20系固定編成客車「あさかぜ」の登場
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「あさかぜ (列車)」の記事における「20系固定編成客車「あさかぜ」の登場」の解説
1958年(昭和33年)10月1日:「あさかぜ」に新たに開発された20系客車に置き換えられる。「あさかぜ」の食堂車担当が日本食堂から都ホテルに移行。従来の日本食堂営業クルーは「はやぶさ」の食堂車営業に移行する。 1960年(昭和35年):年末年始の臨時列車として「臨時あさかぜ」を東京 - 熊本間で運行(下り基準・12月24日 - 1月14日、上りは1日繰り下げ)。「あさかぜ」の名称で博多以南に運行されたのはこの時だけ。のちのダイヤ改正で不定期特急「みずほ」として毎日運行される。 1961年(昭和36年)10月1日:"サンロクトオ"のダイヤ改正により、東海道本線・山陽本線で客車を使用した特急列車が「あさかぜ」を含めた九州方面の夜行特急のみとなり、列車番号が従来の7・8列車から3・4列車となる。 1964年(昭和39年)3月20日:前1963年(昭和38年)12月20日に実施した東京 - 広島間の牽引電気機関車をEF58形からEF60形への交代に伴う「あさかぜ」編成の変更を実施。「あさかぜ」に一等寝台車が集中するいわゆる「殿様あさかぜ」として著名となる編成を組んだ。そのときの編成は下記を参照されたい。 1965年(昭和40年)10月1日:この日までに、1964年(昭和39年)6月から始まった「あさかぜ」ほか九州特急の一等座席車以外の全車寝台化が完成。 1968年(昭和43年)10月1日:臨時列車として運行されていた:「あさかぜ」の1往復を定期化して、2往復体制となる。 1970年(昭和45年)10月1日:東京 - 広島間を呉線経由で運行されていた寝台急行列車「安芸」を格上げ統合。「あさかぜ」3往復体制となる。ただし、格上げされた特急列車「あさかぜ」の方は山陽本線経由であり、運行時間帯も多少異なる。この列車は、東京 - 下関間を運行、「あさかぜ」(下り)3号・(上り)1号とした。 1972年(昭和47年)3月15日:東京 - 博多間運行の1往復「あさかぜ」(下り)2号・(上り)3号を14系客車に置き換える。 7月15日:博多発着列車で20系客車で運行されている「あさかぜ」(下り)1号・(上り)2号の編成を変更。個室2両を含むA寝台車5両とグリーン車が1両連なる編成となる。そのときの編成は下記を参照されたい。
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