1977年・1997年の橋とは? わかりやすく解説

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1977年・1997年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 12:38 UTC 版)

上江橋」の記事における「1977年・1997年の橋」の解説

今までの旧上江橋幅員狭小老朽化のほか、車両大型化増加する交通量対処するため、建設省関東地方建設局(現国交通省関東地方整備局)が事業主体となり、総工費45億円を投じて1972年昭和47年10月1日着工第1期工事)され、旧上江橋完成20年後となる1977年昭和52年12月7日新上江橋として100メートル上流側暫定2車線完成した施工東京鐵骨橋梁、および松尾橋梁が行なった。 基礎工は、低水敷洗掘考慮するためニューマチックケーソンで、高水敷鋼管杭基礎使用している。長1,604.0メートル幅員10.0メートル(内、歩道2.0メートル)、最大支間83メートル28径間の鋼連続箱桁左岸側13径間は鋼連続桁橋)である。上部工(橋桁)は3径間連続箱や3径間および4径間連続組み合わせている。この新上江橋は、4車線化した場合外回り春日部方面行き車線として架橋され、開通後は春日部方面への一方通行路として使用し新橋完成して旧橋使用継続された(上述通り旧橋は後に川越方面への一方通行路となる)。また、右岸側は同時期に竣工した長さ308.6メートル古谷高架橋外回り)に接続された。 1987年昭和62年)より第2期工事着工され1997年平成9年8月20日西大宮バイパス建設併せて新上江橋下流側内回り川越方面行き車線架橋され4車線化完工合わせて右岸側のアプローチ区間である長さ210.0メートル古谷高架橋内回り)が架橋され、旧上江橋から付け替えられた。現在はこの新上江橋上江橋と呼ぶ。旧橋内回り車線架橋された際に取り壊されたが、遺構として橋脚1基(P7さいたま市側より7番目の橋脚)が川越市の「暮らし遺産」として保存されている。また旧橋両側の取り付け道路築堤残されている。

※この「1977年・1997年の橋」の解説は、「上江橋」の解説の一部です。
「1977年・1997年の橋」を含む「上江橋」の記事については、「上江橋」の概要を参照ください。

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