OS開発の失敗・NeXT買収
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「Apple」の記事における「OS開発の失敗・NeXT買収」の解説
「Copland」も参照 MacintoshのOSは、1984年の出荷以降、System 7まで大幅に強化改良されたものの、基本的な部分はほとんど進化していなかった。1990年代に入ると、マルチメディアやネットワークの時代を迎え、従来はミニコンや大型汎用機のOSの機能であったマルチタスク(プリエンプティブマルチタスク)、メモリプロテクション(メモリ保護)、仮想メモリ、ネットワーク機能を備えた“モダンOS”が、次世代のパソコン用OSに必要だと考えられるようになった。 Apple社内で未来志向の“オブジェクト指向OS”として計画された“Pink”は、最終的にIBMと共同で別会社Taligentを設立して開発が進められたが、要求仕様だけが膨らみ続け、道半ばで頓挫した。Pink OSの反省からやり直された新OSが1994年に発表された「Copland」で、System 7.x系と互換性を持たせつつ、革新的なGUI、暫定的なマルチタスク機能と暫定的に改良されたメモリ管理機能を提供し、メモリ4MBのMac Plusでも動作するほどコンパクトというふれこみであったが、その開発は難航し、公開の延期を繰り返した。 1996年7月、新たにAppleの最高技術責任者(CTO)となったエレン・ハンコックは、Coplandが完成する見込みがないと判断を下し、開発の中止を命じた。Appleは次期Mac OSとなる新たなOSを外部から調達することを決定し、候補としてマイクロソフトのWindows NT、サン・マイクロシステムズのSolaris、IBMのOS/2、BeのBeOSなどを挙げて調査と交渉を行った。なかでもBeOSこそ本命と噂されていた。1996年中ごろには、BeとAppleの買収交渉が本格的に始まった。ガセーは1億ドルを要求したが、Appleは5000万ドルと見積もっていた。アメリオはこのBeOSに高い関心を寄せていたが、BeOSは未完成でAPIが整備されておらず、BeOSを買収したとしてもMac OSとして出荷できるようになるまでには数億ドルの投資と、数年にもわたる歳月が必要だと見積もられていた。なかなかBeOSの売り込みが進まないBe社は、Mac互換機メーカーだったパワーコンピューティングにBeOS開発版である「BeOS PreviewRelease」をライセンスするなど、挑発的とも取れる行為をするようになった。 1996年の11月ごろ、公表されてはいなかったが、NeXTはハードウェアから撤退し創業以来初の黒字となっていたものの経営状態は良好とはいえず、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、IPOを計画していた。同時期にAppleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してエレン・ハンコックに打診。折り返しの連絡を受け、その数日後の11月26日に、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行った正にその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対してOPENSTEPとNEXTSTEPを売り込んだ。ジョブズは12月上旬に、1985年以来初めてApple社内に入り、アメリオら首脳陣と話し合った。12月10日にはBeOSとOPENSTEPの比較プレゼンテーションがあったが、勝利を確信していたガセーがほとんど事前準備をしていなかったのに対し、周到に準備をしたジョブズがカリスマ的なプレゼンテーションを展開し、ガセーは敗れ去った。12月20日にAppleがNeXTを4億ドルで買収することを発表し、次期OSの基盤技術としてOPENSTEPを採用すると発表した。
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