1984年 - 1990年:飛躍的な成功
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「リーバ・マッキンタイア」の記事における「1984年 - 1990年:飛躍的な成功」の解説
マッキンタイアはMCAナッシュビル・レコードから1984年に7thアルバム『Just a Little Love』を発表した。当初このアルバムのプロデューサーはハロルド・シェッドだったが、マッキンタイアは彼が提案するカントリー・ポップ路線を拒絶したため、プロデューサーはノロ・ウィルソンに交代した。それでもまだカントリー・ポップ・サウンドが払拭されていなかったことにマッキンタイアは不満を持ち、MCAの社長であるジミー・ボーウェンへ自分の好みにあう曲をさがすように依頼した。新曲をみつける代わりに、過去のカントリーソングを、新しいアルバム『My Kind of Country』のために録音した。アルバムにはレイ・プライスの「Don't You Believe Her」と「I Want to Hear It from You」、カール・スミスの「Before I Met You」、ファロン・ヤングの「He's Only Everything」、コニー・スミスの「You've Got Me [Right Where You Want Me"]」などを収録した。このアルバムからは2曲のナンバー1ヒット「How Blue」と「Somebody Should Leave」が生まれた。ビルボード・マガジンではマッキンタイアのことをキティ・ウェルズ以来の偉大なカントリー歌手と絶賛し、ローリング・ストーンは彼女のことを最も偉大なカントリー歌手の5人のうちの1人と評論した。『My Kind of Country』はTopカントリー・アルバムチャートで13位を記録した。アルバムにはヴァイオリンやペダル・スチール・ギターなどが使用され、より伝統的なカントリー・サウンドへ狙いを定められていた。マッキンタイアはリッキー・スキャッグスやジョージ・ストレイトと共に、New traditionalist と評された。同年、Country Music Association Awards で最優秀女性ヴォーカルを受賞した。 『My Kind of Country』路線を引き継ぐMCAからの3枚目のアルバム『Have I Got a Deal for You』を、1985年にマッキンタイアは発表した。それはマッキンタイア自身がプロデュースした初めてのアルバムで、ジミー・ボーウェンとの共同プロデュースだった。前回のアルバムと同様に、このアルバムもローリング・ストーンなどから高い評価を受けた。アルバムからの2ndシングル「Only in My Mind」は、マッキンタイア単独でかいた曲で、ビルボード・カントリー・チャートで5位を記録した。1986年1月17日からマッキンタイアはナッシュヴィルのグランド・オール・オプリのメンバーとなった。1986年2月、マッキンタイアは9thスタジオアルバム『Whoever's in New England』を発表した。このアルバムではマッキンタイアとジミー・ボーウェンは、彼女が今まで発表していた伝統的な音楽スタイルとは異なる音楽を取り込んだ。Country Music: The Rough Guide では、タイトルトラックのことを、より大きく感動的で操作的でさえあると評した。タイトルトラックはビルボード・カントリー・チャートで1位を記録し、グラミー賞の最優秀女性カントリー・ヴォーカルを受賞した。さらに、アルバムはマッキンタイアにとって初めてのアメリカレコード協会によってゴールドディスクと認定された(後にプラチナに認定)。年末に、カントリー・ミュージック協会からエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。 マッキンタイアが1986年の2枚目のアルバムとして発表した『What Am I Gonna Do About You』は、オールミュージックのレビューでは『Whoever's in New England』のような特徴がないとして、あまり高い評価を受けなかった。タイトルトラックがこのアルバムからのリードシングルで、ナンバー1ヒットとなった。このアルバムからシングルカットされた「One Promise Too Late」についても、ナンバー1ヒットとなった。翌年、彼女のMCAでの最初のコンピレーション・アルバム『Greatest Hits』を発表すると、トリプル・プラチナ・ディスクを認定される売上を記録した。1987年には、12thスタジオ・アルバム『The Last One to Know』を発売した。マッキンタイアによると、夫と離婚した感情をこのアルバムの制作に注ぎ込んだという。このアルバムからのリードシングルとなるタイトルトラックと、2ndシングル「Love Will Find Its Way to You」は、ともにナンバー1ヒットとなった。1987年後半には、彼女にとって初めてのクリスマス・コレクション『Merry Christmas to You』を発表し、全米で200万枚を売り上げ、ダブル・プラチナを認定された。このアルバムには「Away in a Manger」や「Silent Night」などのカバー曲を収録されている。 1988年に発表した13thアルバム『Reba』は、評論家には伝統的なカントリー・サウンドからかけ離れているとして、高い評価は受けなかった。しかし、アルバム自体はプラチナ認定され、「I Know How He Feels」と「New Fool at an Old Game」の2枚のナンバー1シングルを生み出した。さらにジョー・スタッフォードの「A Sunday Kind of Love」のカバーは、ビルボード・カントリー・ミュージック・チャートでTop 5ヒットとなった。1988年にマッキンタイアは、彼女に関する出版・広告・会計・チケット販売やファンクラブなどを管理する会社 Starstruck Entertainment を設立した。この会社は、馬飼育、ジェット・チャーター・サービス、運輸、本の出版などへ事業を広げた。 1989年5月にマッキンタイアは14thスタジオ・アルバム『Sweet Sixteen』を発表した。このアルバムは、ビルボードTopカントリー・アルバムチャートで13週間1位を記録し、ビルボード200で初のTop100以内となる78位を記録した。オールミュージックの評論では、Neo Traditionalist に戻ったことを高く評価され、5点中4.5点を与えられている。リードシングルはエヴァリー・ブラザースのカバー「Cathy's Clown」で、7月にビルボード・カントリー・ミュージック・チャートで1位を記録した。さらに、このアルバムからは3つのTop10ヒット(「Till Love Comes Again」(4位)、「Little Girl」(7位)、「Walk On」(2位))が生まれた。9月には彼女は初のライヴ・アルバム『Reba Live』を発表した。このアルバムは当初ゴールド・ディスクだったが、10年後にはプラチナ認定された。 出産後となる1990年、アルバム『Rumor Has It』を発表した。このアルバムはポップ指向で、各レビューでは賛否両論あった。『Rumor Has It』は1999年までに300万枚販売され、トリプル・プラチナ認定されている。リードシングルの「You Lie」は、15曲目となるカントリー・チャートでのナンバー1を記録した。ボビー・ジェントリーの1969年の曲のカバー「Fancy」と、新曲の「Fallin' Out of Love」は、それぞれビルボード・カントリー・チャートでTop10ヒットとなった。
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