1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝
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「伊藤みどり」の記事における「1989年世界選手権、日本・アジア人初優勝」の解説
1988年7月、国際スケート連盟のルール変更によって規定の課題数が3課題から2課題になった。規定が苦手な伊藤にとって若干有利な状況となる。1988年11月、愛知県フリー選手権で、競技会では女子選手として世界初の3回転アクセルに成功。1989年1月の全日本選手権では、規定で初めてトップに立ち5連覇を達成する。1989年世界選手権は、カルガリー五輪のメダリスト3人が引退したため、4-6位のジル・トレナリー、伊藤、クラウディア・ライストナーの争いになった。規定で自身最高の6位につけ、オリジナルプログラムは1位(暫定3位)。フリープログラムでは、女子選手としては初の3回転アクセルを着氷が乱れたが決め、他5種類の3回転ジャンプも成功させた。この演技でフリー1位となり、日本人初・アジア人初の世界チャンピオンとなった。。このフリー演技は、9人中5人の審判が技術点で6.0満点を出したこともあわせてフィギュアスケート史に残るプログラムとなった。 1989年NHK杯では、自身2度目の芸術点6.0を獲得(NHK杯では初)。1990年世界選手権は規定で5位以内が目標であったが、10位と出遅れて総合2位となる。オリジナルプログラム、フリープログラム共に1位と追い上げたが連覇はならなかった。このときスタンドでは伊藤の6.0満点を期待して、「6」のボードを持つ観客もいた。 1990年7月から規定が廃止され、伊藤にとってはさらに有利にはたらくと思われた。しかし、11月に左足首を痛め、1991年世界選手権大会1か月前に右あご下の唾液を分泌する部分にできた結石を除去する手術のため入院するなどして、大会に臨んだ。オリジナルプログラムでの直前の6分間練習中に、レティシア・ユベールと接触して相手のエッジが左足の靴に突き刺さり、左脇腹を強打し負傷した。演技中には、コーナー付近で連続ジャンプを着氷した際、リンク外のカメラ席に飛び出してしまう。フリーでも前半の3回転ジャンプを失敗、後半は立ち直ったが、総合順位は4位に終わる。この結果、翌シーズンのオリンピック出場枠を3から2に減らしてしまった。
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