1968 (近藤房之助のアルバム)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 16:15 UTC 版)
『1968』 | ||||
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近藤房之助 の カバー・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | J-POP | |||
レーベル | ZAIN RECORDS | |||
プロデュース | 近藤房之助 | |||
近藤房之助 アルバム 年表 | ||||
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『1968』(ナインティーンシクスティエイト)は近藤房之助のカバー・アルバム。
内容
アルバムタイトルについては近藤曰く「1968年当時の悶々としたイメージがあった。それを表現したかった」とのこと[1]。近藤はギターのみならず、ベース、ドラムも演奏した。当アルバムの発売を機に、iTunesのブルーズチャートが、収録曲12曲で、1~12位までが完全占拠される状況になった[2]。
批評
CDジャーナルは「1968年を境に傾倒していったというブルースは、近藤自身のいわば、原点であり、あえて、多くのミュージシャンによってカバーされた名曲を揃えているのは、その中でも近藤らしさを表現できる自信の表われ」と評した[3]。
収録曲
- Catfish Blues
- Walking The Back Streets And Crying
- Blue Shadows
- She Moves Me
- Ain't Nobody's Business
- Little By Little
- All Your Love I Miss Loving
- Double Trouble
- Sweet Home Chicago
- You're Breaking My Heart
- Crying Won't Help You
- Cry To Me
- Why I Sing The Blues
脚注
関連項目
「1968 (近藤房之助のアルバム)」の例文・使い方・用例・文例
- この車は1968年型だ
- 1878 年に生まれ, 1968 年に亡くなったアプトン・シンクレアは問題小説 『ジャングル』 の作者として知られている.
- 学生は、1968年にはいたる所で暴動を起こしていた
- 1968から1977年までドイツにおいて活動的であった急進的左翼革命はテログループ
- 1968年にETAは政府の高官の政治的暗殺の行動を起こした
- アラスカ北岸の入り江で1968年に石油が見つかる
- 自由奔放な米国の女優(1903年−1968年)
- スイス人のプロテスタントの神学者(1886年−1968年)
- 米国の運動選手(1947年生まれ)で、1968年のオリンピックにおける背面跳びを導入することによって走高跳びを変革した
- ソビエト宇宙飛行士で、1961年に宇宙旅行をした最初の1人であった(1934年−1968年)
- 米国の物理学者(ロシア生まれ)で、ビッグバン理論の提案者であり、放射能を研究し、DNAのトリプレット暗号を提唱した(1904年−1968年)
- ドイツの化学者で、リーセ・マイトナーとの核分裂の共同発見者(1879年−1968年)
- 黒人の人種差別に抗議する運動を行った米国のカリスマ的な市民権リーダーでありバプティスト派の牧師(1929年−1968年)
- ソ連の物理学者で、低温物理学に取り組んだ(1908年−1968年)
- ノルウェーの外交官で、国連の最初の事務総長(1896年−1968年)
- スウェーデンの物理学者(オーストリア生まれ)で、オットーハーンとともに放射化学の分野で活動し、オットーフリッシュとともに核分裂の概念を明確に述べた(1878年−1968年)
- 米国の修道士で作家(1915年−1968年)
- 英国の外交官で作家(1886年−1968年)
- 美術史家(1892年−1968年)
- 米国の作家で、その小説は社会的な改革に賛同した(1878年−1968年)
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