1929・1930年製造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 07:05 UTC 版)
「ロンドン地下鉄スタンダード形電車」の記事における「1929・1930年製造車」の解説
ピカデリー線で運用されていた1920形電車は空気式自動ドアを備えていたが、防水に難があったことから屋外運転区間が長いピカデリー線用としては不適だったため、ベーカールー線に転用されることになり、代替としてスタンダード形電車53両が1929年にフェルタムに発注された。次いで1930年に制御電動車2両、付随車4両からなる試作要素の強い電車が発注された。フェルタムは1932年に政治的理由で閉鎖されたため、この6両が同社で最後に製造された車両となった。1930年製の制御電動車は1フート (300 mm)、付随車は 2フィート (610 mm)従来車より全長が長くなり、建築限界に抵触しないよう車体の片側端部または両端部の車体幅が絞られていた。付随車のうち2両は中央部のドア幅が4フィート6インチ (1,370 mm)から5フィート2インチ (1,570 mm)に拡大されるとともにドア間の窓が3枚とされ、別の2両では中央部のドア幅は変更せず、座席定員を48人から40人に減じて車体両端に片開き扉が設けられた。車掌用ドア開閉スイッチの配置が変更されたが、以降の製造車には反映されなかった。 1929年製造車にはピカデリー線の延伸区間が地上路線となったことに対応し、ヒーターが設置され、ピカデリー線とノーザン線で運用された。世界恐慌の最中の製造だったことから、イギリス製の材料が多用される配慮がなされ、「全英製列車」として知られるようになった。1927年にキングス・クロスにピカデリー線とノーザン線の短絡線が設けられ、両線間の車両の行き来が容易となった。ピカデリー線よりノーザン線の混雑が激しかったため、1930年製の車両に盛り込まれた収容力を増すための試験要素の効果検証はノーザン線で行われた。62両の量産車がMCWCとキャメル=レアードが合併して設立されたメトロキャメルに発注され、ベーカールー線に投入された。このときの車両から制御電動車の中央客用扉の柱がなくなり、通常の両開き扉となった。ベーカールー線では比較的新しいワトフォード・ジョイント形電車(英語版)が運用されていたが、外開き扉のため開閉操作に他の車両より要員が多く必要であること、ドアに挟まれた乗客を検知できずに発生した死亡事故のため、スタンダード形に置き換えられることになった。 この62両はウエスチングハウス製空気ブレーキに代えて電空式ブレーキを備え、当初は他の車両と混結することが出来なかった。電空式ブレーキのため10芯のジャンパ栓が新規に取り付けられた。他のスタンダード形電車にも1936年までに同様のブレーキとジャンパ栓の追設が順次行われたが、ベーカールー線で1920形の付随車と編成を組んでいたスタンダード形の制御電動車については付随車が廃車となる1938年までブレーキの改造は行われなかった。
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