1999年公判・判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:35 UTC 版)
「オウム真理教の歴史」の記事における「1999年公判・判決」の解説
1999年9月22日豊田・廣瀬・杉本公判 麻原は「豊田君は、亡くなったあとロシアで別の身体に生まれ変わり、今は中国に行っているが、やはり天才ですが、別の努力を重ねています。杉本君は、天界でオウムの教えは正しかったんだと、別の観察を進めています」と述べた。麻原は宣誓文を書いて宣誓手続きが終わった。「ボツリヌス菌はオウム真理教にはないです」、遠藤が大腸菌を培養していたが、「遠藤がオウム真理教、日本を統治したかったのかもしれませんね。私の奥さんを巻き込んで、88年か89年かな、遠藤と佐伯(岡崎)が肉体関係があって」、地下鉄サリン事件は井上が持ち込み、村井も否定的だったとし、「地下鉄サリン事件の話を聞いたことは、私はないです。」「私は地下鉄の『ち』の字も話していない」と、答えた。このほか、1985年か86年に麻原が行った空中浮遊は第三次世界大戦のきっかけとなっているとし、弁護人に脳波でその映像を送信したと称した。自分は徳川慶福、徳川慶喜の直系であり、天皇家直系の藤原で、統一教会の文鮮明と血縁関係にあり、韓国、朝鮮、イラン、ユダヤ各王の関係者が選挙の後押しをしたから、落選するはずがなかったと述べた。 1999年9月30日、横山真人死刑判決(2007年確定) 1999年11月10日豊田亨・杉本繁郎公判 麻原は、前に大腸菌と言ったのは間違いで、ブドウ状球菌だとし、「私は宇宙全体を動かす生命になってますが、動かす脳が破壊されているから、動かせなくなっています」と言い、英語や小声で話した。杉本繁郎が直接尋問で「もういい加減目を覚まして、現実を見つめたらどうですか。いつまで最終解脱者、教祖と言っているつもりですか」と言うと、麻原は「もうちょっと、黙ってた方がいいと思うけど。石井とか知子とかに黙って、LSDを最初に使ったこと、わかってんだよ!」と答え、杉本は「結局何も答えられないんですか。最終解脱者の能力はどうしたんですか。(略)私はあなたを信じて、大馬鹿者だったと思っている。そういう気持ち、わかりますか!」と泣きながら発言した。その後、豊田亨が「何も言わないつもりでしたが、今日のあなたの態度を見て考えが変わりました。(略)質問にも答えないで。あなたの裁判を見ていると、流れるがまま、長引くまま、逃避しているとしか思えない」「地下鉄サリン事件は村井と井上が起こしたと言った。つまり止める力もないわけです」と述べると、麻原は沈黙した。
※この「1999年公判・判決」の解説は、「オウム真理教の歴史」の解説の一部です。
「1999年公判・判決」を含む「オウム真理教の歴史」の記事については、「オウム真理教の歴史」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から1999年公判・判決を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から1999年公判・判決を検索
- 1999年公判・判決のページへのリンク