SF作家デビュー
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北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。北海道札幌南高等学校卒業。高校の同期に、後の作家渡辺淳一および渡辺の小説『阿寒に果つ』に登場する夭折の天才画家加清純子がいた(荒巻の小説『白き日旅立てば不死』のヒロインの加能純子も彼女をモデルにしている)。のちの漆工芸作家で北海道教育大学名誉教授の伊藤隆一も高校の同級生。 早稲田大学第一文学部心理学科卒業。在学中に実存主義に接し、カフカ、サルトルを愛読。また『アブローラ』という同人誌(ロシア革命時の軍艦から取った名前)を作り、在学中に書いた原稿は5000枚ほどだった。出版社に編集者として勤務し、この頃F.ブラウン『発狂した宇宙』を読んでSFに関心を持った。1962年に家業を継ぐため札幌に戻る。北海学園大学短期大学部土木科を卒業し、二級建築士の資格を取得。北建商事株式会社代表取締役に就任。 1965年から1967年、SF同人誌『CORE』を主催、また『宇宙塵』に寄稿。1970年には、評論『術(クンスト)の小説論』、短編『大いなる正午』を『SFマガジン』に発表し、作家・評論家としてデビュー。ニュー・ウェーブSFやシュール・リアリズムの影響をうけ、美術と心理学の素養を生かしたスペキュレイティブ・フィクション的な幻想的SFを発表し、ダリの同題の絵画をモチーフとした短編「柔らかい時計」(初出『宇宙塵』1968年4月122号)は英訳され、1989年にイギリスのSF雑誌「インターゾーン」に掲載されて、高い評価を得た。1971年に『SFマガジン』に発表した中編「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」を長編化した『白き日旅立てば不死』などのヌーボー・ロマン風の作品や、「ユングの集合的無意識への夢」であるという連作長編『時の葦舟』などを発表。処女長編『白き日旅立てば不死』は、第1回泉鏡花文学賞の候補となった。
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