1950年代の成長と不況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:07 UTC 版)
「ヴァナヤン自動車工場」の記事における「1950年代の成長と不況」の解説
政府との最初の契約が終了した後、1948年から1952年の間に納入が予定される650台の車両製造に関する合意文書に署名。また、政府は貸付金1億3,200万mkを前払いし企業支援を行っている。契約によれば1948年に150台の車両が製造される予定であった。VATはこの目標を達成、更に11台の自家用車の製造も行っている。1949年、VATは政府向けに150台、民間向けに37台の車両を製造。フィンランド・マルッカの切り下げもあり、最終的に1,208億mkの利益を計上している。 1950年に大型自動車市場でのVATの位置付けが強化され、バスシャーシの製造を開始。同じ年、VATは新製品となる「VKシリーズ」を発表。しかし、3か月間のストライキによって製造は中断され、その結果、その年に予定されていた150台の国産車両の出荷は翌年へと延期が行われている。順調では無かったにも関わらず、VATは2億mkの利益計上を行っている。 1950年代初頭に売上高と利益は前年比増となっている。政府からの借入金は1952年に完済。その後しばらくはイタリアの機械製造メーカーであるアンサルド(Ansaldo-Fossati)が製造した農業用トラクターの輸入販売を行っている。このタイプの車両に対する需要はあったものの、価格が品質と一致していないと見なされ販売は低調であり、1953年に数台が納車されただけであった。 販売の進展に関し過大評価が行われている。1956年に525台のヴァナヤ車両が販売され、1957年3月には年間販売数が約400台に達すると予想。この予想からVATは約200人の労働者を追加で雇用し、勤務体系も週4日労働に変更が行われている。しかしながら海外からディーゼルエンジンを入手するのが困難となっており、30台以上の車両がエンジンの搭載待ちとなっており、この状況は政府の輸入許可官僚の責任であると批判している。
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