ウード (西フランク王)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 07:08 UTC 版)
ウード Eudes |
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西フランク国王 | |
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ウード
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在位 | 888年 - 898年 |
戴冠式 | 888年2月29日、コンピエーニュ |
別号 | パリ伯 |
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出生 | 852年以降 |
死去 | 898年1月3日 ラ・フェール |
埋葬 | サン=ドニ大聖堂 |
配偶者 | テオドラード・ド・トロワ |
子女 | ギー ラウル アルヌール |
家名 | ロベール家 |
父親 | アンジュー伯ロベール |
母親 | アデライード・ド・トゥール |
宗教 | カトリック教会 |
ウード(Eudes、852年以降 - 898年1月3日)は西フランク国王。885年から886年にかけパリを包囲したノルマン人を撃退した。
生涯
ネウストリア侯ロベール・ル・フォールとトゥール伯ユーグの娘アデライードとの間に長男として生まれた。弟に後のロベール1世がいた。母の姉妹エルマンガルドは皇帝ロタール1世と、ベルトはパリ伯ジェラール2世とそれぞれ結婚している。
866年の父の没後にネウストリア侯位を相続したが、カロリング朝のシャルル2世(禿頭王)は868年に侯位を剥奪し、サン=ジェルマン修道院長ユーグ(Hugues l'Abbé)に与えた[1]。882年か883年に、サン=ジェルマン修道院長ユーグの許可とパリ司教ゴズラン(Gozlin)の支持を得て、パリ伯の地位を得た[2]。
884年にカルロマン2世が没した翌年、ウードはトゥール伯・ブロワ伯・アンジェ伯となり、886年、トゥールの聖マルタン修道院長の地位も回復した[3]。

(19世紀の絵画)
パリ伯ウードは、885年から886年に掛けての冬、パリを包囲したノルマン人を撃退し、シャルル2世が廃位された翌年の888年2月、領邦諸侯と司教等に推されて西フランク王国の王位に就き、コンピエーニュで戴冠した[4]。カロリング一族でない最初の王だった。彼はヴァイキングと戦い続け、アルゴンヌのモンフォーコンで更に敵を破った[4]。
しかし、ウード王の支配は徹底しなかった。シャルル2世の子シャルル(後のシャルル3世)は、893年にランスのサン=レミ修道院(l'abbaye Saint-Remi)で聖別され[5]、彼を担ぐ一派がウードと対立した。
東フランク王アルヌルフははじめウードを承認していたが、894年に至ってシャルルへの支持を宣言した[4]。3年続いた両派の紛争の後、ウードはシャルルにセーヌ北部を引き渡し、かつ、シャルルを次の王に指名した[4][6]。
ウードは898年1月1日、ピカルディのラ・フェール(La Fère)で没し、サン=ドニ大聖堂に埋葬された[7]。テオドラード・ド・トロワと結婚したが、子は皆早逝した。
脚注
- ^ Michel Parisse et Xavier Barral I Altet, Les Robertiens : ascension, couronnement et sacre dans Le roi de France et son royaume, autour de l'an Mil, actes du Colloque Hugues Capet 987-1987, La France de l'an Mil, Paris-Senlis, 22-25 juin 1987, Picard, 1992, p. 20.
- ^ Laurent Theis, L'héritage des Charles, Seuil, 1990, p. 117
- ^ Claude Gauvard, La France au Moyen Âge, PUF, 1996, p. 117
- ^ a b c d Encyclopædia Britannica (11th ed.)
- ^ この場合の『聖別』は、カトリック教会や聖公会などで使用される神学用語の聖別と必ずしも一致せず、『サン=レミ修道院で塗油される事で王にふさわしい超自然的な力を得る』という、ルートヴィヒ1世以来のしきたりであった(柴田(2006)、pp. 19 - 21)。
- ^ 柴田 他(1995)、p. 175
- ^ Richer de Reims Histoire Images 53, p. 31 - 55
参考文献
- 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史 1』 山川出版社、1995年
- 堀越孝一・三浦一郎 『現代教養文庫 825 世界の歴史 5 中世ヨーロッパ』 社会思想社、1974年
- 柴田三千雄 『フランス史10講』 岩波新書、2006年
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「Odo of France」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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