オドン (ポズナン公)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 02:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動オドン Odon Poznański |
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ポズナン公 ヴィエルコポルスカ公 カリシュ公 |
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在位 | ポズナン公:1177/9年 - 1181年 ヴィエルコポルスカ公:1177/9年 - 1194年 カリシュ公:1193年 - 1194年 |
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出生 | 1145年頃 |
死去 | 1194年4月20日 |
配偶者 | ヴィシェスラヴァ・ヤロスラヴナ |
子女 | ヴワディスワフ・オドニツ オドン リクサ エウフロジナ |
家名 | ヴィエルコポルスカ・ピャスト家 |
父親 | ミェシュコ3世 |
母親 | エルジュビェタ・ヴェンギェルスカ |
オドン(Odon Poznański, 1141年から1149年のうち、おそらく1145年 - 1194年4月20日)は、ポズナン公(在位:1177年/1179年 - 1181年)、ヴィエルコポルスカ南部の公(在位:1177年/1179年 - 1194年)、カリシュ公(在位:1193年 - 1194年)。その名は、ポーランド最初のセイムと見なされている、1161年5月21日にウェンチツァで開かれた諸公会議で採択された文書の署名に初めて登場する。
生涯
ヴィエルコポルスカ公ミェシュコ3世(老公)と、ハンガリー王ベーラ2世の娘と思われるエルジュビェタとの間の長子として生まれた。
1177年、オドンはマウォポルスカの貴族達が父に対して起こした反乱に参加した。ミェシュコ3世が再婚相手のエヴドキヤ(キエフ大公イジャスラフ2世の娘)との間に生まれた子供達を贔屓していたことに不満を持っていたためだった。オドンは自領の拡大を望んでおり、あわよくばヴィエルコポルスカ公国を力で奪取しようと考えていた。しかし叔父のポーランド大公カジミェシュ2世(正義公)は、オドンにポズナンの領有のみを残した。オドンはそれでも父との戦争を続け、1178年には父を廃位・追放した。
1181年、ミェシュコ3世はポズナンとヴィエルコポルスカの支配権を奪回すべく、ポモジェ地方の勢力と同盟してヴィエルコポルスカを攻撃、オドンをヴィエルコポルスカのオブラ川以南へと追い出した。1193年、オドンの弟のカリシュ公ミェシュコが亡くなると、オドンは父の同意のもとカリシュ公国を相続した。
彼の領国統治に関してはほとんど知られていない。オドンは貨幣鋳造所を設けて「公爵オドン(Odon Dux)」と刻まれた貨幣を発行しており、このことは彼がヴィエルコポルスカに従属的ではなく、かなり大幅な自治権をもっていたことを窺わせる。
1194年4月20日に父に先立って没し、ポズナンの聖ピョトル・パヴェウ大聖堂に葬られた。息子のヴワディスワフ・オドニツはまだ幼かったため、オドンは異母弟ヴワディスワフ3世にヴィエルコポルスカ南半の領国の摂政を任せた。カリシュ公国は父ミェシュコ3世の領土に戻された。
子女
1184年頃、ハールィチ公ヤロスラフ・オスモムィシリの娘ヴィシェスラヴァ(ヴャチェスラヴァ[要出典])と結婚し、4人の子供をもうけた。
- ヴワディスワフ・オドニツ(1190年頃 - 1239年6月5日)
- オドン(1192年頃 - 1225年)
- リクサ(1190年頃 - 1238年)
- エウフロジナ - 1217年/1218年頃、ポメレリア公シフィエントペウク2世と結婚
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「Odon of Poznań」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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