1989年以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 02:37 UTC 版)
ルーマニア革命以後、共産主義政権が崩壊するまで欧州の鉄道網の中でも高い輸送密度を誇っていたが、同時にインフラは古くなっていた。市場経済への移行による経済の低迷も相まって、1990年代CFRの輸送量は減少期に入っている。輸送量が少ない地方路線は廃止され、1970年代に導入された車両は修繕が行えず荒廃していきCFRは国外、国内問わず貧弱なサービスと管理体制の無秩序さを印象付けてしまっていた。このような状態は1998年まで続いていた。ルーマニア国鉄(Societatea Naţională a Căilor Ferate Române)は1998年に5つの独立した企業体Compania Națională de Căi Ferate "CFR" SA (National Railway Company "CFR" - インフラ関連), CFR Călători (CFR Passenger Services - 旅客列車の運営), CFR Marfă (貨物列車の運営), CFR Gevaro (食堂車などのサービス関連) 、SAAF (車両の管理)に分割された。分割によりルーマニアの鉄道は2000年代には経済の回復もあり改善され、ルーマニア政府の投資もあり周辺国の中では鉄道運営で再びもっとも成功したものと考えられている。1989年以降、いくつもの支線が廃止され特に産業目的の狭軌路線がその対象となっていた。これらの路線では私営の路線バスとの競争や旅客数の少なさが原因となっている。トゥルダ/アブルド(Abrud)間の路線は自家用車やバスとの時間的な競争においては全く勝負にならず93kmの距離を6時間半も要していた。(CFR時刻表1988年、table 309)他の支線でも廃止が相次ぎ特にティミシュ県では老朽化が進んだ線区や閑散路線、2005年の大洪水の被害を受けた線区で廃止が進んでいる。1,000 - 1,500kmの路線はCFRの運営から切り離され地方では1990年来ほとんど廃止されている。しかしながら、実際には他の旧共産圏の国であったハンガリーや旧東ドイツ地域に比べるとあまり思い切ってはおらず私鉄により運行が継続されている路線もある。いくつかの標準軌の路線は実際再開され、狭軌路線の中でもSFT(CFR's の観光鉄道部門)により観光用に再開された路線もある。すべての森林鉄道は1989年以後も運行が継続され民営化や林業会社に売却されている。2000年現在、47,560人あまりがCFRに雇用されていた。2010年7月、25,382人が 現在運営されている企業体から削減された。
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