500SLC(1980年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「500SLC(1980年)」の解説
1980年4月のサファリラリー後、450SLC 5.0が搭載するM117エンジンの生産台数がグループ2(英語版)の基準を満たすのに充分な数となったことで、同車はホモロゲーションを取得するのに合わせて「500SLC」に名前が改められた。同時に、エンジンの排気量は若干縮小して4,975㏄となり、車高はより低く設定され、差動装置のリミテッド・スリップ・デファレンシャル(英語版)(LSD)も効果が調整されるなどの変更が施された。ブレーキ周りは特に手が加えられ、ディスクとキャリパーはよりレース向きのものに交換され、サイドブレーキもそれまでの機械式から油圧式に変更された。 完成した車両は7月のコダスルラリー、9月のラリー・ニュージーランド、10月のRCAラリーなどに参戦して熟成を重ね、12月のコートジボワールラリーでは、450SLC 5.0で1-2-3フィニッシュした前年に続いて、1-2フィニッシュを遂げた。 スポット参戦のため、いくつかのレースは欠場していたにもかかわらず、1980年の世界ラリー選手権のマニュファクチャラーズランキングでメルセデス・ベンツは4位を獲得した。このことから、翌シーズンからのフル参戦を期して、ダイムラー・ベンツは1980年シーズンのWRCチャンピオンであるヴァルター・ロールと契約を結び、1980年シーズンの終了直後に行われた最初のテストにはロールも早速合流した。 500SLCに対するロールの評価は手厳しいもので、1月の開幕戦モンテカルロラリーの順位について「おそらく10位、全てが完璧に運べば5位、奇跡が起きたとしても3位」というものだった。ヨーロッパで行われるラリーを戦うにあたって、500SLCでは全長が長すぎるという欠点はダイムラー・ベンツ側でも認識しており、バクセンベルガーは1981年用の500SLCの開発と並行して1982年を見据えて新型車の開発を進めていたところだった。 ところが、1980年末、モンテカルロラリーまで数週間に迫った時期に、ダイムラー・ベンツの首脳陣はラリー活動の中止を決定した。第2次オイルショック(1979年)の影響が続いていたことから、経営環境の将来が予見しがたい状況にある、というのが表向きの説明だった。この決定はブライトシュベルトの乗用車開発部門の事情によるもので、ダイムラー・ベンツとしてはラリーの継続は望むところだったが、乗用車開発部門としては新型車両の開発に注力していたため、ラリーに回す余力がなくなったという事情があったとされる。この時に開発が進められていた新型車両が1982年末に発表されることになる190(W201)である。 取締役会にラリー部門の責任者として呼び出されたバクセンベルガーは、カール・ベンツによるガソリン自動車の発明100周年(1986年)に合わせてラリーの世界チャンピオンになることを約束したが、決定は覆らなかった。
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