20系客車登場以降とは? わかりやすく解説

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20系客車登場以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:49 UTC 版)

A寝台」の記事における「20系客車登場以降」の解説

この頃までの旧一等寝台区分室は、2人または4人用のみであったが、1958年昭和33年)に開発され20系客車のうち、区分寝台のみで製造されナロネ20形に、二等寝台車に初の1人用個室寝台、「ルーメット」が導入された。これは、二等A室扱いとしたが、従来二等A寝台下段料金よりも600円高3360円の「個室料金別途設定され二人区分室は従来二等A室として取り扱ったプルマン開放式寝台であったナロネ21形従来どおり二等B室とされた。また、1959年昭和34年登場したナロネ22形は「ルーメット」とプルマン開放式寝台との合造車であったため、区分室は二等A個室開放室は二等B室となった。 なおこの時代には、二人区分室は単に「二等A」であり、「個室」の名称は1人用についてのみ用いられた。ナロネ20形2人室を「2人用個室」と呼ぶようになったのはモノクラス制後のことである。 また、在来客車置き換えでもあった10系客車のうち、1958年より増備されたナロハネ10形2等部分プルマン寝台ながら、当初は非冷房のため二等Cとしたが、1964年昭和39年)に行われた冷房改造により一等B室へ変更となった1959年昭和34年)のオロネ10形当初から冷房設備があり、二等Bとされた。 1960年昭和35年)に国鉄等級制整理が行われ、従来二等一等に、従来三等二等として2等級制になったこれに伴い優等寝台一等寝台となったが、ABCおよびA「個室」の区分継承された。 1961年にかつての2等寝台車の標準とされたツーリスト寝台車廃止され事実上開放式一等寝台B寝台のみとなる。 1967年昭和42年)に登場した寝台電車581583系においては二等寝台のみの編成となり、一等寝台製作しなかった。これは昼夜兼帯使用されることが前提となっており、昼行列車1等車標準リクライニングシート車に比肩できる水準一等寝台座席両用設備開発することが困難と考えられたためである。なお、後年1985年昭和60年)に583系寝台電車登場したA寝台車、「サロネ581形」は、後年の「サハネ581形」からの改造よるもので、昼夜兼用しないこと(寝台のみでの運用)が前提のため、これが可能となった

※この「20系客車登場以降」の解説は、「A寝台」の解説の一部です。
「20系客車登場以降」を含む「A寝台」の記事については、「A寝台」の概要を参照ください。

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