1977年のトルコ紀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:45 UTC 版)
小島にとって特に印象深いトルコへの旅は1977年のことであった。この旅以降、小島は「重症の『トルコ病』に罹った」という。この紀行での経験から、常にトルコに夢中になり、「いかなる犠牲を払ってもトルコ民族とトルコ共和国のすべてを知ろうと思った」と述べている。そして、「支払う代償の大きさがこの時点でわかっていたら、あるいは二の足を踏んでいたかもしれない」とも語っている。 小島は大学の夏休みにヒッチハイクでアルザスから南下してスイスを横断し、イタリアの最南端近くまで進んだ。さらに連絡船でアドリア海を超えてギリシャへ渡り、バスを乗り継いで東へ進んだ。途中からは節約のため自転車を購入して漕ぎ、トルコまで到達した。 当時、フランスよりもイタリアの物価はずっと安く、さらにギリシャの物価は安く、そしてトルコの物価は圧倒的に安かったことから、小島はフランスの下宿であればただ暮らすだけしかできない程度の資金であっても、トルコへは旅行することが可能だった。
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