CRT写植機(第3世代電算写植機)
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「電算写植」の記事における「CRT写植機(第3世代電算写植機)」の解説
1970年代から1980年代にかけてはSAPTONシステムの小型化・低価格化・高機能化が進められた。仮印字した写植を確認するディスプレイが搭載され、メディアは紙テープからフロッピーディスクとなった。 1970年代後半に登場した電算写植機は、これまでの写植機のような文字盤を使用せず、コンピュータのメモリにデジタルフォントを記憶させ、コンピュータの指令に応じて所定の文字を取り出し、CRTの蛍光面上にその文字を表示させ、それを感材に露光して写植する方式であり、「CRT写植機」と呼ばれる。文字盤を動かす「歯車」という機械的な稼働部品をなくすことで、さらなる印字の高速化が可能になった。文字の数が少ない欧米では1970年代後半の時点ですでに主流の方式で、日本でも更なる電算写植の高速化の為に求められていたが、日本語の写植では6000字を超えるデジタルフォントを扱う必要があるため、開発は難航していた。しかし写研が1977年に実現した。 まず、従来のSAPTONを改良し、システム内に実装されたアナログの文字円盤の中から従来と同様に1文字を選択し、それをブラウン管に投影して文字情報を電子信号化するという「アナログフォント方式」のCRT写植機「SAPTRON-G1」が1977年に開発された。8書体までの文字が利用可能となった「SAPTRON-G8N」は、1980年にサンケイ新聞大阪本社に導入され稼働を開始した。 その後、写研が1976年より提携していた米オートロジック社のCRT写植機「APS-5」を和文化し、デジタル化された明朝体とゴシック体を搭載した「デジタルフォント方式」のCRT写植機である「SAPTRON-APS5」を1977年に発表。株式会社電算プロセス(後にJTB印刷→佐川印刷)に導入され、時刻表の印刷がさらに高速化された。
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