上した。このタイプは戦後も生産が継続され、朝鮮戦争では北朝鮮軍が使用しているが、やはり多くが失われた。 戦闘室側面後部装甲の切り欠きの大きいSU-76M前期型 朝鮮戦争で遺棄されたSU-76M前期型。右手前はアメリカのM26パーシング SU-76改造牛乳運搬車 主砲と装甲板を取り払い、車体に荷台を取り付けたもの。
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