1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝とは? わかりやすく解説

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1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:05 UTC 版)

伊藤みどり」の記事における「1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝」の解説

1988年7月国際スケート連盟ルール変更によって規定課題数が3課題から2課題になった規定が苦手な伊藤にとって若干有利な状況となる。1988年11月愛知県フリー選手権で、競技会では女子選手として世界初3回アクセル成功1989年1月全日本選手権では、規定初めトップに立ち5連覇達成する1989年世界選手権は、カルガリー五輪メダリスト3人が引退したため、4-6位のジル・トレナリー伊藤クラウディア・ライストナー争いになった規定自身最高の6位につけ、オリジナルプログラムは1位(暫定3位)。フリープログラムでは、女子選手としては初の3回アクセル着氷乱れた決め、他5種類3回ジャンプ成功させた。この演技フリー1位となり、日本人初・アジア人初の世界チャンピオンとなった。。このフリー演技は、9人中5人の審判技術点6.0満点出したこともあわせてフィギュアスケート史に残るプログラムとなった1989年NHK杯では、自身2度目芸術6.0獲得(NHK杯では初)。1990年世界選手権規定で5位以内目標であったが、10位と出遅れ総合2位となる。オリジナルプログラムフリープログラム共に1位と追い上げた連覇はならなかった。このときスタンドでは伊藤6.0満点期待して、「6」のボードを持つ観客もいた。 1990年7月から規定廃止され伊藤にとってはさらに有利にはたらくと思われた。しかし、11月左足首を痛め1991年世界選手権大会1か月前に右あご下の唾液分泌する部分にできた結石除去する手術のため入院するなどして、大会臨んだオリジナルプログラムでの直前6分練習中にレティシア・ユベール接触して相手エッジ左足の靴に突き刺さり、左脇腹強打し負傷した演技中にはコーナー付近連続ジャンプ着氷した際、リンク外のカメラ席に飛び出してしまう。フリーでも前半3回ジャンプ失敗後半立ち直ったが、総合順位は4位に終わる。この結果、翌シーズンオリンピック出場を3から2に減らしてしまった。

※この「1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝」の解説は、「伊藤みどり」の解説の一部です。
「1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝」を含む「伊藤みどり」の記事については、「伊藤みどり」の概要を参照ください。

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