IAU以前の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 04:22 UTC 版)
以下の衛星の名前は、1973年にIAUが衛星への命名を管理するようになる前に、非公式のプロセスによって採用されたものである。 IAU以前の名称日時命名者名前画像惑星と確定番号発見年参考/注釈17世紀1614年 シモン・マリウス イオ Jupiter I 1610年 彼の著作『Mundus Iovialis』の中で命名。名前はヨハネス・ケプラーの助言を受けて提案したもの。 エウロパ Jupiter II ガニメデ Jupiter III カリスト Jupiter IV 19世紀1847年 ジョン・ハーシェル ミマス Saturn I 1789年 ハーシェルは既知の7つの衛星に対して、『Results of Astronomical Observations made at the Cape of Good Hope』の中で命名した。これらの衛星への命名はウィリアム・ラッセルによって論文で報告されている。 エンケラドゥス Saturn II テティス Saturn III 1684年 ディオネ Saturn IV レア Saturn V 1672年 タイタン Saturn VI 1655年 イアペトゥス Saturn VIII 1671年 1848年 ウィリアム・ラッセル ヒペリオン Saturn VII 1847年 ラッセルはジョン・ハーシェルの命名法を踏襲して名称を論文中で与えた。 1852年 ジョン・ハーシェル アリエル Uranus I 1851年 ハーシェルはウィリアム・ラッセルの依頼を受け1852年5月26日に4つの衛星に命名した。ラッセルはそれらの名前を記した論文を同年6月21日に出版している。 ウンブリエル Uranus II チタニア Uranus III 1787年 オベロン Uranus IV 1878年 アサフ・ホール フォボス Mars I 1877年 ホールは当初 Phobus と Deimus という綴りで命名していたが、後に Phobos と Deimos に変更された。 ダイモス Mars II 1880年 カミーユ・フラマリオン トリトン Neptune I 1846年 フラマリオンは彼の1880年の著書『Astronomie populaire』p. 591 で名前を提案したが、その後長い間非公式なものとして扱われた。 1893年 カミーユ・フラマリオン アマルテア Jupiter V 1892年 フラマリオンは発見者のエドワード・エマーソン・バーナードとの手紙の中でアマルテアという名称を提案した。しかしバーナードはいかなる名前の提案も拒否し、1975年にIAUが採用するまでは非公式な名前であった。フラマリオンの他にも多数の名称提案があった。 1899年4月 ウィリアム・ヘンリー・ピッカリング フェーベ Saturn IX 1899年 発見し名称を提案したのはウィリアム・ヘンリー・ピッカリングだが、発見や名称について論文で報告したのは兄のエドワード・ピッカリングである。 20世紀1939年4月 セス・B・ニコルソンは新衛星の発見報告論文中で、彼が発見した木星の衛星への命名を辞退している。ニコルソンは、バーナードが木星の明るいガリレオ衛星の固有名が滅多に使われていないのを理由にアマルテアは単に番号で "Fifth Satellite" (第5衛星) とだけ呼ばれるべきだと考えていたのを挙げ、今後発見されるであろう新衛星の名前を予測するのが簡単であるとして番号だけで呼ぶのを好んだ。 1949年6月 ジェラルド・カイパー ミランダ Uranus V 1948年 カイパーはミランダという名前を発見報告論文の『The Fifth Satellite of Uranus』の中で提案した。 1949年8月 ジェラルド・カイパー ネレイド Neptune II 1949年 カイパーはネレイドという名前を発見報告論文の『The second satellite of Neptune』の中で提案した。 1967年2月1日 オドゥワン・ドルフュス ヤヌス Saturn X 1966年 発見者のドルフュスは、発見後の追加観測のIAUへの報告の際にこの名前を提案した。
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