PowerPCプラットフォームでの展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 17:27 UTC 版)
「BeOS」の記事における「PowerPCプラットフォームでの展開」の解説
Appleのヨーロッパ部門で好成績を収め、後にApple本社で開発責任者を務めたジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassée)らが1990年にスピンアウトしてBe社を設立した。Be社は1990年当時にようやく注目され始めたRISC CPU,マイクロカーネル,SMPという要素を全て盛り込んだコンピュータを作るため、ハードウェアBeBoxとオペレーティングシステム BeOSの開発を開始する。初期のBeBoxのプロトタイプはAT&TのHobbitというプロセッサーを使用していたが、後にPowerPCベースに変更され、その上で動くBeOSとともに1995年に一般に公開された。BeOSではアプリケーションからの直接的なハードウェアアクセスと徹底した並列化を設計レベルで実装した結果、同時代のMacintoshやWindows等とは比較にならない程高速に動作し、コンピュータ関係者の間で大きな話題となった。しかし、対応ハードウェアが一般的でないBeBoxのみではソフトメーカーが参入せず、恒常的なアプリケーション不足に悩まされることになった。 翌年にはBeOSはPower Macintoshに移植され、Mac OSの次世代OS候補として注目を集めることになった(BeBox事業は終了したが、サポートはその後数年間継続した)。旧弊なMac OSに代わる次世代OSを求めている事を知り得たガセーは、BeOSの良さをアピールすべくAppleに働きかけ、当時のApple CEOのギル・アメリオらに簡単なデモを行った。ガセーはアメリオに買収に関する条件に付いて提示をしたが、Appleの見積ではBeOSの価値は5000万ドルであったのに対しガセーは3億ドルと法外に高額な金額を提示した。当時、BeOSは6年かかっても未完成であり、完全な商用製品と呼べるシステムには至っておらず、更にMacに搭載した場合のコストとBeOS自体の開発費用等を含めるととてつもない金額となり、その上に急を要する次世代Mac用のOS開発に膨大な時間がかかる事が分かる。またギル・アメリオの腹心だったエレン・ハンコックがIBMにソフトウェア担当上級副社長として勤めていた際に、技術オンチだった幹部陣がインテルやマイクロソフトにいいようににしてやられる様を見てきたため、結論を急ぎ過ぎないよう進言した。 結果として、AppleはNeXTソフトウェアのOPENSTEPを選択し、スティーブ・ジョブズ率いるNeXTを買収する。金額的にはBeよりも高くはなったが、OPENSTEPは金融機関や研究機関などで既に実績を上げていた。 Appleへの売却に失敗したBe(ガセー)は徐々に業績が下がっていった。さらに、AppleがPower Macintosh G3以降のマシンの技術資料の公開を拒んだため、技術的にもMacプラットフォーム上でのBeOSの発展は困難となったとし、BeOSがG3以降の機種に対応することはなかった。これについては、Power Macintosh G3の仕様はCHRP準拠であり公開されていたも同然であり、PowerPC用Linux等複数のOSがPower Mac G4以降でも動作していることから、単にMacに見切りをつけるための口実であったとも言われている。 そこでインテル等の協力を得てPC/AT互換機で作動するBeOSの開発に専念する事になった。
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