1984年-1989年:ジュアン・ウルタラー時代と危機的状況の継続とは? わかりやすく解説

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1984年-1989年:ジュアン・ウルタラー時代と危機的状況の継続

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 07:01 UTC 版)

カタルーニャ共和主義左翼」の記事における「1984年-1989年:ジュアン・ウルタラー時代と危機的状況の継続」の解説

党は危機的状況にあり、その中で新し党首にジュアン・ウルタラーが選ばれた。1986年3月12日NATO残留是非を問う住民投票スペイン語版)ではERCNATO脱退への支持表明するも、残留支持多数という結果終わった1986年6月22日総選挙では、80年総選挙獲得したただ一つ国会議席82年喪失していたERCにとって一段と厳し結果となることが予想され得票84,628、カタルーニャでの得票率2.67%という惨憺たる結果であった。この当時党員数は1,676人で、党の危機的状況をやはり反映していた。 1987年欧州議会選挙で、ERCバスクガリシア民族主義政党エウスコ・アルカルタスナ(EA)とガリシア民族主義党(PNGとともに諸民族ヨーロッパのための同盟スペイン語版)を結成、この選挙協力わずかながらもカタルーニャ内での支持拡大する結果となった112,107票、得票率3.7%)。選挙連合は1議席欧州議会獲得したが、候補者リスト第2位であったERC議員誕生とはならなかった。 1988年の州議選(スペイン語版)では、ウルタラーをリスト筆頭掲げたものの、得票数111,647で前回国政選挙上回ったものの、前回84年の州議選、前年欧州議会選を下回り、党の危機的状況がなお継続していることを確認する結果終わったカタルーニャ有権者のうち4%の支持であったが、選挙計算方法によって議席数は前回より1上回り獲得議席6)、州議会第5党の勢力維持することに成功した。 ジュアン・ウルタラーが率いたERC1989年総選挙においても、結果86年の時とほぼ同様で、州内得票率2.6%、得票数84,756で、84年の州議選で失った議席を補うものとはならなかった。この年欧州議会選挙では再びEABNG選挙連合諸民族ヨーロッパのため(スペイン語版)を結成したものの、危機的状況は深まるばかりであった得票数78,408州内得票率2.68%)。カタルーニャでのこの前回を下回った結果にもかかわらず選挙連合は1議席獲得し1991年選挙協定によってリスト1位に名のあったカルロス・ガライコエチェアリスト2位のアリベルト・バレーラが交替して議席についた

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