HPによる買収
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2009年11月11日、スリーコムとヒューレット・パッカード (HP) は、ヒューレット・パッカードがスリーコム(100%子会社のH3Cテクノロジーズなどの資産を含む)を27億ドル(現金)で買収することを発表。2010年4月12日、ヒューレット・パッカードはスリーコムの買収を完了。一株あたり7.90ドル、総額は約27億ドル。 買収により独立した法人としてのスリーコムは消滅したが、スリーコムが華為技術(Huawei Technologies)との合弁事業およびその解消後使用したブランド名H3Cは、現在もヒューレット・パッカードのネットワーク製品の中国市場向け販売に使用されており(合弁当時はHuawei-3Comだが、現在は同じH3Cであるものの拠点の地名からHangzhou-3Com)、その一部にスリーコムの名を残している。なおこれは中国市場で馴染みのあったブランド名H3Cの継続使用であり、ヒューレット・パッカードおよび関連会社は現在華為技術の間に資本関係や提携関係はなく、製品の共同開発やOEMは行われていない。
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HPによる買収
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2002年、コンパックはヒューレット・パッカードに242億ドルで吸収合併されることに合意した。144億5000万ドルはグッドウィル(日本でいうのれん代)である。コンパック株は1株あたりHP株0.6325株と交換されることになった。近年のコンパックの財務成績悪化とコンパックの資産評価を鵜呑みにしたことから、HPの提示した額は過大だといわれた。 HPの年間売上高は470億ドルで、コンパックは400億ドルだった。単純に合計すればIBMの900億ドルにほぼ並ぶ。節約による効果は2004年半ばまでに25億ドルと見積もられた。コンパックとHPでそれぞれ8500人と9000人のレイオフが予定され、最終的に従業員数は145,000名となる。 両社はそれぞれ臨時株主総会を開催してそれぞれの株主から承認を得る必要があった。コンパックの株主は満場一致で合併を承認したが、HPでは一部大株主が反対したため、委任状争奪合戦が始まった。反対したのは創業者の息子ウォルター・ヒューレットとデイヴィッド・W・パッカード、California Public Employees’ Retirement System (Calpers)、Ontario Teachers Pension Plan などである 。 「コンパック買収は正気ではなく、買収してもIBMには追いつけないし、デルの直販モデルにも敵わないし、何よりHPとコンパックでは企業風土が違いすぎる」という中傷もあった。合併支持派は、スケールメリットを強調し、「PCの売り上げがプリンターやカメラの売り上げも押し上げる」と主張した。ウォルター・ヒューレットは、「PC事業は利益率が低くリスクが高いため貢献しないし、HPが伝統的に強いイメージ処理やプリンターなどの部門が弱体化する危険性もある」と主張した。コンパックの数少ない良い点はサービス事業で、HPのサービス部門よりも優れていた。 HPの株主総会でも合併は僅差で承認された。しかし、直前にドイツ銀行との密室の取引があったなど、票を買収したのではないかという噂がつきまとった。後に合併を後押しするためにドイツ銀行配下の投資銀行の株を2002年1月に購入していたことが明かされている。HPはあくまでも合併承認とは無関係に100万ドル提供を保証し、後で別に100万ドル支払うことに合意した。2003年8月19日、米証券取引委員会はドイツ銀行が顧客の委任を受ける際に実質的利害対立を明らかにしなかったことが罪にあたるとし、75万ドルの罰金を命じた。ドイツ銀行は罪を認めるか否かは明らかにせず、支払いに同意した。 合併前のコンパックのティッカーシンボルはCPQだった。HPのティッカーシンボル HWP と組合わせて、合併後のティッカーシンボルは HPQ となった。
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