A&M以後
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アルパートは現在でも演奏家としての活動を続けており、ガトー・バルビエリやリタ・クーリッジ、ジム・ブリックマン、ブライアン・カルバートソン、デイヴィッド・ランツ(英語版)等にゲスト参加している。 1990年にA&Mをポリグラムに売却し離れる。アルパートは第二の人生として、抽象表現主義のアーティストとしても活動し始める。(アルバムMy Abstruct HeartとColoursのジャケットアートはアルパート自身の筆によるものである。)ブロードウェイ・ミュージカルのプロデューサーもするようになった。 音楽活動としては1994年に新たに自身のプライベートレーベルを再びモスとアルモ・サウンズ(英語版)を立ち上げる。今度は双方の名前を2文字ずつとって「ALMO」とした。このレーベルからはSecond Wind(1996)、Passion Dance(1997)、Colors(1999)の3枚のソロ・アルバムをここからリリースされている。また1996年にはジェフ・ローバーのバンドとともにモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに参加。 1997年にはパートナーであるジェリー・モスとレコード会社の役員として偉業によりグラミー・トラスティーズ賞(英語版)を得た。レコード会社への貢献により、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにモスと共に名を刻まれている。 1999年のColours以降、ソロ活動を控え、旧作アルバムの再発を積極的に監督するようになった。アルパートは2000年に現在のA&Mのオーナーのユニバーサル・ミュージックから権利を買い戻し、自身のアルバムのリミックスとリマスタリングをし、再発し始めている。2005年にはShout FactoryレーベルからA&M時代のアルバムをデジタル・リマスタリングしたCDを供給しており、ティファナ・ブラスの未発表曲を含めたアルバムもリリースしている。これらのアルバムは、日本では1960年代にA&Mレーベルを配給していたキングレコードから新装盤として発売されていた。 2006年3月13日にモスと共に演奏者としてではなく、A&Mレーベルでの貢献によりロックの殿堂入りを果たした。2007年4月20日、NHK総合のドキュメンタリー番組「プレミアム10~カーペンターズ スーパースターの栄光と孤独~」に登場した。 2009年には、妻のラニ・ホールとのライヴを収めたアルバムAnything Goesを発表、10年ぶりのアルバムとなった。 2013年、Colours以来のスタジオレコーディングのアルバムsteppin' outを発表、本作は第56回グラミー賞(「ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・アルバム」部門)を受賞した。 アルパートは音楽教育と後進の育成のために様々な貢献を行なっている。1980年代にアルパートは莫大な私財を投じ、音楽教育を支援するための非営利法人アルパート財団(The Herb Alpert Foundation)を設立した。また、カリフォルニア芸術大学にアルパート賞(The Alpert Awards)を設け、若き才能をサポートしている。 2000年からはアルパート財団を通じて、ボストンのバークリー音楽院にハーブアルバート記念客員教授(Herb Alpert Visiting Professor)を設け、世界の音楽業界で活躍するトップ・ミュージシャンを毎年同学院へ招聘している。また、2000年にはバークリー音楽院から名誉博士号を授与された。 さらに、2007年には3千万ドルをカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に寄付し、UCLAは音楽学部門をThe UCLA Herb Alpert School of Musicと命名した。 2012年、米国民芸術勲章の受章者に選ばれる。 2013年、バラク・オバマ大統領(当時)から米国芸術勲章が授与された。 2019年、新作「Over the Rainbow」をリリース。ビルボード誌のジャズ/コンテンポラリー・ジャズ・チャートでNo.1を獲得した。
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