JYDとは? わかりやすく解説

JYD

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 05:25 UTC 版)

ジャンクヤード・ドッグ」の記事における「JYD」の解説

1980年より、ルイジアナミシシッピオクラホマアーカンソーの4州をサーキット・エリアとするビル・ワット主宰MSWA定着ワットアイデアリングネームジャンクヤード・ドッグ(JYD)と改めブルーカラーイメージ強調したキャラクター変身する。彼が鎖のつながれ首輪付けて登場すると、観客一斉に吠え声真似て呼応異色ベビーフェイスとして、アーニー・ラッドレロイ・ブラウンファビュラス・フリーバーズブル・ラモスボブ・ループテッド・デビアスジム・ドゥガンカマラブッチ・リードザ・グレート・カブキらと抗争し、同地区認定タイトル再三獲得南部マット代表する黒人スターとなったファイトスタイル直線的なラフ&パワー主体で、キングコング・バンディワンマン・ギャングなどのスーパーヘビー級巨漢ボディスラム投げたこともある。また、現在のハードコア・レスリングにも通じる "ゲットー・ストリート・ファイト"、双方の首をチェーンつないで行う "ドッグ・カラー・マッチ" などの荒っぽい試合も本領を発揮喧嘩ファイト強さ見せた一時、スタッガー・リー(Stagger Lee)を名乗り覆面レスラー変身したこともある。 1984年WWF契約ハルク・ホーガン盟友となり、グレッグ・バレンタインアドリアン・アドニステリー・ファンクなどのヒール勢と抗争を展開、メキシコ系のティト・サンタナ東洋系のリッキー・スティムボートとのマイノリティ同士タッグチームでも人気博したコンバット・スタイルになってサージェント・スローターパートナー務めたこともある。1985年11月7日PPVザ・レスリング・クラシック』におけるワンナイト・トーナメントでは、1回戦アイアン・シーク2回戦ムーンドッグ・スポット下して勝ち進み決勝戦ランディ・サベージ破り優勝1987年ハーリー・レイスとの「キングドッグ」の抗争アングル繰り広げ、93173人の大観衆を集めたレッスルマニアIII』にて決着が行われた。 1988年末にWWF離れ、翌1989年からはWCW移籍当時WCW管理にあったリック・フレアーNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している。1992年にはジェリー・ジャレットジェリー・ローラー主宰していたメンフィスUSWA参戦し9月21日エディ・ギルバートからUSWA統一世界ヘビー級王座奪取したその後各地インディー団体大物ゲストとして出場していたが、1998年6月2日交通事故死去45歳没。 その功績称え没後2004年WWE殿堂迎えられた。殿堂入りインダクターは、かつてMSWA黒人レスラー同士抗争展開したアーニー・ラッド務めた顕彰セレモニーには娘のラトーヤ・リッターが出席、翌3月14日の『レッスルマニアXX』で彼女が紹介された際、観客はJYDの選手時代同様に吠え声をあげて歓迎した

※この「JYD」の解説は、「ジャンクヤード・ドッグ」の解説の一部です。
「JYD」を含む「ジャンクヤード・ドッグ」の記事については、「ジャンクヤード・ドッグ」の概要を参照ください。

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